今週の週記

 

 今まで日記のコーナーを作っていたのだが、どうしても毎日更新というわけにいかず、そうこうしているうちに日記ならぬ月記以下になってしまった。そこで日記は断念して、せめて一週間に一回ぐらいは近況報告をしようと、開き直って「週記」とすることにした。にしても、私のような単なるサラリーマンの近況報告になんの意味があるかは甚だ疑問だが・・・。


5月2日(日) 天気 晴れ

 アメリカのBSE騒ぎでアメリカ牛が入ってこなくなり、町から牛丼が消えるということが起こって大分たつ。牛丼中毒患者は「早く輸入の再開を」と騒いでいるようだが、私の個人的感想を言えば「牛丼なんて必要ないじゃん」というところである。

 というのも、牛肉が入ってこなくなったことで吉野家などのメニューから牛丼が消えたが、明らかにその代替メニューの方が牛丼よりうまいと私は感じているからである。吉野家で豚丼と角煮キノコ丼と鮭イクラ丼を食べたが、豚丼はイマイチだったが、後は明らかに牛丼よりもうまいという印象である。むしろ吉野家のメニューの中では牛丼が一番まずかったのではないかと感じている。またなか卯などの場合は、明らかに牛丼よりも豚丼の方がうまい。

 多分、今まで牛丼のブランドの上にあぐらをかいて利益を優先にしていたのが、牛丼を出せなくなったことで必死でメニューを考えたのだろう。その結果、今までの牛丼がむしろまずかったというのがハッキリしてしまった印象である。

 まあ食の好みについては個人的嗜好があるので、牛丼が是非とも食べたいという者にとやかく言うつもりもない。ただこれを口実にして、安全性が全く確立されない状況で牛肉の輸入再開なんてことだけは御免蒙りたいところである。

 

4月3日(土) 天気 曇り

 さて先週の週記を見ると、野球のことを書いてあるな。ではついでにもう一つ書いておくか。

 何やら日本のプロ野球も開幕したようだが、予想通りというか巨人は滅茶苦茶弱いようである。そんなことは考えたら当然である。選手の役割分担はおろか、ポジションさえも考えずにホームランバッターばかりかき集めて、チームが強くなるはずなどない。よくV9時代の巨人と比較されたりするが、根本的に違うのは、V9時代の巨人はホームランバッターばかりが並んでいたのではなく、柴田や高田といった打って走って守れるバッターがいて、王や長島のようなホームランバッターもいるというように、キチンと役割分担が出来ていたことだ。今の巨人は投手陣が駄目だなどと言われるが、それはピッチャーの責任ではない。あんなバックの前で投げたいと思うピッチャーなんていないんじゃないか。何しろ後ろはザルなんだから。あれだとピッチャーもおかしくなると言うものだ。

 金に飽かせて選手さえかき集めればチームが強くなると考えているのだから、やはり世間一般で言われているとおり、あのチームのオーナーは救いようのないバカのようである。莫大な金を使って自分のチームは弱くして、さらに日本プロ野球全体は駄目にしているのだから、まさに日本プロ野球界のガンである。それにしてもあんな馬鹿オーナーの下で優勝を目指させられる堀内監督もお気の毒である。

 話は変わるが、右手親指の腱鞘炎の方はあまり良くなる気配がない。仕方なく先日二回目の注射をうってもらう羽目になった。医者が言うには「この薬は身体のためにはあまり使わない方がよい」とのことであるのだが、痛みがなかなかなくならないのでどうにもならない。

 それにしてもいつも思うが、整形外科は常に患者が満員の状態だ。高齢化時代になってきて、膝のトラブルなどで来院する患者が増えているのだろう。また私が以前から指摘していることだが、膝のトラブルの増加は高齢化だけでなく、舗装道路の増加も無視できない要因だろう。アスファルトの道路は足腰に負担をかける。今後も整形外科の商売繁盛は続きそうである。繁盛する整形外科とは対照的に、逆に最近は小児科が全く駄目で廃業するところもあるとか。何やら世相が見える。

 最近、公私共にやたらに忙しくて、疲れがたまっている状態。ただそれでもなるべく本は読むようにしている。昨今は忙しさに追われているせいか、目に見えて頭が悪くなって来つつあるのを感じていたので、それを防止するため、一週間で最低一冊をメドにして本(新書などが中心であるが、特にジャンルは限っていない)を読むようにした。目下のところは一週間で最高4冊程度から最低で2冊ぐらいのペースで読んでいる。ただおかげで最近は本代がかかってしょうがない。

 最後に一つ、サラリーマンのズンドコ節を

1.猫のミーコが言いました 私の彼氏はフリーター その日暮らしと言われても 自分の甲斐性で生きてます

  屋根の上から下見れば 人間社会は変わってる 出来る奴ほど疎まれて 駄目な奴ほど出世する

2.猫のタマが言いました 私の亭主は自由業 寄らば大樹に背を向けて 己の力で勝負する

  屋根の上から下見れば 人間社会は変わってる 駄目な上司に邪魔をされ 若い奴らが窒息死

3 猫のミケが言いました 私の兄貴はアウトロー 組織の論理に縛られず 独立独歩で生きています

  屋根の上から下見れば 人間社会は変わってる 年功序列で出世した 上司が部下には成果主義

 ズンドコ節はいろいろあるようだが、私がイメージしたのは「きよしのズンドコ」ではなく、どういうグループが歌っていたのかは全く忘れてしまったのだが、昔「ハングマン」のエンディングに使っていたバージョンである。もっとも「きよしのズンドコ」の節でも歌えるとは思うが。

 

3月28日(日) 天気 晴れ

 疲労が身体のあちこちにたまっているようで、週末になると寝てばかりいる。ドンドンと親父になっていくのが嫌になってくる今日この頃。

 テレビをつけるとヤンキースと巨人の親善試合なるものをやっている。私は野球は興味がないというか、はっきり言って嫌いな人間なので、どんな試合をやってようと関係ないが、ふと感じたことがあるのだが、もしかして巨人は日本プロ野球を見捨ててメジャーに参加しようと考えているのではないだろうか。

 巨人の金にあかせて選手をかき集めては飼い殺しにしているやり方は、日本プロ野球全体を駄目にしてしまうと批判されている。それにも関わらずあのチームのオーナーはそのやり方を改める様子はない。しかしこれはおかしな話である。日本プロ野球全体が駄目になれば、巨人だけがあっても仕方がないはずなのだから。しかし巨人が日本プロ野球を見捨てて、メジャーに参加するつもりならそんなことは関係ない。立つ鳥跡を濁すとばかりに日本プロ野球界を滅茶苦茶に荒らしまくっても関係ないわけである。そう考えると、あのチームの行動がすべて辻褄があう。

 野球に興味のない私としては、別に日本プロ野球が消えようがどうしようが関係ないが・・・。そもそも最近は日本プロ野球全体がメジャーの二軍になっているようだし。

 

3月18日(木) 天気 雨のち曇り

 先々週頃から謎の右手首痛に悩まされていたのだが、いつまで経っても一向に良くなる気配がないので、整形外科の診療を受けたところ「親指の腱鞘炎」とのことである。どうやら使い痛みのようである。医者はギブスでの固定を勧めたが、それでは仕事にならないのでやむなくテーピングで軽く固定をしている。ただ、痛み止めにもらった湿布薬が体質に合わず、患部がかぶれて大変なことになってしまった。仕方ないのでかぶれ止めの薬を塗って、かぶれが収まってから、今度は炎症止めの注射をうたれた。しかしこの注射がやたらに痛くて大変だった。どうも整形外科の注射というのは痛いものらしい(以前に腰を痛めて整形外科に行ったときも、べらぼうに痛い痛み止め注射を腰にうたれたことがある)。

 今日、テレビで「白い巨塔」の最終回を見る。実はかなり話題になっているとのことで1ヶ月前ぐらいから見ていたのだが・・・・。やっぱり駄目。過去の名作のリメイクというのは往々にして失敗するが、この作品もやはり問題点が多い。何が気にかかると言っても、話が全体的に甘甘なのが気になる。今日の最終回なんて、死に瀕した財前をみんなで見送ってるシーンなんかが出てきて呆気にとられてしまった。やっぱり主人公の財前を甘甘のキャラにしてしまったのがすべての失敗の元では。そもそもあの話は、上昇志向の財前が、いろいろとえげつないことをしながら大学病院内でのし上がっていくのだが、もうすぐ頂点を極めるかというところで裁判での敗北、ついには自身もがんで倒れるという急転直下の転落をしていく話なのである。その間に本当に財前のことを思っていた友人(里見医師など)は離れてしまい、自分の回りにいた連中も一旦落ち目になった途端に次々と見限って離れていき、結局はただ1人で孤独な最後を迎えるという悲惨な話であり、だからこそ印象に残るのである。現代風にアレンジしたと言うよりは、今時の中高生あたりへのウケ線を狙って甘甘の展開にしたのかと思うが、明らかにシナリオの失敗である。このあたりは昨今のドラマのレベルを如実に物語っている(このドラマでも昨今のドラマの中ではかなり出来の良い部類に入るそうであるから)。

 

1月31日(土) 天気 晴れ

 今、風邪が流行っているようだが、我が家でも入れ替わり立ち替わりでこの風邪にかかってしまった。私も先週の週末から激しい下痢に襲われて、日曜の夜などは一睡も出来ない状態に陥り、月曜は出社が出来なかったのだが、仕事を休み続けるわけにはいかないという使命感から、無理矢理に下痢止めで症状を抑えて火曜日、水曜日と出社したところ、水曜日の夕方頃から症状が悪化、家に帰り着いた頃にはフラフラで起きあがれない状態になり、その後は吐き気と下痢と発熱で寝ることさえ出来ないような状態になってしまった。翌日、医者に行って熱冷ましの注射と下痢止めを処方されて容態は少し落ち着いたが、金曜日もまだ熱が下がらない状態で、どうにか生き返ったのは今日になってからである。全くひどい目にあった。

 最大の敗因は、月曜日に不調を感じた時に、十分に休養を取らずに無理をしたことだろう。柄にもなく仕事の進捗状況を気にして、無理矢理に会社に行ったのが身体にはかなり大きな負担になってしまったようだ。特に現在は長距離通勤をしているので、行き帰りだけで相当に体力を消耗する。実際、水曜日の帰りなど、下手をすると家に到着できないのではないかと心配したほどである。やはり長距離通勤というのは人生におけるハンデとしては大きい。

 今回、風邪でヘロヘロになった私が、辛うじて命をつないだのが「りんごジュース」。不思議なことだが、気分が悪くて吐き気がしている時でも、なぜかこれだけはのどを通ったのである。これがオレンジジュースなどなら、逆に吐き気を加速したことだろう。またこれ以外で食べられたのは「桃の缶詰」。昔から桃缶と言えば風邪の際の定番であるが、今回それを痛感した。これは人間の身体の不思議な生理と言ったところだろうか。

 

1月17日(土) 天気 曇り

 先週、祖母が亡くなった。同居していたので何かポッカリ穴が開いた気分だが、正直なところ悲しいという気持とは違っている。あまりの突然の死だったので、その呆気なさに唖然としているというのが本音なんだろう。それに祖母の死の直前にいろいろとゴタゴタがありすぎて、悲しいという気持が起こる余地もなかったのだと思う。

 思い返せば昨年の終わり頃から我が家はほとんど修羅場と化していた。祖母は痴呆とも嫌がらせともつかない様子で、一晩中大騒ぎばかりし(夜中の3時にテレビ台をひっくり返したり、薬をくれと部屋の中から携帯電話をかけてきたりなど)、母など介護疲れで倒れる寸前の状態で、これは何らかの手を打たないと家の中が滅茶苦茶になると、どこか入所施設でもないかと私が探し始めていた矢先だった。だから一抹の後ろめたさも感じつつ、正直なところホッとした部分があるのである。

 そんな状態になって身に染みたのは、この国の福祉政策のお粗末さ。祖母がこんな状態になっても、祖母は自分で歩けるからと要介護度が低く、入所施設などはまず入れないということを知った。昔、自民党の山崎が、老人ホームなどの建設を促進しようとした政策に「家庭介護という日本の美風を損ねる」と文句をつけたことがあるが、彼は老人介護の実態を全く知らないことは明らかである。介護の実態はうちのように「高齢者が超高齢者を介護している」というケースが多く、介護疲れで介護者の方が身体をこわしてしまったり、追いつめられて無理心中をしたりなど地獄の様相になっているのである。今後高齢化社会が本格化するにあたって、福祉問題は本格的に政府が取り組む必要があるのだが、小泉総理などは軍事費の方に税金を使って、後は弱者をいじめることしか考えてないから、それでなくてもお粗末な日本の福祉がさらに後退しているようだ。これではこの国はいずれ滅びる。

 なお祖母が残したことで一つだけ立派だと感じたのは、葬式をしないでくれと言い残していたことだ。今時のありがたみのかけらもない坊さんを呼ぶのに無駄な金を使うなとのことだった。これだけのことが考えられる祖母が、最後の頃には自分の娘を病気に追い込もうとしていたのだから、やはりもう既にあのころにはまともな思考能力はなくなっていたのだろうか? 今でもそのことだけがひっかかっている。

 

 話は変わるが、昨日久しぶりに「ナウシカ」を見た。あの映画は好きな映画ではあるが、既に何度も見ているし、それにかなり重たい内容なので今回は見ずにおこうと思っていたのだが、たまたまテレビでついていたもので最初の数分を見たところ、そのまま画面に釘付けになってしまって結局最後まで見てしまった。やはりあの作品は傑作としかいいようがない。とにかく20年前の作品とは思えないクオリティに、胸を打つテーマ、それにキャラクター描写の絶妙さ(すべてのキャラクターが実によく生きている)、1カット1カットが実によく計算されて設計されており、特に「間」の取り方などは絶妙としか言いようがない。何度見ても発見があるもので、ついつい今回も見入ってしまったという次第。最近はこんなパワーのある作品は減ったものだ(同じジブリの作品でも、最近の「千と千尋」などにはここまでのパワーは感じない)。最近のアニメ作品は、数は多いんだがどれも「それなり」といったレベルのものが多い。どうしようもないものも減ったが(Evaブームの直後などはひどかった)、傑出した作品に当たった記憶もない。何やら悲しい。

 

 世の中、詐欺の類はいつの時代でもあるが、明らかにそれと疑われるDMが本日届いた。KTWクラブなる組織から来た郵便で、中身は私が300万円のアウディの新車もしくは賞金に当たったというものである。そんなもの応募した覚えがないので眉につばをつけながら読んでみたら、どうやら私がこの「賞品」を手にするには、アンケートに答えた上に、ドイツ国営ロトなるものに参加しないといけないらしい。しかもなぜかクレジットカードの番号を記載する必要があるのである。この時点でこのDMの目的ははっきりと分かる。つまり明らかに「こちらのクレジット番号を入手すること」が目的である。今時はクレジット番号さえあればそれだけで買い物が出来る。恐らくこんなものに返信すれば、一ヶ月後には車を送ってくるどころか、莫大なクレジットの請求書が送られてくるという塩梅だろう。

 人間の欲を刺激するタイプの詐欺手法である。なおご丁寧に24時間以内に返信することと条件を限ってあり、焦らせることでさらに正常な判断力を失わせることを狙っているのだろう。しかしよく考えるとあからさまにおかしいところがあるのだ。

1.24時間以内に返信しろと書いてあるが、そもそも郵便で届いたものなど「いつから24時間」なのか決めようがない。

2.私が特別に一等賞に当たったように書いてあるが、入会の申し込み手続きから商品の内容まで印刷で完璧に仕上げた用紙に、後から私の名前だけ追加印刷(ワープロか何かで)した形式になっており、明らかに「不特定多数に配布するための文書の形式」になっている。

3.そもそも賞金を振り込むのにクレジット番号など必要なはずがない(銀行口座番号なら分かるが)。つまりこれを書かせることが目的であるのは明らか。

 もしこの日記を読んでいる奇特なあなたの元にも同様のDMが来たら、ゴミ箱に直行させることをお勧めする。恐らくいずれこの詐欺はマスコミで話題になるだろうと予測している。なお私の元にはフランスからのエアメールという形式で届いており、返送先はオランダになっていたが、これをやっているのは8割方間違いなく日本の詐欺師だと睨んでいる。以前にも架空請求のメール(マスコミでも話題になった、アダルトサイトの利用料金(当然架空)を直ちに払い込まないと取り立てに押しかけるといった脅しのメール)とか、マルチ商法の勧誘とか、この手の詐欺は後を絶たない。概してこのような犯罪をする輩は性根が腐っており、まともに仕事などする気がないので実に再犯率が高い。やはりもっと厳罰化して二度と社会に迷惑をかけられないようにするべきだろう。

 

1月3日(土) 天気 晴れ

 新年を迎えたのだが、家庭内が少々ゴタゴタしていたせいで落ち着いて骨休めという雰囲気にはなれなかった。5日には仕事だというのに、年末年始ぐらいはゆっくりしたかったのだが・・・。

 それにしても今時は1月2日にもなったらスーパーも普通に営業しているので、正月が以前ほど「特別な日」のイメージがなくなってきた。子供の頃はもっと正月にはワクワクしたものだが、お年玉をもらう年齢でなくなった頃から正月に対する思い入れもなくなってきた(笑)。年齢のせいかとも思っていたのだが、やはり正月の特別度が下がってきたのが大きいように思われる。昔は正月と言えば3が日は店は休んでいるし、テレビをつけたらお正月特別番組しかなかった(つまらない番組だったが、それでも結構面白かった・・当時は)。しかし今は正月と言ってもただの長期休暇である。

 テレビと言えば、ドラマ「ブラックジャックによろしく」を放送していたようだ。この原作はかなり話題になったコミックで私も読んでいるが、どうもドラマに関しては以前から「キャストがイメージと違う」という印象が強かった。今回のスペシャルでも、これはどうかなというキャストが多い。原作ではおばさんだった患者に薬師丸ひろ子というのもどうかと思うが、一番役どころを間違っているのは石橋貴明だろう。彼の役どころは一途さと純粋さから来る挫折感を表現しないといけない役どころなのに、石橋貴明のキャラクターではまるであわないし、そもそもそれを表現できる演技力も持っていない。ドラマはキャスティング一つで生き死にが変わる。私が制作者ならこのキャスティングは絶対しない。

 

「「水」戦争の世紀」 モード・バーロウ トニー・クラーク著 集英社新書

 水の惑星と呼ばれている地球上でも、利用できる淡水の量は意外と限られている。その淡水資源が危機に瀕しているという。

 著者によるとまず危機の第一は水資源の枯渇。これは大規模灌漑農業や工業のための地下水の大量組み上げによる帯水層の減少などである。実際に北米などでは地下水位が年々低下しているとのこと。また廃棄物による汚染などで安全な水が減少することも、水資源の枯渇につながる。さらにこれに拍車をかけるのが、大資本による水の支配。巨大水道資本の陰謀によって水がサービスとして位置付けられ、結果として弱者からは生活に必要な水までが奪われるという実態が発生しているという。また水道資本は「どうすれば儲かるか」という行動原理だけに基づくので、弱者の生存の権利どころか水資源の保護さえも顧慮しないと言うわけである。

 著者らはこの危機的状況を打開する方法として、水を公共財として位置付けることを提案している。先人の知恵に学びながら水資源の保護に努めると共に、巨大資本の恣意的支配を排除する必要があるとしている。

 日本人には水に対する危機意識が薄いようだが、今や東京などは一極集中と水源の汚染によって水不足が慢性化している。是非ともこの本を読んでよく考えてみる必要があるのではないだろうか。

 

「ロードス島攻防記」 塩野七生著 新潮文庫

 ロードス島戦記なら有名なファンタジー小説だが、これは十字軍残党の騎士団とオスマン・トルコの間で行われた歴史的戦争の顛末記である。

 「ローマ人の物語」で歴史に新鮮な息吹を持ち込んだ塩野氏の筆致は本作でも生きており、事実をベースに描いた地味な内容にあるにもかかわらず、小説として実に面白い。また塩野氏の作品の最大の特徴と言えるものは、創作部分が多いいわゆる「小説的部分」よりもむしろ事実を淡々と描いている「歴史的記述部分」の方が面白いというものである。事実は小説よりも奇なりなどというが、まさに歴史のドラマチックさを体験できる書である。

 

12月13日(土) 天気 曇り時々雨

 今日は兵庫県立美術館に「アレクサンドロス大王と東西文明の交流展」を見に行く。以前からアレクサンダーについて興味深いと感じているのは、彼はあれほどの世界帝国を作ったのに対して、決して被征服民から恨みをかっておらず、むしろ神格化されてあがめられていることだ。この辺りは同じ世界帝国を作ったモンゴル帝国と非常に対照的に思われる。こちらの方は特にヨーロッパなどにおいては未だに恐怖の対象となっており、欧米の映画などに出てくる侵略者のイメージには、モンゴルのイメージが重なっていることが多い。

 さてそのアレキサンダーの遠征がもたらした影響としては、ギリシア文明とアジア文明の融合がある。これによって誕生したヘレニズム文化は独自の色彩を持っている。またこのヘレニズム文化が中国などを経由してついには日本にまで及んだというのが、今回の展覧会の主旨であるようだ。ヘラクレスがアジアを経由して最後は仁王に変化したり、風神の大元がギリシアの北風の神だったりなどの話か非常に興味深い。これを見ていてつくづく感じられるのが、古代における宗教というのは実に融通が利くものであり、容易に習合が行われていると言うことである。以前に「ローマ帝国の神々」を読んだ時に、そのことは知識としては仕入れていたが、このようにその事実を目の当たりにすると非常に面白く感じる。

 なおこのような習合を徹底的に排除しようとしたのがキリスト教である。この先鋭的で攻撃的な宗教が後の世界の中心的宗教になったことが、今日の世界における宗教戦争の最大の原因になっていると私には思われる。

 さて展覧会とは話が変わるが、今回数年ぶりに神戸を訪れたわけだが、風景が完全に変わってしまっているのには驚かされる。ただその変化が好ましくない変化であるのは明らかだ。特にこの県立美術館がある周辺などは、いかにも神戸市好みといおうか明らかにゼネコンに開発を任せたという雰囲気の街であった。見た目は綺麗なのだが、高層マンションばかりで人の生活の息吹がない。一見近代的で綺麗に見えても、実は完全に死んでいる街である。私の印象としては「こういう街には絶対に住みたくない」と思わされた。明らかに神戸市は都市開発の方向を間違えているようだ。以前から不必要な空港を作ろうとしたり(実際に現在建設中だが)、巨大ハード建設ばかりに走る傾向は強かったが(これは市当局がゼネコンと密接に癒着しているせいである)、それが端的に表れていた。神戸は市政の方針を根本的に変えなければおかしなことになるだろう。私はあの地震でやむなく神戸を捨てた人間であるが、未だに神戸に対しては一抹の愛着があるので、かつて住み慣れた街がああいう形で荒廃していくのは忍びない気持がする。

 

「岳飛伝 第3巻」 田中芳樹編 講談社

 金の侵攻も本格化し、その一方で岳飛の元には多くの勇者が集合するなど、かなり話が佳境を迎えてきた印象がある。雰囲気としてはまさしく「水滸伝」と言ったところである。ただ水滸伝でも同様のことが感じられるのであるが、登場人物がやたらに多くなることは、ストーリーの中心が散漫になってくることにつながる。本作でもまさにそれが問題として感じられ、ドラマとしては非常に動きがあるはずが、どうも感情移入が阻害される部分がある。まあこの辺りはいわゆる中国ものに大体共通する傾向なので、要は慣れの問題もあると言えなくもないのだが・・・。

 

「やぶにらみ科学論」 池田清彦著 筑摩書房

 生物学者である著者による世の中一般の「科学的」事象に対するエッセイ。

 著者自身が反骨精神の強い人物らしく、あえて世間の常識に楯突いたりわざと刺激的な内容を掲げる傾向が顕著に現れている。「クローン人間を作って何が悪い」とか「地球温暖化は原発推進論者が仕掛けた陰謀だ」とかかなりの極論が多いのだが、いずれもただ単に感情論をまくし立てているわけでなく、科学者らしく論理的な考察の結果導いている結論であるので、同意できるかどうかはともかくとして頷かされる部分は多い。

 なお「ゆとり教育が子供を馬鹿にする」とか「科学が高度化しすぎたために一般人には理解しにくいものになり、その結果として血液型占いのような馬鹿げたオカルトを信じる者が増える」とかいう意見については私も全く同感である。

 

「ちょっと人には聞けない 愚かな疑問」 日本博学倶楽部 PHP出版

 トリビアブームで、巷では「ちょっとした豆知識」本が大量に出回っているが、本書もその文脈に沿った一冊。「タコのスミで字を書けるか」など、誰でも疑問に感じることがあるが、あまりにも馬鹿馬鹿しいので誰にも聞けないといったような疑問に答える書という触れ込みである。

 雑学的内容ばかりなので読んでいて面白いのは事実だが、中に記載されていることの大半は常識レベルで、今更教えてもらうまでもなく知っていたというものが多いかったのが少々難か。

 

12月6日(土) 天気 雨

 年末が近づいたせいか、とにかく何かと忙しい。それにも関わらず、先週にひいてしまった風邪の余波を引きずっているのか、未だに体調がすぐれない。そろそろ全開で運転したいのだが、まだまだ全快していないようで、ここで無理をして全壊してしまっても困る(下手な洒落だ)。

 サラリーマンである私には、今年もめでたくボーナスが支給されたが、小泉内閣の「貧乏人には徹底して痛みを、金持ちだけは優遇を」政策のせいで、額の方はパッとしない。今まで既に使ってしまっている分や、何やかにやの支払い(住宅ローンや奨学金の返還など)でほとんど手元には残らない。これではボーナスが入ったからといって何か特別のことをするのは、残念ながら無理そうである。宝くじでも当たらないだろうか・・・。

 

「おい、ブッシュ、世界を返せ!」 マイケル・ムーア著 アーティストハウス

 先に「アホでマヌケなアメリカ白人」でブッシュ大統領のことを「紛らわしい投票用紙と不正な手段で大統領の椅子を盗んだ」と批判したマイケル・ムーアによる、ブッシュ批判の第二弾。先の本はあの9.11のまさにその日が発売日だったということで、内容は大統領選挙における不公正が中心であったが、今回はイラク戦争に対する批判が中心である。例によって彼は詳細なデータから、ブッシュがいかに自分や取り巻きのために今回のイラク侵攻を企てたかを明らかにしている。この戦争の目的が他ならぬブッシュの私益のためであったことは既に世界でも常識であるが、彼はそれをより明白に証明しており、いかに現在のブッシュ政権が利権に汚れているかを示している。

 内容はかなり激烈なのであるが、それでも語り口にユーモアを失わないのはマイケル・ムーアらしいところ。現在のブッシュ政権に疑問を持っている者は一読すればかなり納得できる部分が多いだろう。なお今回ムーアはより積極的に、どうすれば次の選挙でブッシュを落とすことが出来るかなどを解説しているが、この同様のことは日本の自民党に対しても適用できそうである。もっとも残念ながら日本では総理を直接国民が選ぶことが出来ないので、小泉にそのまま適用することは出来ないが(この男が今の日本の最大のガンであるのは間違いない)。

 

「ケータイを持ったサル」 正高信男著 中公新書

 類人猿の研究者である筆者によると、現在の若者の風俗はケータイメールからルーズソックスまでひっくるめて、すべての行動様式がサル化してきているとのことである。餌付けされたサルは、外界に出て行くことがなく親子の関係が非常に密接などの特徴があり、それは現在の若者によく似ているのだという。特に今の若者がケータイでかわしている無意味なメール会話は、サルのコミュニケーションとそっくりで、外界との軋轢を避けようとする傾向が顕著であるとしている。

 いわゆる現代風俗を独自の視点で切り取った著。いろいろ複雑なことを言っているが要は「今の若者は、すべてを子供優先にする母親にベッタリと甘やかされた結果、自立することもする気もなくなって、社会的生活を送ることが出来なくなっている」というものである。ただしよくある若者批判の本ではなく、著者はデータを示しながら、あくまで客観的視点からサルとの比較において現代の若者を論じているのが特徴である。

 内容的には確かに頷ける点も多いのだが、すべてがこれで納得がいくというものでもない。例えば第五章において四枚カード問題と社会的かしこさを結びつけていることなどは、明らかに論理の飛躍である。これ以外にも全体を通して論法に強引な部分も多々見られる。だが、これはこれで面白い分析であるので一読の価値はある。

 

11月29日(土) 天気 雨

 ここのところの暑くなったり寒くなったりのせいか、不覚にも風邪をひいて今週頭から熱が出てしまった。しかし今は仕事を休んでいられる状況でないので、無理をして仕事をしていたら、どうしても能率は上がらない。なるべく身体に負担をかけないようにしながら、最低限のやっておかなければならないことはなんとか片付ける。こういう時に無理をするのは果たして正解なのかどうか。

 

「図説・戦国兵法のすべて 孫子を超えた最強の策略「山鹿流兵法」」 武田鏡村著 PHP文庫

 孫子の兵法の著は多くあるが、それでは芸がないと見たか、この著では一風変わって山鹿流兵法のついての解説著である。山鹿流兵法とは赤穂浪士が大石内蔵助の「山鹿流陣太鼓」の元に討ち入りを行ったというエピソードに出てくるのが最も有名(このエピソード自体は後の世の創作であるが)である。実際に江戸時代などにはかなりもてはやされた兵法だとのことだ。

 ただ私がこの本を読んだ限りでは「孫子の兵法」と「山鹿流兵法」の違いはほとんど分からなかった。またこの本は図説を使用しているのが最大の特徴なのだが、この図説が内容の理解にとって必ずしも効果的と言い難かったのがやや難。なおこの手の本はビジネスマンがビジネスのヒントを導き出すために手に取る場合もあると思うが、本著はビジネス面での応用よりも、歴史上の合戦における事例などが多いので、どちらかと言えば歴史マニア向けの要素が強い。

 

「デフレとお金と経済の話 −あなたを幸せにする経済学」 森永卓郎著 講談社

 経済評論家としてテレビなどでも売り出し中の著者が、経済の基本から最近の不況の原因についてなどを初心者向けに解説した本。

 現在は竹中平蔵を始めとして、御用評論家は構造改革論者が中心であるが、著書はそれに対してデフレ対策の方に重点をおくスタンスであり、先の竹中平蔵などに対する敵対心を隠していない。最もこの「デフレが悪いか、構造改革の後れが悪いか」というのは「玉子が先か、鶏が先か」の論争に似ており、どちらが正しいと白黒をつけにくいものであるので、この点では優越はつけにくい。なお著者の論に従うと、日本はラテン型経済を目指せということで、「ケの市場よりもハレの市場を」とのことである。この言葉だけではどうもピンとこないが、要は日常生活品などでは人件費の安いアジアの台頭には及ばないので、より付加価値の高いブランド品のような世界を目指せという意味である。さらに収入よりも生活のゆとりのようなものを重視すべきとの主張である。総論としては理解できるのであるが、本当にこれで日本経済を量的に賄っていけるのかはやや心もとないところがある。全体的に状況分析の部分は納得できるが、具体的対策の部分になると弱いという印象は否めない。

 なお小泉改革の本質が「強い者をより強くして、弱い者を徹底的に叩く」ことにあると見ているのは慧眼。この政策をさらに徹底するために、政府は意図的に景気対策を遅らせているという観測については、個人的に肯ける部分が多い。「弱きをくじき、強気に媚びる」小泉政権の正体は非常に理解できる。

 ちなみに私は今回の不況自体がそもそも、一部の金持ちによる労働者の賃金抑制のためのやらせだと見ている。だからこそ、これだけ不況と言いながらも、どこかの財閥が破産したなどという話が聞こえてこないのである(韓国での不況の時は財閥解体にまで進んだ)。私としては、小泉改革の本質まで見抜いたのなら、さらにこの辺りまで切り込んでもらいたいと思ったのだが。

 

「歴史の意外なウラ事情」 日本博学倶楽部 PHP文庫

 いわゆる「歴史系小ネタ集」。暇つぶしに読むのに最適な本だ。もっともその内容については、表題に反してそれほど意外なネタはなく。「歴史マニア」である私にとっては、既にどこかで聞いたことがあるというものが多かった。ただし、一渡りの歴史を勉強した人間が、さらにイメージを膨らませるために読むと役に立つ本ではある。この際に気をつける必要があるのは、ここに上げられている内容は必ずしも通説ではないということ。歴史には多様な解釈があるので、その一つの解釈にすぎないということは常に了解しておく必要がある。

 

11月16日(日) 天気 曇り

 昨日、用事で東京まで行ってきたのだが、非常に疲れた。先週の水曜日も東京日帰り出張だったので、その疲れが残っていたようだ。ここのところ仕事が年末進行になってバタバタしているせいか、疲労が溜まっている気配である。抜本的に休養を取りたいのだが、なかなかそうも行かないのが辛いところ。それに今の疲れの半分は肉体的なものではなく精神的なものであるだけに。

 ではまた例によって最近読んだ本を。

 

「なぜ会社は変われないのか」 柴田昌治著 日経ビジネス人文庫

 低迷している会社を改革する過程について小説仕立てで解説している。やらせる改革ではなく自発的に行っていく改革に誘導することで、会社が建て直っていく過程を、自動車部品メーカー・ヨコハマ自動車部品を舞台に描いている。

 この手のビジネス本では延々と解説だけをしている場合が多いので、そう言う類の本に比べると小説仕立てにしているのは工夫である。実際、小説として読んだ場合にはなかなか面白いので、私も最後まで一気に読んでしまった。ただしそれが書かれている説明について納得できるというのとは別問題である。上から強制する改革が成功などするわけがないのは同感だが、果たしてこの方法で成功するかと言えばかなり疑問ではある。どちらかと言えば読み物としての方が価値のある本である。

 

11月8日(土) 天気 晴れ

 ここのところ水泳を怠っていたせいか、体重の方が増加傾向になっている。これではやばいというので、水泳に出かけることにする。しかし一昨日に参加したバドミントンの大会の後遺症で、身体はガタガタである。果たして身体が言うことを聞くのかが不安だったが、そうも言ってはいられない。市民体育館の近くで昼食をとってから、一端週末恒例のパーツ屋巡りを終わらせて、それから再び市民体育館に舞い戻って温水プールに入る。

 正直なところ、このシーズンになるともうプールは寒いのではないかという気もしていたが、さすがに温水プールの中は寒さを感じさせず、むしろ暑いぐらいだった。辛かったのはプールをあがってからか。さすがに更衣室の中は少し寒さを感じた。温水シャワーが欲しいところだが、なぜかこの体育館のシャワーはほとんど湯が出ないのが難儀だ。せめて風呂ぐらい付けて欲しい。

 さすがにこのシーズンになったせいか、プールの中は一般客は少なく、かなり余裕をもって歩けた(普通は泳げたというところなんだろうが、元来水泳が苦手な私は、泳ぐよりも歩く方がメインである。そもそも私が泳いだりしたら、25m数本でヘロヘロになるので、かえって運動にならない。)。身体の方についても、むしろ少し動かした方が調子が良くなったようだ・・・今のところは。明日もそうであるという保証はないが。

 さて例によって最近読んだ本を。

 

「ローマ帝国の神々」 小川英雄著 中公新書

 古代ローマ時代にどのような神が祀られ信仰されていたかを解説した書。私はもう少し神話的なことも描かれているのかと思っていたのだが、中身は完璧な学術書であった。

 この書によると古代においては、ローマから中央アジアの地域にかけては様々な信仰が存在し、それらが互いに影響を与えあったり、場合によっては習合しながら存在したという(エジプトやペルシャの神が入り込んだ例もあるようだ)。現在この地域で最も強力なキリスト教は、むしろ後進の勢力であり、そのあまりに排他的で攻撃的(他宗に対して)な性質から、かなり権力による弾圧なども受けたようである。しかし私の見たところ、むしろその攻撃性故にキリスト教はその後主流となったと推測される。

 この攻撃的で排他的なキリスト教がヨーロッパ地域で主導権を握ったのは、今日の世界の不幸の最大のもののように私には思える。むしろ太古の宗教のように柔軟性に富んだ宗教が主流になっていれば、今日の戦争のかなりは防げたろう(今回のイラク戦争がその最たるもの)。

 なおこの本では一番最後に「占星術」を宗教として紹介していたのが興味深かった。今日ではさらに「血液型占い」とかのさらにいかがわしい宗教も存在するが。

 

「岳飛伝」 田中芳樹編 講談社

 舞台は南宋の時代、主人公の岳飛とは、北方の異民族国家・金の侵略に対して義軍を率いて抗戦したものの、朝廷内における陰謀によって非業の死をとげた抗金の英雄である。中国の歴史物といえば、日本では「三国志」が圧倒的な人気であるが、中国では英雄といえば諸葛孔明などよりも岳飛の方が庶民の間では圧倒的な人気を誇っているという。編者の田中芳樹氏も岳飛に傾倒しており、満を持しての登場のようである。

 現在のところ講談社ノベルズで発売されているのは2巻までであり(全5巻の予定とのこと)、物語としてはまだ中盤にさしかかったところである。作品自体は歴史を忠実になぞるというよりも、エンターティーメントの面に力点を置いており、小説として実に楽しめる内容になっている。主人公岳飛の魅力に惹かれて多くの豪傑が集まってくるところなど、三国志や水滸伝などとも共通する部分がかなりあり、いかにも講談向きで、中国で庶民の人気があることも肯ける。三国志や戦国時代以外にも中国史においては興味深いエピソードがあるということを我々に知らしめてくれる貴重な作品である。

 

11月1日(土) 天気 晴れ

 週末の習慣のようなもので、今日はパーツ屋巡りと運動に出かける。水泳をしようと市民体育館に出かけたのだが、何があったのか体育館は車が一杯で駐車スペースがなかったので、水泳は諦めてバッティングセンターだけにした。

 それにしても運動に出かけるたびに、学校教育の間違いというものを感じる。私は極めて運動神経が鈍いのだが、運動は運動神経に関係なくやって良いんだということに気づいたのつい最近のように思える。学生時代は体育の授業のせいで運動に徹底的なコンプレックスを叩き込まれて、運動神経が鈍ければ運動をしてはいけないような気になっていた。学校教育において、体育・音楽・美術・技術家庭科などの実技科目は、点数をつけて競わせるようなことには百害あって一利なしのように感じる。いずれの科目も元来は「趣味」の領域に属するようなものなのに、学校教育に組み込まれて点数をつけられると途端にしんどいだけのものになってしまう。私も学校の体育教育での変な強制がなかったら、もっと運動をしていたような気がする。学生時代にこれらの分野の基礎を身につけることについては異存はないが(現にこの基礎を元にして、音楽・美術・日曜大工といったものはすべて私の現在の趣味につながっている)、点数をつけるようになると途端におかしなことになる。これは現代の学校教育の根本的欠陥である。

 運動なんてものは難行苦行としてやっていたのでは続かない。何も誰もが一流のスポーツ選手を目指すわけではないのだから、自分の出来る範囲で楽しめばよいのである。現に私などはイチローならぬトーシローなんだが、それでもバッティングセンターで10本に1本ぐらいホームラン性の当たりでも出れば気持がよいし、打球が前に飛ばなければ「なにくそ」とムキになるし、これで良いんだろう。

 さて今回も最近読んだ本をあげておく。

 

「戦国参謀 頭の使い方」 小和田哲男著 三笠書房

 タイトルから、戦国時代の軍師の戦略からビジネスのノウハウを学ぶという類のビジネス本かと思ったのだが、実はただ単に戦国時代の軍師の紹介をしているだけの普通の歴史本だった。

 著者によると戦国時代の軍師はそもそもは出陣のための日取りを占ったり、祈祷的な行為を行う陰陽師的・呪術者的軍師から始まって、戦国末期では参謀的軍師に発展したとしている。そして前者の代表のような川田義朗(島津家の軍師)から後者の代表のような黒田官兵衛まで20人ほどの軍師を、その活躍を中心に紹介している。ナンバーツーの視点から見た戦国史という内容になっている。

 

10月26日(日) 天気 晴れ

 働けど働けど、我が暮らし楽にならざり、じっと手を見る。

 何やら毎日忙しいのだが、無意味に忙しいという気がしないでもない。報われることのない忙しさというのは精神的にもキツいものである。

 今回も例によって最近読んだ本を。それにしてもこのコーナー、だんだん書評みたいになってきた。

 

「こんな幹部は辞表を出せ」 PHP出版

 いわゆる管理職のためのマニュアル本である。では私のような平社員がこれを読むのはどういう意味か。これは私がこれから幹部社員を目指していくからと言うわけではない。会社員は誰でも上司がいると思うが、その手の内を知るためである。

 内容を読むといかにもどこの上司でも言いそうなもっともなことが並んでいる。しかし心構えと現実とは異なるので、その調整は常に必要であるということは忘れてはいけない。例えばこの本では常に自分の実力の120%の目標を設定すべしなどと書いているが、この景気低迷で現状維持も困難な情勢下で、こんな思想を成果主義に適用すれば、すなわち目標未達で評価は下がりっぱなしになることは間違いない。また人材を塩漬けにしないために3年をメドぐらいにローテーションをなどとこの本は言っているが、今日のように仕事が高度化かつ専門化している中では、これを実践したばかりに専門性の低い広く浅くしか物事を知らない使えない社員ばかりになってしまったという笑えない話もあったりする。つまり幹部たる者は、何事も鵜呑みにするのではなく、自分の状況に合わせてアレンジする心構えは常に必要である。

 なおこの本、文庫にしてはやたらに高いのにも関わらず、内容は極めて薄い。この辺りも金はあるが暇はない幹部社員向けか。

 

「子産」 宮城谷正光著 講談社 

 宮城谷氏の春秋戦国シリーズの新作。本作は博学で知られ孔子にも絶賛されたという鄭の宰相・子産が主人公である。

 一連の宮城谷氏の作品の例に漏れず、本作も子産の父親・子国の代の物語から始まる(実にこれに作品の前半を費やしている)。その中で子産がいかなる環境でいかなる理念を持って育ち、それが後のどういう施策につながるかということを生々しく描いていくのである。宮城谷氏の筆致は、子産を君主制時代の民主主義者として描いており、これがなかなか興味深い。この民主主義の時代に、民主主義を軽んじて独裁制を志向するような政治家が増えてきている現状への、一種の皮肉のようにさえ見える。

 タイトルは子産であり、確かに子産を中心とした作品ではあるのだが、前半部分の主人公が事実上子国であることや、子産がストーリーに登場し始めてからでも周辺人物の描写が多いために、作品全体が群像話的印象を受ける。そのために子産についてはあまり鮮烈な印象が残らないきらいがないでもないのが評価の分かれるところか。

 

 管理職ノウハウ本と宮城谷小説という支離滅裂な取り合わせである。この辺りは私の戦略性のなさか(笑)。

 

10月12日(日) 天気 晴れ

 どうも仕事の方で疲れている。現在は「目標管理」なる制度に基づいた中間評価の時期なのだが、はっきり言って、年功序列で能力と無関係に昇進したような上司に、部下の能力を評価しろということ自体が無茶である。私の上司にかかれば、目標管理というのは上司の思いつきで部下の仕事になんだかんだとケチをつけて評価を自由に下げれる制度になるらしい。私の場合、当初に設定した目標を一方的に実現不可能なレベルにまで引き上げられて、目標未達ということにされて最低点をつけられた。全く、自分の部下の評価を下げれば自分の評価が上がるとでも思っているのだろうか・・・。まあ部下に最低の評価を与えると、給料を下げれるのは確かだから、会社に貢献しているのかもしれないが。早くもっとまともな仕事を探さないといけない。

 仕事の愚痴を言っても仕方ないので、また最近読んだ本でも揚げておくか。

 

 「古代史の真相」 黒岩重吾著 PHP出版

 日本では未だに定説が確立しているとは言い難い古代史について、著者が自分の知識に基づいて推理も交えて大胆に解説した書である。

 ただ内容的にはかなりマニアックであり、読み手を選ぶといったところ。歴史マニアを自任しているはずの私でも、古代史の部分はかなり手薄であり、著者の説について検証することも判断することも不可能。かなり高度な知識を有する読み手でないとしんどい本だろう。

 

 「孫子・勝つためには何をすべきか」 谷沢永一・渡辺昇一著 PHP出版

 ひさびさに「はずれ」だと感じさせられた本。とにかくつまらない。

 まず「孫子」を名乗っていながら、肝心の孫子の兵法については常識以下のレベルの記述しかないのに落胆させられる。内容の大半は著者らによる太平洋戦争や明治時代に関する与太話であるが、強烈な偏見と思いこみのフィルターを通過しているため(何やら特異なイデオロギーに基づいているように思われる)、内容について分析不足・勘違いが多く、ほとんど学ぶべきところがない。何を読んだらよいのか不明な本だ。

 

 「華栄の丘」 宮城谷昌光著 文藝文庫

 一連の宮城谷氏による中国・春秋戦国シリーズである。著者は今まで孟嘗君や楽毅などかなりメジャーな人物を中心に扱っているが、今回の主人公は小国・宋の宰相の華元といったかなりマイナーな人物である(かくいう私もこの人物については、御者に肉を与えなかったために戦争中に捕虜になってしまったという特異なエピソードしか聞いたことがない)。しかし著者は事実と創作を織り交ぜながら、この小国と宰相を実に清々しく魅力的に描ききっている。あの戦国時代の狭間にも、いろいろな人物が各々の理念に基づいて生きていたのだということを思い起こさせる秀作。

 

 「小泉超暴言録」 鉄拳&FRIDAY編集部 講談社

 小泉総理も兄貴分である森前総理に負けず劣らず暴言・失言の多い人物だが、その小泉語録を集めることで、いかに彼が嘘つきで卑怯な人物であるかということを暴こうという書である。

 しかし内容的には、風刺というにはキレが悪いし、批判というにはトーンが低くどうにも中途半端な印象。それになんと言っても30分もあれば読めてしまうような内容に1400円という価格は高すぎ。

 

 今回は玉石混淆だったというところ。何やら私も乱読の様子になってきた。

 

9月22日(月) 天気 晴れ

 台風が近づいているとのことで、天気はよいのだが風が強い。おかげで今日はかなり涼しい。

 昨日は運動不足解消の一環で、プールとバッティングセンターをはしごしたのだが、そのツケがてきめんに体に出ていて、何やら体がダルい。年齢を考えずに無理をしすぎたようだ。30才までは少々無理をしても体が鍛えられる感覚があったのだが、30を越すと、無理をしすぎるとそれが覿面に体をこわす方向に向かってしまう。鍛えるためには労ることも必要なようである。

 さて今回も最近読んだ本を一冊あげておくか。またもPHP出版の本になってしまったが、これは私がよく立ちよる本屋がこれしか置いてないせいである。

 

 「30ポイントで読み解くクラウゼヴィッツ<戦争論>」 金森誠也監修 PHP出版

 孫子の兵法がビジネス書として脚光を浴びていたりするが、この本は西洋の兵学書として有名な戦争論を解説しようというものである。PHP出版らしく、戦争論を現在ビジネスにおいて役に立てるなどという主旨の宣伝が入っているのだが、内容的には単に戦争論の戦術面での解説ばかりであり、ビジネス書として読もうとした人は肩すかしを食らうのではないか。どちらかと言えば、戦史マニアなどが簡単に戦争論の骨子に触れるという目的の方がより近い本である。

 戦争論の著者のクラウゼヴィッツはナポレオン戦争時代のプロイセンの軍人とのことであるが、そのために戦争論の中身については、現代の近代兵器戦にはそぐわない部分がある(例えばクラウゼヴィッツは防御優位論を唱えているが、遠距離攻撃兵器の発達した現代では、明らかに攻撃優位の時代になっている)。また実例として出てくる戦争についても当然ながら古いものである。そこで本著書の筆者は独自にヒトラーの戦いの例を加えたりなどの追加を行ってたりして、現代人にも理解しやすいように配慮しているようである。

 しかしながらやはり一軍人が実用を想定して具体的に書かれている戦争論は、思想面その他においては孫子の兵法ほどの深みは感じられない。そういう点では応用があまり効かないという印象である。そのため、本書についてもあえてビジネスマンが読むべき理由は思い当たらない。

 

9月15日(月) 天気 晴れ

 どわーっ、週記どころかほとんど年記になってしまっている。前回の更新は去年ではないか・・・。確かに私のような普通のサラリーマンにとって、日記なんて書いたところでさして変化はないからな・・・。

 近況としては前回の頃とさして変化はない。仕事の方は相変わらずで、無用に忙しいが評価もそれに連動して給料もさっぱり上がらないという馬鹿馬鹿しい状況。こちらはいずれは大きな変化を迎えざるを得ないかもしれない。

 さて通勤が遠いせいで、通勤時には何かと本を読むことが多いのだが、最近読んだ本を数冊あげておくか。

 

 「上杉鷹山の経営学」 童門冬二著 PHP出版

 以前に出版されて童門氏の出世作にもなった「小説上杉鷹山」を要約して、さらにビジネス的教訓面を強くしたというような内容。童門氏自身もまえがきで言っているように「忙しいビジネスマンのための要約」というニュアンスが強い。

 童門氏の分析によれば鷹山の改革のポイントは、1.顧客満足度を向上させるということを徹底したこと 2.改革の目的を民の生活向上とし、基本的な考えに弱者救済の愛があったこと 3.情報を公開して、トップから組織の末端まで目的意識を共有化したこと などであるようだ。

 この観点から見れば、小泉改革なるものは、改革の目的が政府の財政再建にあって基本は弱者切り捨てであること、情報は官僚が独占して国民には何が起こっているのかが分からないこと、などを考えると今から失敗が約束されていると見ていいだろう(いや、そもそも小泉改革なるものは掛け声だけであって、本音では改革などしたくないのは明らかである)。

 書籍としてみた場合、本作は小説のダイジェスト部分が多いので、「小説上杉鷹山」を読んでいないもののそのエッセンスを知りたいという者には良いかもしれないが、小説の方を読んでいる者には改めて読むべき必要もない(実は私は小説を読んでいるのだが)。

 

 「2020年からの警告」 日本経済新聞社

 1997〜1998年に刊行された近未来予測の本を抜粋して加筆したものだとのこと。教育・社会・経済などの分野における日本の問題点について指摘している。

 この本を読んでいると感じるのは、2003年時点の日本がまさにこの本が指摘している危機の方向に一直線に進んでいるということ。適切な指導者を欠いたこの国は、まさに破局に向かっているのを感じさせる。ただ、だからといって個人レベルで何が出来るかということが辛いところなのだが。この本においても問題点は指摘しているが、その解決策は示されていない(簡単でないのは理解できるが)。気分が鬱の人は読まない方がよいかも。

 

 「養老孟司の<逆さメガネ>」 養老孟司著 PHP出版

 現代人は「利口な馬鹿」になってしまったとして、固定観念から離れて発想を変えて物事を見てみることを薦めている本。なぜ昨今の子供が駄目になっているか、なぜ大学生は馬鹿になるかなどを解説しているが、私としては「何を今更」というような当たり前のことばかりを勿体ぶって書いているだけという印象を受け、あまり面白いと感じられなかった。なかにはこれを読んでハッとさせられる人もいるのかもしれないが・・・。

 

 「男の論語」 童門冬二著 PHP出版

 孔子の論語(いわゆる「子曰く」ってやつです)の童門流解説書である。論語はどうも理想主義的色彩が強すぎるところがあるので、童門氏はそれをより現実に近寄せる方法をとりながらそこから人の生き方を導き出そうとしているのが特徴である。例えば孔子は、優れた行いを続けていればいずれは世間に認められて取り立てられるというような記述が多いが、童門氏によれば今日はそれほど甘い世の中ではなくて、やはり他人の手柄まで自分の手柄のように売り込む厚かましい輩の方が出世してしまうのが現実であるとし、やはりそれなりのアピールは必要であるというように補ってある。

 また孔子の人間としての側面に光を当て、高い理想を抱きながらもそれを果たせずに苦悩している孔子の姿を浮き彫りにしているのも興味深い。孔子の著から果たして現在に通じる生き方を導き出せるかには疑問のあるところだが、孔子という人物を知るためには興味深い著である。

 なお解説の随所で上杉鷹山のエピソードが出てくるのはご愛敬か。筆者はかなり鷹山に傾倒しているようである。

 

 行きがけに駅の中の書店で文庫本を買うことが多いせいか、PHP出版の本がやたらに多くなっているのはご愛敬である。教養の幅を広げるには、もっとバリエーションを増やしたいところである(PHP出版の本には有用とは思えるものはそう多くはないだけに)。

 

11月12日(火) 天気 晴れ

 このデフレ時代、活路を求めて迷走している企業も多いが、最近その迷走ぶりが目に余るように感じられるのがロッテリアだ。デフレの象徴のようにも言われたマクドナルドの安売りバーガーに席巻された感のあるファーストフード業界であるが、この企業もかなり苦戦しているのだろう。最初はマクドナルドの安売りに対抗して「平日半額」を打ち出していたのだが、昨今はそれも体力的にしんどくなったのか、ハンバーガーの味を変えてみたりなどの四苦八苦ぶりが目立っていた。そしてこのほどついに安売りを断念して、新たに打ち出した路線が「町の定食屋さん」路線。その皮切りとなるのがハンバーグ定食らしいのだが、これがまた最近のこの会社の迷走ぶりを象徴するような中途半端な代物である。

 まず価格設定が中途半端。500円という価格は、ファーストフード店の単価としては明らかに高すぎる印象を受ける。さらに量的にも、満腹になるでもなく軽いおやつでもなくといった中途半端なものである。しかもフォークで食べるスタイルの定食は、ファーストフードに不可欠の機動力もない。またこの商品はもろにファミリーレストランと競合することになるのだが、ファミレスとまともに争うには、ハンバーグ定食一品では明らかに力不足だし、日本においてご飯を選ぶことを出来ない定食など問題外である。そもそもオープン形式のファーストフード店で、落ち着いて定食を食べる気になる客などほとんどいないだろう。

 ロッテリアは以前にも「和風茶屋」路線を打ち出して、団子に茶を販売したりなどもしたことがあるが、不評だったのかいつの間にか消滅してしまった。不況知らずとも言われていた外食産業をも巻き込んでの空前の不況の下、明らかに経営陣が明確な路線を定めきれずにいるのだろう。この迷走ぶりが最後の断末魔につながらなければよいが。

 

11月3日(日) 天気 晴れ

 連休である。となるとここは一発レジャーをなどと言いたくなるのだが、残念ながら財布の都合がそれを許してくれない。この連休はレジャーよりは2年越しの懸案になっている部屋の大掃除の方が先決のようである。

 しかし大掃除をしようにも、見れば見るほどどこから手をつけたらよいか考えつかないのが私の部屋である。もはや小手先レベルの対応では事態の収拾は不可能になっており、抜本的な対策が必要であるというまるで今の日本の経済のような状況であるが、この惨状を前にしては事実上打つ手なしでただひたすら問題の先延ばしをしている私は、あの無能な小泉総理と同レベルのようである。

 とにかく収納に必要な用品を調達しようと買い物に出かけたが、結局は目的の品はほとんど入手できず、唯一入手できたのは床に這っているケーブル類をまとめるためのモールだけというお粗末さ。本当は急激に増加中のDVDを収容するための棚を作る板を入手するつもりだったのだが、私の探していた板は見つからず、一番肝心のものが手をつけられなくなっている。どうもここのところ買い物がうまくいっていない。

 

10月29日(火) 天気 晴れ

 前回は・・・先週の出張の時か。やっと週記のペースになっているようだ(笑)。

 ちなみに先週の出張は疲れた。家に帰ると11時を回っている。風呂に入って寝るのがやっと。それでも寝るのは1時すぎになってしまうから、翌日5時台の起床は辛い。これだから東京出張は・・・。帰りの新幹線の中では疲れ切って寝てしまったのだが、翌日出社して昨日の報告書を書いていたら、上司に「報告書なんかは帰りの新幹線の中で書くもんだ!」とお目玉を食ってしまった。私は仕事に対する姿勢がなっていないとのことだ。要はもっと24時間仕事漬けの生活をしろということらしい。しかし私はそこまでの給料をもらってはいないんだが・・・・。それに今でも、定時に仕事を終えても家に帰るのは8時前。ちょっと残業するとすぐに10時である。12時には寝ないととても5時台には起きれないから、既に十二分に仕事漬けの毎日のように思っているのだが、どうやら週末の休みがあることが気に入らないらしい。しかしこれで週末まで仕事につぶされると、精神の方がもたん。

 話は変わるが、原作付きのアニメで出来の悪いものは、「原作キラー」などとよく言われたりもするが、それよりもたちが悪いのはドラマである。最近はこの業界のネタ切れ状況を反映して、コミック原作のドラマが増えているが、今時の低レベルの制作者にかかれば、これらは原作のイメージに回復不能のダメージを与える「原作クラッシャー」とでもいうべき凶器に変わってしまう。

 ネタ切れのドラマ制作者にしたら、新しいネタを考える必要がない上に、コミックファンの人気を当て込めるというおいしさがあり、出版社の側にも宣伝になるという共存共栄のつもりだったのだろうが、最近のドラマのレベルでは宣伝どころか悪い先入観を抱かしてしまうのがオチである。私の記憶に残るところでも、安達祐実主演の「ガラスの仮面」などはかなりひどかった。安達祐実のわざとらしい演技も鼻についたが、さすがに超大根の姫宮亜弓には絶句させられた(姫宮亜弓は天才女優のはずなんだが、あれでは田舎役者以下)。

 今期も「天才柳沢教授の生活」や「逮捕しちゃうぞ」などがドラマ化されたようだ。私はこれらの原作が好きなので、「やめてくれ!」と言いたいのが本音。しかもこれらの第1話の一部をたまたま見た(夕食の時に、私の妹がつけていた)のだが、柳沢の方は松本幸四郎の直角歩きを見ていても退屈なだけの上に、やたらにカメラアングルを細かく変えたりする「陳腐な斬新系演出」が滑りまくっており、退屈さをさらに加速させている状況。原作ファンには見るに耐えない作品だが、このドラマを見て原作を読んで見ようと思う人間もいないだろう。逮捕の方は、配役がイメージに合わない(乙葉の頼子なんてどう考えてもミスマッチだし、長嶋一茂の中嶋に至っては絶句)のを除いても、車のシーンにスピード感のかけらもない、主役の二人がアクションが下手すぎなんていうのは致命傷ではないだろうか。

 それにしてもこの調子で、あらゆるコミックを荒らしまくられると、そのうちにこの国の創作界はペンペン草も生えない不毛の地になりそうである。いっそのこと、テレビドラマなんて止めたらどうだ? どうせまともなドラマを作れる人間なんて、数えるほどしかいないんだから。

 まあ私はテレビドラマなんて見る暇がないので、個人的にはどうでも良いことなんだが、ドラマを見て勘違いした人が原作のコミックまでつまらない者だと思ってしまうのは心情的に忍びない。

 

10月23日(水) 天気 晴れ

 今日は仕事の都合で東京に出張である。たまには気分転換になって良いのだが、ただ東京日帰り出張はどうにも疲れる(帰宅すると大体11時頃になる)のが辛いところ。

 私は朝は最寄りの駅まで車で行っているのだが、この時にまいるのが制限速度を無視した超ノロノロ運転の車。50キロ制限の道をせめて50キロ出してくれていれば良いのだが、中には30キロで走る輩がいる。本人は安全運転のつもりなのかもしれないが、こういう輩は朝の通勤時には他の車に嫌がらせをしているようなもの。そんなに走りたいのなら、頼むから昼のすいている時にでも走ってくれと言いたくなる。またこの手の運転手に共通しているのは、安全運転のように見えて実は全然安全運転をしていないこと。要は回りの車の状況を考えずにマイペースで運転しているだけなので、ろくに確認もせずに急に右左折したり、挙げ句が信号を無視したり、危ないこと極まりない。

 今日も実はこの手の運転手に引っかかってしまって、乗る予定の列車に乗り遅れてしまった。仕方なく次の列車を見ると・・・なんと次は30分近く後。地方の哀しさで、通勤時間帯をはずすと急激に列車の本数が減るのである。おかげで乗る予定の新幹線に乗り損ねるという羽目に・・・。

 新幹線の中でウトウトしてると、目が覚めると静岡。今日は天気が良いので、「もしかしたら」と思っていると、新富士で富士山の山頂だけが見える。今まで何度も東京出張をしているが、なかなかお目にかかれないのがこの富士山である。少しでも天気が悪いとまず雲で見えないし。今日のように天気の良い日でも、なぜか富士には雲がかかっていることが多い(山のせいで上昇気流が発生するのだと思うが)。富士山を完全な姿で見たのは今まで2回ほどであるが、予想外の大きさに結構感動するものがあったりする。

 富士山を見ていると思うのが、3000メートル級の富士でこんなに大きく見えるのだから、8000メートル級の山ってどう見えるのだろうかということ。どうしても写真などではこの大きさは実感できないのである。一度は生で見てみたいという気持もある。

 ただ富士山が他の山よりも厳粛な印象を与えるのは、回りに他の山がなく、単独で存在しているからということも大きいだろう。モーニング娘などの中にゾロゾロいる連中よりも、単独で存在しているアイドルの方が目立つ論理である。もっともモーニング娘の中にいるレベルの輩だと、単独になったときにどの程度の存在感を示せるかは疑問ではあるが(何の話だ?)。そう言えば、モーニング娘も独立とリストラがあったりなど、最近は生き残りのためにいろいろと大変なようである。これもご時世か(笑)。

 

10月17日(木) 天気 晴れ

 今日は直属の上司が二人とも出張という、仕事を進めるためには格好の条件(彼らがいると、突然の雑用で仕事の中断をさせられたり、意味不明の説教で意欲をそがれたりと、とかく仕事の能率が上がらない)だったのだが、こんな時に限ってトラブルに巻き込まれるものである。よりによって、仕事にメインで使っているソフトが動かないというトラブルに見舞われて、その対処だけで一日が終わってしまった。

 ことの起こりは、先週の金曜日、このソフトのメーカーのエンジニアがソフトのバージョンアップにやって来たことから始まった。午後に現れたサポートエンジニアなるY氏は2時間ほどでソフトのバージョンアップを行ったのだが、その作業の後、今まで使っていたソフトがすべて全く動作しなくなってしまったのだ。バージョンアップの時にシステムをいじったのが原因である。結局Y氏は8時頃までシステムと格闘した挙げ句(当然、私もそれに付き合わされたわけだ)、「私はこのソフトのことは良く知らないので(自社製のソフトのはずなのだが・・・)、帰って調査してみる」と言い残して帰ってしまったのである。おかげで今週は、私が自らシステムをいじくりまわしたり、ソフトメーカーの方に「ソフトのトラブルのせいで当部門の仕事が全面的に停止してしまっているから、早急に対処して欲しい」といった嫌がらせ催促のメールを送ったり、などの諸作業とUNIXとの格闘で終わってしまった。幸いにして、やっとシステムの復帰のめどは立ったが、この間全く仕事が進んでいない。私の上司は、自分がいないと私は全く仕事をしないと思っている人物なので、また私が上司の留守を良いことに仕事をさぼったと判断するだろう・・・頭が痛い。

 なおこのソフトメーカー(外国のメーカーである)は、今までサポート業務を国内の商社系の会社に委託していたのだが、今年になって日本法人を設立してサポート業務をここに一元化した。しかし十分なスタッフもいないままサポートを移行したので、結果としてほとんどまともなサポート業務をできなくて、この業界でも不満が渦巻いている。実際、私が参加した同業者の集会でも、このメーカーに対しての不満が続出で、「A社のサポートはヤフーBB並だ」という発言まで飛び出していた(年間数百万のライセンス料を取っているんだから、ある意味ではヤフーBBよりもひどい)。そもそもこんなおかしなことになってしまったのも、大型合併のせいで、この分野のソフトを扱うメーカーが事実上一社だけになってしまったため(もっとメジャーなジャンルだったら、間違いなく独禁法に引っかかっていただろう)。マイクロソフトの例を見ていても分かるが、一社独占状態になるとろくなことがない。競争のない資本主義というのは、ある意味では社会主義よりもたちが悪い。

 今週の日曜の200Xで部屋の片付け方について解説していたが、内容は、必要のないものは処分するということと、よく使うものは取り出しやすいところに置くといった極めて当たり前のこと。荷物の処分が可能なら、私の部屋も片づくことは分かっている。問題はそれを出来ないからなんだが・・・。現在、ビデオテープのデジタル化を計画しているが、計算してみると、もし1日10時間をダビングに費やしたとしても(実際には不可能だが)、2年ぐらい作業にかかる計算になる。これでは到底実現不可能。またビデオテープがDVDに変わったところでそう劇的に体積が減少するわけでもないし(確かに小さくはなるが)、今のメディアの価格を考えると、かなり予算が必要になるし、どう考えても実現不可能である。頭が痛い。

 

10月9日(水) 天気 曇り

 まだ風邪が完全に治っていないせいか、少々目眩が残っている。しかしこれ以上仕事を休むことは、残された有給休暇の日数と残された仕事の量が許してくれない。1日半ぶりに会社に出ると(月曜日の午前中出社したのだが、体調が悪すぎるので早退したのである)、大車輪の状態で滞っていた仕事の整理に追われることとなった。

 しかしこういう忙しいときに限って、他の用事が入ったりするものである。今日は我が社の健康診断の日であった。本来は私の番は昨日だったのだが、昨日は出社していなかったために今日に回されたのである。今朝は体調不良で寝過ごしたせいで、朝食を食べる暇もなく会社に飛んでいったのだが、実は胃の検査があったのでもし朝食を食べていたら受けられないところであった。ただ診断が11時からなので、それまで空きっ腹を抱えて耐えていないといけないのはかなり辛かった。

 それにしても何回やっても嫌なのがあのバリウムである。まあバリウム自体は昔に比べると飲みやすくなったが、あの時に飲まされる重曹がまた辛い。ゲップをしてしまうとアウトなので必死でこらえるわけなのだが、もともと胃の良くない私は(実は胃の不調で今まで何度か病院に運ばれたことがある。30才台にして既に2回も胃カメラを飲んだ経験があるのは私ぐらいではないか?)、ゲップをこらえていると吐き気を催してしまうのである。特に病み上がりの今日はかなり辛く。診察台でグルグル回されるうちに思わず吐きそうになってしまった。これだけ医学が進んでも、未だに胃の検診はあの方法しかないのだろうか。そもそも胃のレントゲンは、浴びる放射線の量もかなり多いわけだし、本当ならやらないに越したことはないのだが。

 

10月8日(火) 天気 曇

 週記の予定が月記になり、とうとう年記になってしまっている。下を見れば8月と書いてあるが、よくよく考えてみると、もしかして去年の8月ではなかろうか・・・。例によって仕事の愚痴が大半になってしまっているが、今になっても全く状況は変化していないどころか、むしろ悪化しているとは。

 ちなみに当社も来年から、一般社員に対しても目標管理制度なるものが導入されるようである。つまりこれからは上司のさじ加減で部下の給料さえ自由に増減できることになるということだ。組合での説明会で「では、評価する上司の側に問題がある場合はどうなるんだ?」と質問をぶつけてみたが、案の定まともな解答は帰ってこなかった。どこの会社でもあることだが、「成果主義」なるものは、大抵は会社側の賃下げの口実にすぎない。「お前は成果を上げていない」と言われると、特に研究部門などにおいてはまともに反論できる者はほとんどいない。そもそも研究なんて数年も成果が出ないことはしょっちゅうあるのだから。それにもし成果が出ても、その時だけ一時的に給料を上げて、次の期になるとまた「成果をあげていない」と言えばよいだけのことである。トータルで見ると確実に賃下げになるだろう。それにどうせ、管理職にはいかに自分の部下の給料を下げるかというノルマも科させれるのだろうな・・・。

 うちの会社でもそろそろ逃げ出す者も出ているようだ。このご時勢下に外に活路を求める勇気には感服する。仕事以外の才能に明らかに恵まれていた某先輩も、ついに会社を辞めてそちらで食っていくことを決断した模様。ただこの時代に果たして食っていけるのかは難しい。彼もアルバイトで食いつなぐことを覚悟しているとか。ローンまで抱えている私にはなかなか出来ない決意である。私ももう少し身軽なら、ライターか何かで食っていくことも考えるとこだが、残念ながら既に抱えているものが多すぎるし、それに最近は仕事ですり減っているせいか、肝心の文章力が低下しているのを感じており、しんどいところ。それに世間のライターは大体が第二種兼業ライターで、それだけで身を立てている者は、ごく一部のカリスマライターとでも言うべき連中だけである。自分の名前で雑誌の売れ行きが変わるぐらいの有名ライターでもない限り、まずそれのみで食っていくことは不可能。ましてや私のように年齢だけは高くて、経験は浅いし文章力も平凡なんて者は、こちらから積極的な売り込みをしたところでどれだけ仕事があるかどうか(大体私のスタンス自体が、「来る仕事は拒まないが、自ら特に仕事を探してはいない」のだから、これでは仕事などあるはずもない)。電車の中吊りの転職情報誌の「チャンスは向こうから歩いては来ない」という見出しが胸に突き刺さる。なかなか世の中は厳しいところだ。

 仕事の愚痴は書くまいと思っていたのにも関わらず、またも仕事の愚痴から始まってしまった。全く、このコーナーは私の愚痴日記か? 

 近況の方については、下でも「部屋が片づかない」と書いているが、よく見渡してみるとまだ片づいていない。そう言えば今まで私の人生を振り返ってみると、私は部屋が片づいていたことは今まで全くない。大きな器に移動したら少しは片づくかと思っていたのだが、私の荷物は既に器以上に増えすぎていたようだ。原因が、とにかく物を捨てられない私の貧乏性にあるのは分かっているのだが、どうもこの性分はなかなかどうにもならない。そう言えば、今度200Xで部屋の整理術を扱うと言っていたが、よく見てみるか。もっとも以前に同様のテーマはガッテンでも扱っていたが、うちの部屋は既にそう言った次元を越えていたからな・・・。

 イライラがたまると物欲だけが増大するのが世の常だが、今年に入ってから、私もとうとう2台目のPCを自作してしまった。今までは年間1台というペースを守っていたのだが、とうとうその枠もはずれてしまった。全く何をしているのやら。

 

8月11日(土) 天気 晴れ

 かなり久しぶりの週記である。しかしよく見てみると、週記どころか、月記を通り越して、年記になってしまっている感がある。

 前回の記述から半年ぐらい経つが、その間事態にほとんど進展はない。私は毎日の往復4時間の通勤に確実に体力を削られている。また前回に予想していたとおり、やはり私の昇進は見送られた。しかも今までは昇進見送りの度に、「作業着の下に赤いTシャツを着ているのは素行が悪い」とか「管理職にもっとも重要な仕事は部署内の調和を保つことで、例えば宴会の幹事などだ。お前は宴会の幹事をしていないから管理職の資格がない」とか意味不明の理由が付けられていたものだが、今回はなんの理由の説明さえもなかった。さすがに「俺がお前を嫌っているから絶対に昇進させたくない」という本音に対して、これ以上は理由をでっち上げようはなかったのだろう(今までの「理由」でさえもまともな理由にはなっていないのだが)。

 毎日長時間を通勤に費やした挙げ句、神経すり減らして仕事をして、その挙げ句にわけの分からん理由で不当な評価を受けるということを繰り返していると、何か人生を浪費しているという気がしてき、正直なところこんな仕事はすぐにでも辞めたいと考えてしまう。しかしこのご時世下(深刻な不況の上に、今回の自民党の圧勝でさらなる不況は必至である)ではそう簡単に条件の良い仕事など見つかるはずもない。今は、生活のための人生の空費だと腹をくくって我慢するしかないようである(それにしても無駄が多すぎるが)。

 さてプライベートの方であるが、未だに部屋は片づいていない(笑)。帰ってくると飯を食って寝るだけだし、週末になると疲労でへたばってしまって掃除どころでない。だから未だに引っ越し時の段ボール箱が10個ほど部屋に転がっている状態である。まずこの状況の打開が直近の課題である。

 また毎日4時間も通勤にとられると、ホームページの更新もままならない。毎日ビデオのチェックさえもままならない状態で、原稿を書いている時間がほとんどない。「教養ドキュメントファンクラブ」の原稿なんて、前日のビデオ録画をレッツにMPEG1で取り込んで、翌日の帰りの新幹線中で番組をチェックしながら書いているような状態である。だから最近の私の文章は自分で読んでも練りがかなり不足しているのを感じるし、かなり初歩的な記述ミスさえ散見される。明らかに文章レベルが低下しており、「粗製濫造」を戒めている私としては辛いところである。

 また毎日の更新に手一杯で、長文や企画ものの方がまるっきり進展していない。「千と千尋」のレポートも執筆していないし、「DOS/V奮戦記」用の文章は書きかけで未完成のまま、「半年遅れのミッドナイトチャンネル」「名作喫茶レトラーズ」などの大幅な改装予定や、「教養ドキュメントファンクラブ」の新企画予定も、いずれもプランのままで、実行の時間と体力がない状態(精神力というものもないが、これは見事に体力と連動することを感じている。長期の休暇などで体力が回復するとアイディアなども湧いてでてくる。)。このままだと、いつ実現することやら。まあ暇を見つけて一つずつ実現していくしか仕方ないが。

 今はとにかく時間が欲しい。私個人としては、今の自宅の近くにもうちの会社の工場があるので、そちらへの転勤を希望している。うちの上司もそんなに私を嫌っているのなら、さっさととばしてくれればよいのだが、とにかく「手」が足りなくなることを嫌うタイプなので、部下はとばすよりも飼い殺しにすることを好むようである。

 

2月17日(土) 天気 晴れ

 前回にも言っているが、週記の予定が月記になってしまいそうである。どうも毎日異常に忙しいのと、精神的にかなり疲れていることが原因である。

 引っ越ししてから私は毎日片道2時間の通勤を余儀なくされることになったのだが、これが私の想像以上に心身を消耗するものである。毎日4時間を通勤でつぶされるというのは想像以上に辛いものがある。いつも帰ってくると夕食を食って寝るだけで終わりである。それでもどうしても睡眠不足になる。

 仕事の方もかなり忙しい。このご時世だから早急に成果ばかりが求められるせいで、現実離れしたノルマばかりが設定されて頭がおかしくなりそうなのに、無能な上司がことごとく仕事の邪魔をしてくる。この挙げ句に多分仕事の遅れがすべて私の責任にされ、また今年も私の昇進は見送られるのだろう。実に馬鹿らしいことである。別に出世したいなどとは考えていないが、無能な上司に仕事の邪魔をされた挙げ句に、逆にこちらが無能扱いされるのだけは我慢ならない。サラリーマンの出世は上司次第だというが、まさにそれを痛感している。現にうちの上司についた部下は皆ことごとく出世が遅れている。救いがたいのは、彼がそれを「俺にはろくな部下が回ってこない」と考えていること。実態は、来る部下を自分が次々とつぶしているだけなのに。

 それにしてもうちの上司にはろくな者がいない。講習会の案内文を書いて出すだけに二週間以上もかける奴や(しかもその間の彼の仕事はそれだけなのである)、朝に言ったことが昼には変わってしまって、しかもこっちが報告したことは綺麗に忘れてしまう奴や、上から言われた仕事は何でもかんでも引き受けて、その挙げ句に部下の仕事量を考えずに丸投げにする奴や、「使えない上司」の見本市のような状態である。管理職の人材がこの程度ということには、うちの部署だけでなく会社全体の今後に暗いものを感じてしまう。

 どうも心身共に疲れてしまうと、愚痴しか出なくなってしまう。ただ、最近は公私共に明るい話題がほとんどないので、こうなってしまうのだろうか・・・。他人から見れば、家も建てて順風満帆に見えるかもしれないが、当の本人はそうではないのだ。

 

1月15日(月) 天気 晴れ

 週記どころか、一ヶ月以上も飛んでしまった。これはこの年末に私が引っ越しでてんやわんやしていたせいである。私はこのたび、大阪の独身寮を出て、郊外(かなりのはずれである)の一戸建てに引っ越した。

 しかしこれが大変だった。私の部屋は6畳間によくこれだけの荷物が入っていたものだと感心するような状態。当初は午前中に梱包して、午後から輸送で夕方には搬入が終わるはずだったのが、梱包だけで5人がかりで夕方までかかってしまった。おかげで荷物の搬入が終わったのは夜。しかも引っ越し先には数十個の段ボール箱が山積みの状態で、部屋で寝れるようになるまでに3日かかる始末(初日はクローゼットの中で寝て、翌日はクローゼットも塞がったのでリビングで寝た)。

 結局は私は21世紀を段ボール箱との格闘で迎えることになってしまった。その後、コンピュータの復旧、ビデオシステムの復旧、ルータの設定などの仕事に追われまくる羽目になる。2時間の通勤(かなり遠くに越してしまったから)と帰ってからの掃除でくたくたなのであるが、実はまだ部屋の片づけは完了していない。さていつになったら完全に片づくものやら・・・。

 

12月9日(土) 天気 晴れ

 引っ越しの日は12/18と決定した。ちなみに予算は16万円ほどだという(梱包もすべてお任せで)。これから引っ越しの準備も大詰めのはずだったんだが、ここでまたも風邪をひいて寝込んでしまった・・・。なぜ私の日記はいつも闘病日記のようになってしまうのだろうか?

 風邪が悪くなったそもそもの原因は、今週の頭から風邪をひいていたにもかかわらず、水曜日には東京出張に行き、木曜日には熱が出ていたにもかかわらず出入り業者の工事に立ち会うために出勤し、2時間残業したせいである。さすがに金曜日には完全ダウン。薬を飲んで寝込むことになる。午後から少し熱が下がったようであるので(薬が効いたのだろう)、実家に帰り、今日は実家の周辺で引っ越しのための手配をしていたらまたも熱がぶり返してきた。しかし部屋の掃除が・・・。

 またルータとパソコンデスクを実家の近くの店で調達する予定だったのだが、残念ながら実家周辺の電気店は品揃えが不十分。結局のところ日本橋から送らせることになった。また来週に日本橋に行かなければならない。

 しかし来週もまた仕事のスケジュールが目白押しである。何故年末はこうもわけもなく忙しいのか?

 

12月2日(土) 天気 晴れ

 今日は引っ越し業者が見積もりに来る日だったはずなのだが、朝にかかってくると言っていた電話が、10時になってもかかってこない。そこでこちらから電話をかけて確認したところ、なぜか登録されていないと言う。完全に脱力状態であるが、仕方ないので明日に見積もりの約束をとりつける。

 いきなりの予定変更を余儀なくされてしまったので、明日行うはずの日本橋訪問を今日に繰り上げる(ん?先週の週記を読み返すと、先週も日本橋に行ってるな。掃除が忙しいというのに・・どうも目前の課題から逃げ腰になるのが私の悪い性格である。)。

 今回の日本橋訪問はJoshinのセールを当て込んでのものである。私はJoshinを学生の頃から利用しているので、その頃から貯まりつもったポイントがかれこれ13000ポイントほどあり、今回の歳末セールではポイントを使った場合に30%分を上乗せするという特典を行っているので、このポイントで大体7万円ぐらいの買い物が出来るのである。私としてはこれは今回に使わないと損だと考えたので、以前から欲しいと思っていた三菱のVISEOを購入することにしたのだ。VISEOもこのたび新型が出ることになったので、従来型はかなり価格がこなれており、結果としては2万円ちょっとを足すだけで購入が出来た。

 これ以外の収穫としては、Sofmapの中古屋でLibretto100関係の周辺機器を入手できたことか。私は日本橋に出かけたら、習慣として必ずSofmapの中古コーナーを覗くことになっている(いわゆる巡回コースという奴である)。そして今日はLibretto20−100用長時間バッテリーとLibretto100用ポートリプリケータを見つけたので、即クレジット購入を決めた(私は以前からLibretto100の周辺機器を探していた)。しかしここで落とし穴が。クレジットで支払いを済ませてご機嫌で帰ろうとした私の頭に一つの疑問が横切る・・はて、Libretto100のバッテリーってLibretto70までと形が同じだったっけ? そこで展示してあったLibretto100とLibretto70のバッテリ接合部を確認する。するとどうも大きさが違うようだ。そこでさっき買ったバッテリーを取り出してLibretto100にとりつけてみると、ボディに入りはするのだがどうもコネクタに届いていないようである。結局、その場で店員に事情を説明して、バッテリーの方の購入は取り消しにする。

 今回は幸いすぐに間違いに気づいたので大きな問題にはならなかった。今回の間違いに気づいたのは、私は以前からあちこちでLibretto100の周辺機器を探しているときに、Libretto100は70までと互換性がほとんどないから機器の入手が難しいということを痛感していたからである。だからLibretto20−100用バッテリーという表示に疑問を感じたのだった。もしこれが家に帰ってから気づいていればかなり面倒なことになっているところだった。やはり日頃から情報には気をつけておくべきということか。バッテリーは残念だったが、今回はポトリを入手できたことでラッキーとしておこう。

 この後は、日本橋で開催されていた「BSデジタル展」を覗いていく。各社の最新鋭の機器が展示されていたのは興味深かったが、残念ながら、テレビ受像器40万円、チューナー10万円、ビデオデッキ25万円という価格はまだ異常に高すぎる。本格的にこれらを導入するためにはやはり価格が今の半分ぐらいにはならないと辛いところだ。

 

11月25日(土) 天気 晴れ

 開き直って、日記改め週記にして早速先週が抜けてしまった。と言うのも、先週は私は無理が祟ったのか風邪をひいて寝込んでしまったからである。つくづく体力に底力のない我が身が恨めしい。

 そういう次第であるから、先週の週末には荷物整理にメドをつけてこの週末には引っ越しの見積もりをなどという私のプランは、物の見事にズタズタである。おかげでこの週末まで荷物整理がずれ込んでいるうえに、まだ風邪が完治していないものだから、少し無理をすれば熱がぶり返すといった状態である。昨日の金曜日は有給休暇を取り、木曜日からずっと掃除をしていたのだが、一向に部屋が片づかない。そうこうしているうちに精神的にもかなり疲れてきたので、今日は気分転換と用事を果たすために日本橋に繰り出した。

 今回の日本橋訪問の目的は、パソコンデスクとダイヤルアップルータの見積もりと、とにかくやすいプリメインアンプを入手することである。

 現在の私は押入の襖をはずしてそこにパソコンを入れている状態なので、新居に移った後はパソコンデスクを導入する必要がある。そこでそのサイズ(家具の配置を考えるために必要)と金額を調べる必要があったのと、新居では家庭内LANを組んでISDN接続をする予定なので、そのために必要なダイアルアップルータのための予算策定をしていたのである。

 なおプリメインアンプについては、現在は私のオーディオシステムは実家に行っているのだが、実は私の愛用のアンプ(トリオのKA2200)は、なんと母のゲーム機につながれてゲーム用アンプと化してしまっているのである。そこでこのままでは私のアンプが取り込まれかねないとの懸念から、どうしてもアンプを新規に導入する必要に迫られている。しかしたかだかゲーム用アンプに多額の予算を投入する余裕はないので、日本橋の裏通りを回って、中古品(ビクターのミニコン用に使われていたと思われるアンプ)を仕入れてきた次第である。

 これ以外の思わぬ収穫としては、レコード店でLDのたたき売りに遭遇。キャシャーンのLDセット(多分中古)を5000円で入手。これはそれなりには値打ちものだと思う。

 昼から夕方頃まで日本橋を駆けずり回り、なんとか目的を果たして寮に帰り着いたのだが、気がつけば「気分転換」のはずが思い切り疲れて部屋に帰った途端にウトウトしてしまった。ハッと目覚めると未だほとんど片づいていない部屋の中。一体どうなるんだ・・・ああ、やっぱり頭痛い。

 

11月11日(土) 天気 晴れ

 今週は非常に疲れた。水曜日に東京に出張(東大の先生との打ち合わせ)、木曜日には午後からセミナーのため外出、さすがに金曜日には朝起きるのがツライほどくたくたになってしまった。しかもこの金曜日には私の直属上司が突然負傷休業(前日のスポーツ大会のバドミントンでアキレス腱を切ってしまったとか)、彼から金曜日提出予定の報告書に目を通して提出しておくように依頼されるが、この報告書を見てまた絶句。彼は「もうほとんど完成している」と言っていたのだが、フロッピーから読み込んだその報告書はとても完成からはほど遠い状態。主旨は不明だし、日本語もズタズタだし(「実験の比較的単純は自動化して」なんて調子の意味不明の文章が飛び出してくる)、結局は後輩のI君と顔をつきあわせて唸りながら、ほとんど作り直す羽目に陥り、この日の午後はこの作業だけでつぶれてしまう。

 このような疲れた週末はゆっくりと休みたいものだが、それも許されない。というのも、私は近々引っ越しの予定であり、そのための荷物整理があるのである。あまり立ち入ったところまで明かす気はないが、私は今まで住んでいた会社の独身寮の6畳一間から、郊外の一戸建てに移ることになったのである。などと言えば、結婚したのではないかと思われるだろうが、実はそうではない。情けないことに私は結婚の気配さえないまま、独身寮の定年を迎えてしまったのである(泣き)。来年の春に寮を出ていかなくてはならなくなった私は、会社の近くにマンションでも借りて引っ越すつもりだったのだが、震災で家を失くして地方で借家住まいをしている両親に「マンションの家賃なんて無駄金を使うなら、ローンを組んで地方に家を建てろ」と命令され(笑)、一戸建てを建てる羽目に陥った次第である。と言っても私の稼ぎでは大阪近辺に一戸建てなど建てられるはずは当然なく、片道2時間近くの長時間通勤を余儀なくされることになる事態に至ってしまったのである。

 それでなくても疲れる仕事なのに(肉体労働はないのだが、精神的ストレスが大きい。しかもこの精神的ストレスの大半は上司の能力と資質に起因しているのではあるが・・・)、こんな長時間通勤で体がもつだろうかとの不安もあるが、金がないのだからやむを得ない。それにしても親兄弟を食わせていくのに手一杯で、とても嫁さんもらう経済的余裕などないように思えるのがなんとも。

 多忙なうえに疲労がたまっている状態なので、引っ越しにはなるべく手をかけずに、いわゆる「引っ越し楽々パック」の類のお任せにするつもりなのだが、その見積もりを取るためにもまず部屋の片づけが必要なのである。現在の私の6畳間は、コンピュータ関係の資材やらビデオテープやら文献やらでかなり凄まじい状態になっており(もし私が何かの犯罪の容疑をかけられたら、テレビ局は私の部屋の映像を映してそれだけで私を犯人扱いするだろう)、このままでは引っ越しの見積もりを取ろうにも「どうやって引っ越しするつもりなんですか?」と聞かれそうでとても業者を呼べない。仕方ないのである程度の「常識の範囲内」にまでは片付けとかないといけないのだが、これが予想以上の大仕事なのである。しかし出来ればこの週末ぐらいに形をつけて、来週の週末ぐらいには業者から見積もりを取らないと、もう時間的には間に合わなくなってきている。疲れるだけでなくて、頭痛までしそうである。それにしても、いくら片付けても一向に片づいた気配がしない私の部屋って一体・・・。

 

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