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NTGサイクリングクラブ 2011年7月クラブラン報告
  付け替え前後の大和川を巡る  2011/07/03


 参加12人:森、秋田、岡、寺尾(L)、金沢、今井、山田、高野、大久保、東野、柴田

            クリックすれば大きな地図が出ます。→→
            以下、写真もクリックすれば大きくなります。

            本文中の( )内の番号は地図中の番号と同じです。
 昔、大和川は柏原から北向きに流れていたのをご存じですか。1704年に河内の英雄 中甚兵衛が今のように西向きに付け替えてくれたおかげで、河内平野の洪水がなくなりました。
 そのあたりはいろんな書物やサイトで紹介されていますが、和菓子店「松一」のサイトの「中甚兵衛ものがたり」にとてもわかりやすく書かれています。
 今回は、現在の大和川を西から柏原までさかのぼり、柏原から旧ルートに沿って走りました。
 集合場所の上本町(1)に着いてみると、蒸し暑いのにもかかわらず、すでにたくさん集まっていた[写真→]
 朝食代わりにパンやおにぎりをほうばる人たちの中、なんやその格好[写真→→]。植田だけサイクルウェアではない。
 走りすぎて股間を痛め、サイクリングはドクターストップのことで、今日はお見送りだけ。お大事に。
 計画どおり9:00に出発[写真→]。このまま南向きに走れば大和川に突き当たるはずだが、今日はテーマから外れるのを承知で、南海高野線の昔のターミナル、汐見橋駅に寄るので西向きに走る。
 ところが、そのコースを把握していなかった大久保、南向きに走ってしまい、しばらく本隊は待ちぼうけ[写真→→]となる。
 難波を過ぎてちょっと西、コンクリート造りの汐見橋駅(2)が忘れられたように建っている[写真→]。真下に阪神桜川駅ができて少し乗客がふえたとのこと。
 コンコースに入るとまず目に付くのが、改札上の大きな古ぼけた案内図[写真→→]。昭和31年に改築された当時のままの物で、真ん中が破れてきている。
 ひっそりした駅構内で、高野山へ行く観光客でにぎわっていた当時の模様を想像してみる[写真→→→]
 ここでのんびりしていられないので、9:30に出発。しばらく線路沿いの歩道を南向きに走る[写真→]。30分に1本の列車に偶然出会う。
 新なにわ筋を走るつもりが、なにわ筋に入ってしまい、しばし先頭を大久保、山田ご両人[写真→]に譲り、コースの修正をお願いする。
 住之江公園(3)を横断して、無事新なにわ筋に入り、10:15に阪堺大橋(4)にたどり着く。ここからのコースは大和川堤の自転車道だ。
 何度も走った道だが、舗装の照り返し[写真→→]がきつく、暑い。
 まもなく南海高野線の前でこの道はとぎれる。いつもなら街中の道にいったん入るのだが、今日は大和川を巡るとあって、強引に堤防の階段を担ぎで下りて[写真→]、河川敷のオフロードへ。
 結構通る人があり、踏み分け道ができていた。なんとママチャリにも出会ってしまった。
 生い茂る雑草にタイヤをとられながら、さらに阪和線の下をくぐり、再び階段を上って堤防上の道にもどる[ママチャリ→→]
 この堤防の中身は付け替え時のままで、当時の技術力の高さを示している。
 すぐに木陰でちょっと休憩[写真→]。梅雨の中休みで暑いので、水分補給が必要だ。
 ここから柏原市役所までフリーランだ、脚力の差で先頭と最後尾はあっという間に離れてしまう。走り慣れた道なので迷子の心配はないが、時々追いつくまで待ってやる[写真→→]
 11:20、柏原市役所(5)到着。ここが付け替えの始点、信号を渡った小公園に功績を記念して甚兵衛の銅像がある。山田[写真→]はその写真を撮りに。
 一方、そんなことはどうでもいい森[写真→→]は、おなじみソフトクリームにむしゃぶりついている。
 ここからは、北向きに進路をとり、今も残る玉串川沿いに走る。
 当時は川幅が広く、その右岸にあたる道を走る[写真→]
 途中で曲がる方向を間違えて、恩智川(旧大和川とは関係なく、生駒山から流れ出た水が北に向かって流れる川)に出てしまったが、高安で玉串川に戻る。
 道はその東より1m近く高く、何となく曲がっており、天井川であった当時を忍ばせる。
 一旦、玉串川から東へ外れ、東花園駅前の近商ストアで昼食の買い出しをする。
 昼食はそこから北へすぐの花園中央公園(6)。12:40、花園ラグビー場前の木陰のベンチで開宴だ。
 山田はおなじみの大きなパン、私はなぜかいつもにぎり寿司。総菜や果物を分け合って、いつもの楽しいひととき[キリンフリー→]
 満腹になって、13:30に出発[写真→→]
 玉串川が吉田川と菱江川に分岐していた花園駅前に向かう。この高くて細くてクニャクニャ曲がった道[写真→]こそ、現存しない吉田川の右岸だ。
 花園駅前からは吉田川の左岸だった道に沿って、ラグビー場前を過ぎ、中央大通りを渡ると今米公園(7)
 ここにも立派な甚兵衛の顕彰碑があるので、今日初めての記念撮影[写真→]となる。甚兵衛の生家跡もこの近くにある。
 次第に川があった面影はなくなっていくが、さらに旧吉田川の道を走っていく。
 14:10に住道駅(8)付近の寝屋川に突き当たる。
 当時このあたりには深野池があり、吉田川はそれに注いでいた。さらに西には新開池もあり、それぞれ干拓して寝屋川が残された。
 ここからは寝屋川左岸沿いに、狭い道を西向きに走る。
 ところがゼロメートル地帯なので、高い堤防が垂直に立っていて、川は見えない[写真→]
 14:50、終点の森ノ宮(9)に到着。
 下見をしていたのに時々道を間違えるなど、ご迷惑をかけたが、いかがだっただろうか。
 旧大和川については、もう少し調べてみたいと思っている。