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NTGサイクリングクラブ 22年12月クラブラン報告
  北大阪の古墳  22/12/11


 参加4名:北尾、岡、寺尾(L)、植田

            クリックすれば大きな地図が出ます。→→
            以下、写真もクリックすれば大きくなります。

            本文中の( )内の番号は地図中の番号と同じです。
 集合場所の豊里大橋(1)に30分早く来たので、もちろん誰も来ていない。ふと反対側の橋のたもとを見ると、あのおばちゃんが寝てる[写真→]ではないか。近くまで行って、こっち側に回ってもらった。
 あとは誰が来るかと思ったら、予想どおりプラス2人だけでおしまい。少ない方がリーダーは楽だ。9:00にスタートし[準備OK→→]、橋を渡って北側に向かう。
 今里筋線の上[この下に地下鉄が→]を、井高野(2)まで走る。
 番田井路に沿って[写真→→]走ったのち、安威川を渡る[写真右→→]と吹田市だ。しばらくJR京都線沿いに走る。
 千里丘駅(3)で線路をくぐり、住宅地をクネクネと上っていく。
 上り詰めたら新芦屋地区、実は1978年に開発するまではこの一角(4)[写真に写っていない右側→]に新芦屋古墳があったのだ。
 発掘後完全に取り壊されたが、出土品は市立博物館で展示されてるらしい。
 一挙に下って、車の多い府道14[写真→→]を走る。
 名神に沿って少し走り[写真→]、茨木ICで府道110にのる。勝尾寺川を渡ってからぐるっと方向転換して、茨木市耳原(みのはら)[左が耳原公園→→]へ。
 10:20、このあたりからぼちぼち古墳探索を始めよう。
 住宅街の一角に、ひっそりと小山がある。鼻摺(はなずり)古墳(耳原方形墳)[写真→]だ。
 隣接した元帝人研究センターの広大な空地の中に、こんもりと木が茂っている。今は入れないが、これが耳原古墳(5)[写真→→]だ。
 何度か走った西国街道に出て少し東に走ると[写真→]、太田茶臼山(おおだちゃうすやま)古墳(6)がある。
 この辺りでは唯一宮内庁が整備している古墳で、実は違うらしいが継体天皇陵と伝えられている。古市百舌鳥古墳群でよく見た雰囲気の、住宅地の中の古墳だ。直立不動で記念撮影[写真→→]しておこう。
 高槻市に入り、再び山側にあぜ道を走ると[写真→]、小高い丘に大きなマンションが見えてくる。この麓にあるのが新池(いんいけ)ハニワ工場(こうば)公園(6)だ。
 5〜6世紀のハニワ工場が、斜面に復元展示[写真→→]されている。
 もう少し東に進むと、丘のある広い公園が見えてくる。今城塚(いましろづか)古墳公園(8)だ。
 どうやらここがほんとの継体天皇陵らしい。しかし宮内庁の管理下にないため公園として整備されている。家族連れでにぎわっていて、なんと墳丘[写真→]まで登ることができる。
 復元された埴輪祭祀場にはたくさんの可愛いハニワが並び[写真→→]、人気スポットとなっている。
 11:30、お腹が空いてきたが、もうしばらく西国街道を走ろう[写真→]。2km走って府道67に移ると、短いトンネルの小山がある。
 これはただの小山ではなく、昼神車塚(ひるがみくるまづか)古墳(9)[写真→→]だ。
 府道を造る時、前方後円墳の前方部は切り取る計画だったが、住民の反対でトンネルを掘ったものだ。
 次は昼食だ。西国街道をさらに東に走り、旧高槻電車区の東端を地下道でくぐると[写真→]、安満(あま)遺跡公園(10)がある。
 カフェもあるが、我々庶民は少し先の万代(11)[写真→→]で弁当を買うことにする。
 公園に戻り、12:15、晴天の下で弁当を広げる[写真→]
 広い敷地の新しい公園は施設が充実し、たくさんの家族連れでにぎわっていた。
 ここは弥生時代の水田の遺跡らしいが、目立たないのでどこにあるのかよくわからなかった。
 お腹がいっぱいになったころには曇って寒くなったので、12:40にお開きとして午後のサイクリングをスタートすることにした。
 R171から檜尾川(ひおがわ)の土手[写真→]を淀川に向かって走る。車がすり抜けていくので、気をつけないといけないね。
 淀川に下りたら走りなれた道だ[バリケードは、いややけど→→]
 順調に走って、豊里大橋(1)[写真→]に帰ってきたのは14:15。
 走行距離は49.7mkだったけど、もっと長かったような気持ちだ。古墳シリーズ第3弾はこれにて終了、お疲れ様でした。