「阿部薫 1949-1978」(文遊社)にはかなり詳しい年譜がまとめられてます。 この本を参考に独断と偏見をもって非常に簡単にまとめました。 阿部の演奏活動については、一般的に目立っていると思われるもの以外触れてません。 1949年 5月 3日 神奈川県川崎市にて産声を上げる。 1959年ごろ 父親のレコードよりジャズに親しむ。 1965年 横須賀米軍基地で黒人とジャムセッションを重ねる。 1967年 1月24日 高校を2年で中退。 「学校で習うことはない。無意味」との理由。 1968年 川崎市「オレオ」にデビュー。トリオ編成。 1969年12月ごろ 山下洋輔トリオへの参加要請を拒否(翌年夏より、乱入は繰り返す)。 1972年夏 関西テレビ「ナイトアップ」に山下洋輔トリオとともに出演。 8月17日 映画「1972年、阿部薫ソロ」(高木哲)撮影。(現存しているらしい) 1973年夏 鈴木いづみとの出会い。婚約も。1976年長女誕生。1977年離婚。 (「鈴木いづみ」については今のところ言及する気はないので、詳細に ついては「鈴木いづみ 1949-1986」(文遊社)を参考にして下さい。 阿部薫を深く追求したい人は必読です) 1976年 5月 近藤等則、坂本龍一らと共演。音源が残っているらしい。 1977年 9月30日 竹田賢一のコーディネートにより「騒」(がや)に出演開始。 音無き「音」を出していた。(どういうことだったのか?) 1978年 5月26日 映画監督若松孝二との出会い。「十三人連続暴行魔」出演、音楽担当。 9月 9日 事故による急性胃穿孔のため死去。享年29歳。 (当時は、身長163cm、体重43kgだったらしい)
天才の人生は往々にして破天荒なもの。 若干急ぎ足のような気がしますが、明確に目的のある人生を歩むとはこういうことを言 うのでしょうか?
--1997.01.02 初版作成--