阿部薫について・・・

恵川忠典

 阿部薫との出会いは「またの日の夢物語」のCDで、その出会いは本当に偶然であ った。

 PSFからCDがリリースされ始めて間も無い高校2年生のころ、アルバートアイラーやコルトレーン、アーチーシェップ等の黒人Free Jazzに感化され、より強力なJazzを求めていた 時に、CD屋で薦められたのがこのアルバムだった。それまで、日本のジャズに懐疑的 であった私が店員の薦めに素直に従ったのは今では不思議なことのように思え る。

 阿部薫?・・・。今迄にそんな名前を聞いたことはなかった。 しかしそんな不安もスピ-カ-から最初の音が出た途端、一気に吹っとんでし まった。

 吹っとぶという言葉がこれほど似合う演奏はそうそうないだろう。

「俺はイスに向かって吹いているんだ」という言葉を残しているらしいが、 まさしくその通りの演奏。一気に1曲目が駆け抜け、周りの空気が冷気を帯び ているのを感じた。これまでに聞いたJazzの演奏とはまるで次元が違う。 黒人贔屓だった私は日本人にしか出来ないJazzがあるのだと目から鱗が落ちる 思いだった。 特に2曲めの「レフトアローン」のテーマが出てくるあたりは、何度聞いても鳥肌が立つ。 「アカシアの雨がやむ時」も素晴らしいがこの演奏も私の中では白眉の一つだ。

 それから阿部薫の演奏をCDで何枚も聞いたが、その後に残るのはいつも 「日本人に生まれて良かった」というまぬけな感想だ。 日本人がどうあがいても黒人Jazzが出来ないように、彼の演奏のリリシズムは外人に は決して理解できまい。

 ミルフォードグレイブス、デレクベイリーらと共演したアルバムを私は聞いたことはないが、 果たしてどんな演奏になったのだろうか?彼らは阿部薫のリリシズムに呼応した演奏 を果たして成し得たのだろうか・・・?

 ところで私は個人的に晩年の演奏は理解できない。一般的に「緊張感の張り詰め た間」と形容される晩年の演奏だが私にはその間が本当に計算された間なのか 疑問である。ただ単に私のセンスを遥かに超えた演奏なのだと言われればそれまで だが、騒の10枚組も1回聴いたきりで、棚の奥にしまってある。

 やはり私にとっての阿部薫は、高校生のときに聴いた「またの日の夢物語」のイメージと勝手にイコールで結んでしまっているようだ。 高校2年の頃からアルトサックスを始めた私は「阿部薫のようなサックスが吹きたい」 と知人に相談し、「あの音を出したければ阿部薫と同じ生活を送るしかない」 といわれ、一緒に苦笑いしたことがある。とても無理な話だ。

 やはり彼の存在はあの時代が必然的に生み出した天才なのだろう。

 徐々に軟弱化していく時代に対して、阿部薫の存在は不協和を生み、それに気付 いた彼は時代の波に身を任せ死んだのか。

 それゆえ今の時代から彼のような天才が出現しないのは必然的なことであり、 彼のような天才の出現は絶望的であろう。


恵川忠典さん
 山口県下関市出身でいまは神奈川県川崎市に在住。某大手家電メーカーにお勤め。阿部薫が亡くなったころはまだおしめをしていた(らしい?ゴメンネ)阿部薫ホームページ創設直後からいろいろ私に情報を提供して戴いています(大感謝)。

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--1997.11.28 初版作成--