阿部薫、ライブの思い出

キャノンボール林

 サイトのトップページに貼って頂いた、ジャズ喫茶アイラーでの阿部薫ライブ・チケットは77年のもの、という事ですが、私が初めて阿部薫を聴いたのは76年(場所は同じくアイラーにて)の爽やかな時候でした(何月だったかは覚えていませんが、札幌が爽やかな時期というのは6月か9月頃ではなかろうか、と思います)。

何故、季節が爽やかだったと記憶しているかと言えば、ライブの前日か、前々日に、ジャズ喫茶アイラー常連チーム(文芸らーめん同人+アイラー常連チームだったか?)vs水産学部1年生チームでソフトボールをして、ビールを飲んだりしたのですが、その時の空気が、すこぶる晴れやかで、木々もとても瑞々しく青々していて、兎に角、気持ちよい一日だったのを良く覚えているからです。

私は当時、北二十七条に間借りをしていて、アイラーは北二十四条駅からの帰宅途中にありましたから、既に、何度も足を運んでいました。しかし、サックスソロで行われるライブ、というものについて、面白いのかどうか、不信感があって、行ったものかどうか決めていませんでした。切っ掛けがなければ、行かなままだったかも知れません。その切っ掛け、というのが、この時のソフトボールです。終わった後、木陰でビールを飲みながらの歓談中、アイラーの真理子マに口説かれて、私を含む、水産学部一年生の数名が、数日後に行われるというライブに行く約束をした、というのが切っ掛けでした。

あの爽やかな北海道の空気と緑の中での約束が、異世界への入り口に繋がっていたと言う落差も、今にしてみれば、不思議な縁です。

ジャズ喫茶アイラーは地下鉄北二十四条駅の至近にある、雑居ビルの中にありました。阿部薫は、音を出す直前まで、その雑居ビルの廊下に出ていました。その時の彼の様子は、どう表現して良いのか分からないと言うか、現在も過去も私が『そのような姿でいる人を見た事がない』という意味で、見た事がない姿でした。『気の触れた人のよう』と言って言えなくもないかもしれませんが、それもやはり間違っているように思われます。孤独の中で爪を研いでいる(神経を研ぎ澄ませている)『けだもの』という風情があったようにも思えますが、疲れて怯えていて、それで人を遠ざけているような気配もありました。もしかすると、膝を抱えて小さくなっていたかも知れませんが、記憶が定かでありません。

今、彼の姿を写真で見ますと、間違いなく二回に渡って観た彼なのですが、何か別人のようにも思えます。というのは、写真で見る彼は、意外にも端正な顔立ちをしているのですね。それは、あのライブの時に見た彼と全然別人のように思えるのです。その時の彼は、年齢さえも不詳のように思えました(もしくはそのような印象を私に残しました)。

小さな場所で演るとき、普通のミュージシャンは、音を出す直前まで、おおむね客と同じ空間にいて、店の人を相手か、仲間を相手か、もしくは常連の客を相手か、なんか喋っていたりして、さあ、開始だとなると、おもむろに前に進んで音を出し始める、って塩梅だと思います。しかし、阿部薫は音を出す直前までは、薄暗く、寒々として殺風景な雑居ビルの廊下で、独り、別世界から来た人になっていて、それが、店に足を踏み入れると、一言も喋らずに、ぶぉーと重低音を発するのですから(それはアルトの音域とは思いがたい重低音だったように記憶しています)、私は、『異世界』から来た人に、一瞬にして、異世界に連れ去られてしまい、阿部薫の音が溢れる空間で、私もひととき、別人になってしまうような、そんな体験でした。文字通り『体験』であって、『音楽を聴く』という事とはちょっと違っていたようにも思えます。

何か彼も喋ったのかも知れませんが、全く記憶に残っていません。二言三言を私の同級生と交わしているのを見たような気もしますが、何を話していたのか、全 く覚えていません。しかし、サックスを吹いて、眼前に屹立していた彼の姿と、その太い音は鮮明に記憶しています。

二回に渡って聴いているのですが、そのそれぞれに別個の印象があるのではなく、そのどちらもが、そのような光景だったと思います(二回目の時には同級生達 はいませんでしたが)。私の中では、二回の印象が混沌と混ざり合ってしまっています。ただ、二回目の時には、ひょっとして、この人、相当に体調が悪いので はないだろうか、と思い、そんな話をアイラーの真理子さんにしたような気がしますが、定かではありません。


キャノンボール林さん
 神戸近辺で活動されているジャズ・ギタリスト。
 某有名フリージャズミュージシャンとのセッション歴もお持ちです。
 詳しくはこちらへ。http://www.asahi-net.or.jp/~fy7y-hys/index.htm
 

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--2003.12.23 初版作成--