阿部薫の記憶

神戸在住の松島さん

 神戸在住の松島と申します。偶然このHPを知りました。
 私が阿部薫をはじめて聞いたのは、たしか77年西武パルコでのミルフォード・グレイブスとのライブでした。 でもそのとき、阿部薫の音は私にはあまり届いてこなかった。むしろ梅津和時の音のほうが印象にのこって います。
 78年、関西の大学に入学しました。何かの雑誌で京大西部講堂でデレク・ベイリーと阿部薫、高木元輝らの ライブがあること知り、参加しました。その場で、私は死ぬまで、おそらく常に意識の底に焼き付けられられる 「音」を聞きました。かかえこむような低い姿勢から、一気にアルトを高く高くさしあげる。音の洪水がふり かかってきました。光り輝く水晶の破片が、激流となってアルトからふきだしていました。最後は一歩一歩、 踏みしめるような低音域の繰り返しでした。アルトを抱きしめるように、体をかがめて最後の一息を吹き終えた 阿部薫の姿を忘れることはできません。
 78年の夏、神奈川の「ストレンジ・フルウツ」というジャズ喫茶で最後に阿部薫を聞きました。私に阿部薫の 存在を教えてくれた高校の同級生(彼は東京で美大の浪人中でした)といっしょに行きました。 阿部薫は少しおくれてアルトをもってやってきました。めがねをかけて、青年と老人の入り混じった顔をして いました。阿部薫は期待していたアルトをほとんどふいてくれませんでした。ウォーミングアップで例の音を 少し聞かせてくれたけれど、「反響が気になる」というとアルトをさっさとしまってしまいました。 かわってピアノとハーモニカを聞かせてくれました。でたらめもここまで真剣だと本物になると感じました。 美しかったと思います。
 演奏が終わって、いろいろ雑談しているうちにセッションになりました。その場には私ともう一人アルトを やっている人がいました。阿部薫は腹式呼吸の仕方から、ウォーミングアップのやりかたまで、何でも 教えてくれました。腹筋の実演もありました。「マウスピースはセルマーのメタル。リードはリコロイヤル の3+1/2。かたいリードに息をはやく吹き込むといい音するんだ」といいました。 そのジャズ喫茶には楽器がいろいろあって、阿部薫はベースを弾きました。私はクラリネット。もう一人の アルト吹きが、阿部薫のアルトを吹きました。あとマスターその他数人いたと思いますが、よく覚えて いません。「音を少なくしてやろうぜ」という阿部薫の言葉が今も心にのこっています。 セッションの最中、阿部薫はよくわからない錠剤を水割りで流し込んでいました。今思えばブロバリンです。 朝、おきたときには阿部薫はもういなかった。朝日がまぶしかった。いっしょにいたお客が「やっぱりあんなの プロじゃねーよ。俺たちはやつのアルトを聞きにきたんだ」と文句をいっていました。 私と友人は、だまって駅に歩いていきました。
 
 



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--2000.12.10 初版作成--