2000年9月9日 カフェ・パスタンにて
奥野哲也
仕事が終わってパスタンに着いたのはちょうど20時。
店の中を覗き込んでみると、電話中の松阪ママらしき人と40半ば?の男性が一人だけ。
・・・
どうやら追悼会は終わっている様子。まさか無かったのでは?と疑ってしまう程。
少し心配になる。ここまで来たのだからタダでは帰れまい、挨拶だけはして帰ろうと、意を決して店の中に入る。
小さくはない音量でスピーカーから「阿部薫」が聞こえる。
やはり追悼は続いているのだと、取り敢えずホッとする。「あのー、奥野ですが・・・」
「もう、終わっちゃったわよ!」と受話器片手のママ。電話は終わりそうになかったから、ママが男性(久野さん)にビールを出すように頼んでくれた。
喉が渇いていたのでビールが美味しかった。「今日は何の日だか忘れてはいないでしょうねぇ!阿部さんの命日よ!」とママが電話の相手に言っている。
今でもママは阿部薫を愛していることが十分に伝わった。私はここ来られて良かったと思った。
テーブルの上にはビールやワインの空瓶と料理の残り。
久野さんにいろいろ聞いてみると、追悼会は15時頃から始まって19時頃お開きになったとのこと。
私はいろいろ事情があって間に合いそうに無かったが、とにかく悔いが残った。そうこうするうちにママの電話が終わり、改めて挨拶する。
しばらくビールを口にしながらいろいろ話す。私がビデオを買っていないことをママが思い出して、それを見ようということになる。
ママがビデオの準備をしている間、私の既成観念が原因なのだが、なんともいえず恐くなる。
CDだけを聴いて感じてきたことを、映像がすべてをぶち壊してしまうのではないか、という恐怖感。「ちょっと恐いです」と口が動く。
想像したよりずっと鮮明な画像で、動く阿部薫がブラウン管に写し出される。
しばし釘付けになる。
涙が頬を流れた・・・ような気がした。
実際には流れてはいなかった。溢れ出すぐらいの感動があった。
深い感動とともに様々なことを思い巡らしている不思議な感覚も味わった。
阿部薫を見ながらいろいろ言葉が浮かんでは消えていった。これが阿部薫なのか。
大きな振りでサックスを死にものぐるいで演奏している。
時々上目になる。次に来るべき音を連れ出すために異世界を見ているかのように。今までの写真などでは分からなかったが、演奏中の引き締まった顔が阿部薫のすべてを表している。
限りなく純粋な演奏行為。
いや、闘いでしかありえない。
天才。改めて確信した。
そして、この演奏をした場所がここなのだ。
ここに来れて良かった。
ある演奏が終わったそのときである。
ぼそぼそとした声が聞こえた。
あっ!阿部薫の声。初めて聞く阿部薫の声なのだ!
ほとんど唇を動かさず、ボソボソと客に向かって喋っている。
「今日は始まるのが遅くなったにもかかわらず、こんなにたくさんの人が来てくれてありがとう・・・明日はもっといい演奏をするので、明日も来て下さい。」
(続く)
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