おもなレパートリー

vremia
 ブレーミアの60数曲のレパートリーの内、ほんの一部ですが、ご紹介します。

「この国中に」
If I Had AHammer
50年ほど前のアメリカのフォークソングです。民主運動などの抑圧が激化していく状況のもとで、ウィーバーズというグループが作りました。後にピーター、ポール&マリーなどのほかの歌手によってもヒットするなど、フォークソングのスタンダードとも言える曲です。

「わたしが一番きれいだったとき」
IMAGINE
「わたしが一番きれいだったとき、わたしの国は戦争に負けた。そんな馬鹿なことってあるものか」というこの詩は、敗戦から10年くらいのちに茨木のり子が発表しました。歌にするためにつくられたものではないと思いますが、何人もの人が曲を付けているインパクトのある詩です。私たちはジョン・レノンの「イマジン」にのせてつくってみました。

「陽はいつか昇るだろう」
I Shall Be Released
原曲はボブ・ディラン。多くの歌手によって歌われてきているフォークソングのスタンダードナンバーといってもよいでしょう。現代的な意味を込めて詩をつけてみました。

「ばら」
The Rose
若くして世を去った歌手ジャニス・ジョプリンをモデルにした映画「ローズ」のエンディングテーマ。「迷いの中でも光を求めよう」という主題が私たちの気持ちにもよくあって、最近、どのステージでも歌っている曲です。

「牛追いの歌」
アメリカ民謡
訳詞・編曲 合唱団ブレーミア
今から100年少し前、アメリカはテキサス州。見渡す限りの荒れ野原、猛牛の群を追い立てて走るカウボーイたちが歌っていたのがこの歌。この牛たち。その数ときたら一群3000頭くらいが普通だったというから、カウボーイも楽じゃないですね。馬の足音、鞭の音、荒くれ男の罵声、その裏に響いてくるのは遠く離れた故郷への思いでしょうか……。

「父ちゃんは豚箱の中」
作詩・作曲マルビナ・レイノルズ
訳詩 阪大ニグロ
「過激な黒人運動家」のかどで、警察に父親を連れて行かれた子どもの話です。黒人が白人と同等な人間であると主張することが犯罪とされ、警察権力が積極的に人種差別を擁護していた時代のアメリカでつくられました。理不尽な力でにねじ伏せられた子どもの悔しさ。これはアメリカのことに留まるものでも、人種差別のことに留まるものでもないかもしれません。

「アンヘリータ・ウェヌマン」
詩・曲 ビクトル・ハラ
南米チリの寒村。そこに住むインディオの機織りの姿を歌っています。古く先祖から伝わる方法で美しい布を織りあげていくその姿は、まるで魔法を見るかのようです。チリの新しい歌(ヌエバ・カンシオン)の先導だった、ビクトル・ハラの作品です。

「やんばるの歌」
詩・曲 知名貞男
沖縄の女性グループ「ネーネーズ」の歌です。原詩は沖縄の言葉「ウチナーグチ」でしたが、わたしたちなりに訳してみました。子どものころに見た母親が苦労して働く姿は、何かしらまぶたに焼き付いているものです。懐かしい響きの曲。

「サマータイム」
Summertime
曲 ジョージ・ガーシュウィン
原詩はガーシュウィンとヘイワードによります。この曲はオペラ「ポーギーとベス」の中で歌われる子守歌。舞台では貧しい黒人の母親によって歌われるこの歌、ジャズのスタンダード・ナンバーとしても有名です。

「サンライズ サンセット」
Sunrise Sunset
原詩はシェルドン・ハーニック、作曲はジェリー・ボック。ミュージカル「屋根の上のバイオリン引き」のナンバーです。帝政ロシアの片田舎、貧しいユダヤ人の村でつましくも暖かい結婚式の場面で歌われます。訳詞は阪大ニグロによるものです。

「蚤の歌」
曲 ムソルグスキー
ロシア5人組の一人、ムソルグスキーによる歌曲で、原詩はゲーテのファウストのロシア語の訳からとられています。もともと独唱用のこの曲を私たちは合唱に仕立ててみました。ちっぽけな蚤に翻弄される人々の滑稽な姿は、どんな時代にもみられるものかもしれません。

「ウォルシング・マチルダ」
オーストラリア民謡
観光地として私たちにもなじみ深いオーストラリアでは、国歌のように親しまれている愛唱歌です。規則や法律に縛られることをきらい、たくましく生きている風来坊の姿がコミカルに描かれています。なおマチルダとは、風来坊が持ち歩く、ずだ袋のことです。

連絡先:橘 大志 taishi@yo.rim.or.jp