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投稿日: 2006/09/05(Tue) 01:20
投稿者斎藤
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タイトル倉田百三「治らずに治った」について

作家の倉田百三がその昔、神経症を患い森田の所に入院した。退院する時に「治らずに治った」の名言を吐いて森田を後にしたが、これがその後森田療法を経験した人の間で話題になっている。

森田療法は厳格に動きを追求する。その動きも単なる動きでなく、気配り、工夫を凝らした緊張した動きである。指導者の号令のもとに指定場所に飛んで行くことを要求される。それもその場所に必要なものを携えて、指導者が何を望んでいるか、次に何を指令するかを先読みして行かないと指導される。だから入院者は神経を何時もぴりぴりさせている分けだ。

朝、洗面をする時には水を床にこぼさないように、人が横で洗面している時はその邪魔にならないようにするように注意される。食器を洗う時、皿の洗い方、箸の洗い方まで指導する。植木の消毒の時は、農薬の噴霧はどの場所をどの程度噴霧するか、噴霧した霧が周りにかからないようにと細心の注意を要求する。しかも、ノロノロやってはいけないから入院生は院内を走り回る事になる。森田療法に上手く適応できた人間は、退院する頃には、入院時とは打って変わったきびきびした動きをする人間に生まれ変わっている。

退院する時には見送る職員、看護婦が「いやー、何々さん、貴方は見違えるほど良くなりましたねー」と声をかける。かけられた本人は気持ちが複雑だ。実は無為療法から見るとこの人達は治ったのでも何でもなく、強制的に動く訓練を身に付けただけであって、強迫観念の排出源はそのまま残っている。強迫観念は見かけ上、封印された状態で退院するだけだ。言わば歯の治療で痛み止めの注射を打っただけの状態に近いから、周りが変わったと言えば、治りとはこんなものかの複雑な気持ちで「治らずに治った」と言わざるを得ない。

この「治らずに治った」は倉田百三の専売特許ではなくて、厳格な森田療法を受けたものが退院する時に等しく言う言葉なのである。私も、鈴木を元気良く退院して行く人から、同じような感想を聞いたものだ。「入院した時と全然気持ちは変わらない。ただ、動きが活発になり、忘れている時が多くなった。だから治ったと思いたい」これが本音である。倉田百三は有名な文学者である。しかし彼も神経症を患うごく当たり前の患者であり、もう一人の治らずの神経症者であった。退院した倉田は恐らく生涯神経症は解決しなかったと思う。

そこで「治らずに治った」を反対側から焦点をあてて、輪郭をすっきりさせよう。無為療法で治った人達はこうは言わない。我々は「治ったが治っていない」と言う。斎藤は無為療法で成功した人達に全治を言わせない。むしろ全治と称して登場する人間を、狂いの真っ最中として相手にしない。無為療法で神経症が軽快状態になると時間の早さを実感し、疲れが生じない。今まで会社で3時まで働くとへとへとに疲れていたのが、残業をしても何でもなくなる。神経症を治す為の情報を得る作業がゼロになっているから、生活の質が格段に向上し、明らかに今まで経験した事が無い新しい人生の始まりになっている。

これほどの、静かで革命的経験をするのであるが、不思議と治った実感がない。何故なら、生物学的神経症脳は依然としてそこに存在するからである。今まで恐怖を感じるものは今でも恐怖を感じるし、パニックにもなる。フラッシュバックは相変わらず発生しているが、回数と強度が格段に減っただけである。彼等はもう心理分析の便りは遣さない。社会の立派な一員として活躍しているのがこちらに伝わってくる。恐らく周りの社員も家族も、その変わり方に驚いていると思う。でも本人は一向に全治は言わない。治りには近づいているが全治とは言わない。例え全治でなくても、現在の自分の生き様で十分幸せを感じているからである。


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