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投稿日: 2006/09/05(Tue) 01:21
投稿者直人
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タイトルRe: 倉田百三「治らずに治った」について

斎藤氏の“倉田百三「治らずに治った」について“の文章を読んで、愕然とした。
こんな基本的な事が理解出来ていないのに驚いたので、それについて書いておこう。

>森田療法は厳格に動きを追求する。その動きも単なる動きでなく、気配り、工夫を凝らした緊張した動きである。
これでは、森田療法も理解していないし、治癒もまったく理解していない事を白状している。
森田療法は動く事を指導するが、その動きそのものには、まったく意味が無い。
動きを通じて自覚する自由な心が大切であり、この得た自由な心が治癒そのものだ。
森田療法では、この自由な心を得るために動きを指導しているのです。

>朝、洗面をする時には水を床にこぼさないように、人が横で洗面している時はその邪魔にならないようにするように注意される。食器を洗う時、皿の洗い方、箸の洗い方まで指導する。植木の消毒の時は、農薬の噴霧はどの場所をどの程度噴霧するか、噴霧した霧が周りにかからないようにと細心の注意を要求する。
この気配りと動きは求められるが、これの成功には何の意味も無い、この動き気配りの
結果に得る、自分えの囚われからの解脱が総てであり、それを得る為にこれらの動きはある。
森田では、この囚われからの解脱が総てであり、それを得させる為に総ては有る。

>この人達は治ったのでも何でもなく、強制的に動く訓練を身に付けただけであって、強迫観念の排出源はそのまま残っている。強迫観念は見かけ上、封印された状態で退院するだけだ。
こんなふうに理解する様では、神経症の治癒がまったく解かっていまい。
「動く訓練を身に付けた」こんな事には何の意味も無い、これが上手く上手になっても
治癒とはほど遠いものであり、森田氏が求めているのはこれでは無い。
治った人は、治す努力は完全に止まり、囚われから解脱して明るく元気になって退院するのです。
決して動き、気配りの上手な人間になって退院するのでは無い、それにはなんの意味も無い。

斎藤氏は良い所も有ると思っていたが、これを読んだら愕然とした。
こんないいかげんな理解で人を指導しては、多くの人を迷いの方向に導くだけだ。
その上に最近では、脳の異常と雑用を強調する、これも大きな間違いであり
神経症者に脳の異常は無く、雑用などまったくする必要が無い。
こんないい加減な事を言って若い人を間違いの方向に導き、人生を台無しにするのは許せない。
しかし医療機関のていたらくも目をおおうものが有り、治癒させるにはほど遠い。
薬を与え誤魔化しているだけで、酒を与えているのと同じだ、本当に恐ろしい。

私の所では多くの人が治癒して幸せになって来ている、頑張って続けようと思う。
私の所しか治癒させえる所は無いみたいだ、強い責任と身の引き締まる思いがする。


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