投稿日 | : 2006/10/07(Sat) 13:10 |
投稿者 | : 斎藤 |
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タイトル | : 今日の言葉 |
他のサイトから拝借
書く事がなくなったので、例によって人のサイトに行き全治という人の文面を引用して評論しよう。
お蔭様で私は変わらず元気にとても幸せに暮らしております。
念願のトールペイント教室にもお友達と通い出し、下手なりにも毎回楽しみながら、自分なりに一生懸命頑張ってやっています。
何かひとつでも自分にとっての楽しみ、目標みたいなものがあるというのはとても良いものですね。毎日の生活にも何だか張りが出来たような、いつもの自分の仕事も又頑張ってやろうという気持ちにもなったりしています。
自分にとっての人付き合いの重要度もかなり下がってきて、上手くいこうが、失敗しようがどっちでも良くなった為、本当に人との会話、付き合いがかなり気楽に、逆にとても楽しく出来るようになりました。
神経症はこの形で良くなる事は無い。上手く行こうが失敗しようがどちらでも良くなったと言うがこの人その反対を望んでいる。相変わらず気楽には出来ない状況がこちらに伝わってくる
今日も学校の懇談会でしたが、気が付いたら自分からいろんな人に自然に気楽に声を掛けられていて、適当に楽しく会話も出来、自分の発表以外は大勢の中にいても、以前の自分を考えると嘘のように普通にしていられました。
自分をひたすら観察し成功したと喜ぶ姿勢は、間もなく失敗して落ち込む神経症の典型的姿である。
懇談会の最後の一人ずつ言うところでは、相変わらず又かなりドキドキしてしまい、誰から見ても明らかに上がっている状態で発表しましたが、以前直人さんから のお話を思い出し、この上がってしまう自分が神様から与えられた自分であり、この上がりも自分からなくそうなどと思ったら又バチが当る、上がってしまう自 分のまま、欲張らず今の自分に与えられた幸せに感謝しながら、又頑張ってこのまま生きていこうと思っています。
この人は神経症と言う正常で無い脳から発生する雑音に対して人生論で応じている。これは森田がやった誤りではないか。
この人は全治所か、神経症の真っ盛りであり、治る兆候なしと見る。神経症が人生論で治るなら、そもそもこの世の中には神経症が存在しない。21世紀に入り脳の科学の時代に入っているのに、80年前の森田療法の繰り返しをしている。無為療法のホームページを読んでいる人の多くは首をひねるであろう。