投稿日 | : 2006/10/10(Tue) 16:19 |
投稿者 | : ひとみ |
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タイトル | : キザさんのレスに対する感想 |
私は、対人恐怖症、赤面恐怖症から無為療法によって助けられました。毎日が死にたいほどに
苦しくて心理学の本などを必死で読み漁っていた頃に、「あがってしまう自分が神様から
与えられた自分であるから、あがってしまう自分のまま、欲張らず今の自分に与えられた
幸せに感謝しながら、頑張ってこのまま生きていこう」と何度思ったかわかりません。
一瞬の効果はあっても、継続しませんでした。
「神経症を治そうとせずにありのままの自分を受け入れようと頑張る行為」イコール
「神経症を治そうとしている行為」であることに目を向けたら、治るはずがなかったんだと
今はよくわかります。
>「上がってしまう」は人間には皆ある正常な状態です、有って当然無かったら困る人間の心です。
>そしてこれは人によって強弱が有ります「上がる」が強い人もいるが、それは病気では無いだろう。
>不潔や完全、高所などに対して嫌悪、恐怖も人により強弱が有ります。これは病気では無い。
>だから治し変えたりするものでも無く、上手に付き合って行けば良いでしょう。
理屈ではいろいろとわかっていても、上手に付き合って行けないから死にたいほどに
苦しいのですから、「上手に付き合って行けば良いでしょう」というアドバイスは
いかがなものでしょうか。
>「上がる」も人生のたいして邪魔にならない、何の邪魔にもならない一つの性癖でしょう。
これも随分自分に言い聞かせましたよ。繰り返し、繰り返し。言い聞かせるほどに神経症の脳は
「待ってました」「おいしいエサをもらった」とばかりに大きくなり、益々過敏になっていくのでした。
>個人の特徴であり人間の値打ちに変わりは無いですね。
>そのまま相手にせず時間を取られず生きればいい。明るく生きれる彼女の自覚は素晴らしい。
「自分に対する言い聞かせ」「人の助言、指導、激励」の類が神経症の治療には何の意味も
持たないことが今の私には本当によくわかります。
私の神経症の脳は「休火山」というイメージです。雑用をすることにより、それまで大噴火を
起こしていた火山がいつの間にか火を噴かなくなっていました。静かなものです。