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投稿日: 2007/07/24(Tue) 18:27
投稿者キザ
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タイトルRe: 治す努力

>キザ氏のホームページでも一生懸命仕事をすれば神経症が治ると言っている。

こんな事は一言も言ってない、私が言っているのは
囚われから解脱すれば、自己を相手にして思考をしないので、他のものを相手にして考え生きる事になる。
神経症の治癒は自己を相手にしないで完結しており、これが出来れば治癒は成功でしょう。その上で
幸せをきづいて行き、生き甲斐を持って生きろと言っているのです。

誰でも同じだが人生の中でする事は、生活と仕事えの取り組みであり、一日の多くの時間はこれに取り組む
これで自己の生活をささえ家庭をきづいて子供を育て老人をささえるのだろう。これが当然の人の行いです。
神経症の治癒で人生は終わりでない、治癒して幸せに生きるとなって、本当の治癒と言えるでしょう。

しかるに、斎藤氏は自己の神経症を問題にして、それの解決の為に朝から晩まで雑用して生きている
神経症の自分を相手にして行動を組み立てると言う愚をおかしている、神経症に囚われているのです。
これでは、生活も成り立たず、家族もささえれず、まして子供を育てるや老人をやしなうは無理である
それは神経症に囚われて間違った人生を生きている、普通の人間の幸せな人生にはならないだろう。
異常な生活や行動をしている病気の人生だろう、これを他人に指導しては最悪である。

>実は神経症が治ると最早努力が必要で無い。だから掲示板で努力だ、我慢だ、甘えだと言う言葉を聞くと我々神経症が治ったものは不愉快な思いをする。

治癒は治さない事で完結するが、治さないを直接に自己に命じるは、治さない努力となり良くない。
治す事は悪い許されない事だと、論理的に自己に納得させれれば、自然に勝手に治さないが出来る。
治さないが出来たら、次の行動は現実生活しか無いだろう、その現実生活が治さない実践となります。
宇佐博士は講演の題材でそれを言っている、「実生活上の難問に取り組む、即全治」 「実生活での
努力そのものが全治」 「実生活での骨折りが全治にほかならない」等が有る。
これは実生活の努力が治癒では無く、症状えの対応を放置して実生活に専念するのが治癒と言っている。
症状えの対応を放置せよでは、計らいであり治す努力だろう、放置して実生活に取り組むが自然な
治さない生き方となろう。


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