投稿日 | : 2007/10/10(Wed) 02:07 |
投稿者 | : 斎藤 |
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タイトル | : 感謝に違和感を覚える |
無為療法で神経症が治った世界とは表現が難しいが、空腹に餓えていて甘いものが夢にまで現れる時に、斎藤がこれを食べれば癒されると提供されたものを食べて、それが何の味もしなかったのような経験としたら良いであろう。その時に恋焦がれていたものを実現してくれてありがとうと地べたに這いつくばって感謝するであろうか。「うむ、なぬ!!」とミョウチキリンな顔をしてしばらく言葉に窮するのが自然だと思う。
キザ氏のホームページに行くとこの手の感謝の手記が掲載されていて私は鳥肌が立つ思いをする。私にも多くは無いが以前は時々あった。そしてその後を見るとその人達はやはり神経症が治ってなかった。無為療法は究極の幸せを与えるが貴方が要求している喫緊の願望には冷たいのだ。
無為療法で成功している人の書き込みを集約すると、悪夢の過去を恥じ、自分の狂いの過去を認め、感謝をしている時間を惜しんで今すぐ溜まった雑用を処理しようの態度だ。感謝をしている場合ではないのである