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投稿時間:22/01/31(Mon) 02:11
投稿者名:直人
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タイトル:Re^2: 森田療法著書治癒の例@

 「私の神経症の治癒に至る経過」
私が神経症の始まったのは17才の時だった、当時学校に行く途中に友達と話しながら行き帰りをするのだが、これがある時に突然上手く出来なくなった。
なんとか卒業も就職も出来て都会に出て仕事に就いたが、仕事中も仲間と上手く行かず、仕事先への訪問にも苦痛ばかり有り苦しい日々になりました。
精神科の医者に行って診察してもらい、投与された薬を飲むと一時的に楽になりましたが、治癒は無く苦しい日々が続いている時に、森田療法の存在を知りました。会合に行く様になり、いつのまにか世話役になっていました、会合には顧問の医師がきていたので、その医者の病院に3ヶ月入院して森田療法を受けたが、結果的に治癒する事は無かったです。
会合にはいつも治癒した人が何人か出席されていた、その治癒者の中に非常に明快に解説して指導される方がいて、その方の話は必死に聞き勉強していました。ある時にその人から家に遊びに来ないか誘われて、喜んで訪問をしました、幸運な事にその方は他人の神経症を治すと言う事を、自分の趣味にされておりました。
何人かの人を治癒に導いており、私も必死にお願いして指導してもらう事になりました、それから日誌を書いて、週に一度訪問して指導して頂きました。

自分の日常や仕事の事を日誌に書きお渡しました、そして日誌内容について色々と指導されました、又誤字、脱字について厳しい指摘をされ厳しく叱責されました。
そういう指導が続いて3ヶ月目くらいした時に、また誤字、脱字を出してしまいました、それを激しく叱責されて「もう来るな」「指導は止めた」と怒鳴られ、切り捨てられてしまいました。
私は一人家に帰り、部屋の中で今日の事を考えて、自分の能力の無さをしみじみ感じて涙が出ました。
その夜は自己の能力の無さがしみじみと自覚されて、涙が流れて悲しく、泣き明かしました、そして自分は上手い世渡りなど出来ない、自分は対人関係を上手くやる事を求めても無理だと、しみじみと思い知らされました。
能力の無いこの自分で生きて行くしか無い、今後は下手な対人関係のまま生きて行こう、そう涙ながらに決心しました。そういう決心は今までは出来ていませんでした。

そういう硬い決心ができて会社に出勤して仕事を始めたら、昨日とは何か違っていました、人と対応した後で、それが上手く行かなくても何も思考が発生せず、すぐ次の事に移り、次の仕事や目的に移れるのです、自己に対する思考が発生せず、目の前の現実だけに対応して生き、仕事する様になっていました。
下手な対人は何時もの様に有るが、それを問題にした苦しみ悲しみが微塵も無いのです、それで仕事は順調に進み安楽でした。
この結果には自分が一番おどろきました、私の変化に回りの人も驚いている様でした。これはいったい何だ?と不思議でした。

そういった日々が何日か続いた後にすべてを納得しました。
今までの自分を苦しめていた物は自分で作り上げていた、自己を治す思考、努力が自分を暗く惨めにして生き辛くしていた、一瞬一瞬に自分が行う自己への囚われの思考は異常であり病気であり、下手な対人など問題無いと理解できました。
自己が間違いをしている、異常で病気を生きている自覚が出来てくると、自然に心は変わり、そういった異常な病気の行為をするのは嫌だとの強い思いが出来てきました
そうなると自然にそんな事はしなくなり、たまに行っている事に気付いたら一瞬で否定して止めます、そうして自己への思考が無くなってしまいました。

これ以後は自己を思考して自己改善をする時間がまったく無くなり、生活、仕事に100%の力を出して生れる様になり、日々の生活、仕事を意欲満点で先頭を切って行う様になりました。
全て成功とは行かないが、多くの成功を得て生き甲斐の有る人生が展開しました、それ以後、自分の事で悩む事は無く、明るい人生が展開して生きました。


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- 森田療法著書治癒の例@ - 22/01/29(Sat) 14:18 No.8632

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