森田博士の著書を読み、重要なところを抜粋し、私見を書きます
[記事リスト] [新規投稿] [新着記事] [ワード検索] [過去ログ] [管理用]

投稿時間:09/02/02(Mon) 22:24
投稿者名:森田博士
Eメール:
URL :
タイトル:あるがままにせよ

ヒポコンドリー性基調説(P21〜)
私の説に従えば、結局は神経衰弱症(神経質)は病ではない、ただ本人が普通の人にも
種々の場合に当然起こる感覚、気分に対して、いたずらにこれに執着し、誤想と迷妄とを
重ねてこれを病と信じ、いたずらに恐怖、苦悩するものである。すなわち病でも何でも
無いものを病と信じ、異常と主張するものである。
・・・神経質はいたずらに病苦を気にするという精神的基調から起こり、注意はつねに
そのある一定の感覚に集中し、注意が深くなれば感覚も鋭敏になり、感じが強ければ
したがって注意もこれに集中するようになって、次第にその異常感覚を憎悪してゆく
ものであるというふうに説明するのである。

どうすれば神経質は治るか(P33〜)
神経質の診断が確立したときにはじめて治療の方針が決まる、それはどうすれば良いか
神経質は病でないある感覚に執着してこれを病と信じ迷妄する病であるから、その執着
を去りさえすればよい。
・・・したがってこれは理知的にはけっして治るものではない、感情が自然にその通りに
ならねば治らないのである。

あるがままにせよ(P34〜)
治療の主眼については、言語では、いろいろと言い現わし方もあるけれども、詮じ詰れば
「あるがままでよい、あるがままよりほかに仕方ない、あるがままでなければならない」
とか言うことになる。これを宗教的にいえば、帰依とか帰命とか、絶対服従の意味になる
しかしこれは簡単のようで難しいし、また一方から見れば、難事のようで、実は最も平易
である、患者はその苦痛なり恐怖なりを逃れよう、それに勝とう、否定しようとしては
いけない。それでは神経質がますますその苦痛にとらわれ、心の葛藤を盛んにし、症状を
複雑にする手段になるのである。種々雑多の療法を講ずることも、宗教的に助かろうと
することも、皆同様につねに執着する結果となるばかりである。「あるがまま」になること
ができないからである。

 神経衰弱と強迫観念の根治法より(P21〜 )


- 以下は関連一覧ツリーです -
- 神経衰弱と強迫観念の根治法 - 森田正馬 09/02/01(Sun) 10:50 No.14174

このメッセージに返信する場合は下記フォームから投稿して下さい。

おなまえ
Eメール
題   名
メッセージ    手動改行 強制改行 図表モード
URL
削除キー (記事削除時に使用。英数字で8文字以内)
プレビュー

以下のフォームから自分の投稿した記事を削除できます
■記事No ■削除キー

[BBSツリ−へ]

-