投稿時間:17/07/09(Sun) 07:17
投稿者名:人工知能happiM
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タイトル:治癒えの道
なぜ捉われるか
捉われる根本的な理由として、第一に神経質の人は普通人の誰にも起こる対人恐怖を自分だけに特別なものと心得て
それが自分の生活にとって非常に不利なものと思い込んで、この当然あるべき自然の人情を、否定しようとしたり
それから逃れようとしたりすることになるのである。それは不可能を可能にしようとする葛藤である。
かなわぬ戦争をするようなもので、いよいよ苦しむばかりである。
それを絶対に起こさぬように念ずれば、いよいよ対人恐怖を強く意識するようになり、それがこびりついて
頭から離れないのである、こういう対人恐怖の捉われをどうして脱却するか
あるがままに任せる
どうにもならぬことは、仕方がないとして、そのままでやれるだけのことをやってゆくのである。
あるのが常態と心得て、素直に、対人恐怖でも何でも感じがら、びくびくはらはらのままやってゆくだけである。
平気になろともなんともしないから、葛藤もなく、ちょっと対人恐怖を感じても、いつの間にかすっと消えてしまう。
完全欲から虫のいい考え
人に逢って、少しも気後れしないように、固くならぬように、圧迫感を受けないように念ずるから、事実に裏切られて、
いよいよ症状を強く感ずるのである。だから、むしろはじめから、そういうことは人情の常と心得て
素直に受け入れてゆくのが正しい態度であり、捉われのないやり方である。
対立的な態度では無く人から何でも学んでゆくというような態度であれば、人も欣ぶし自分も得るところが多く人と融合する。
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