投稿時間:21/06/18(Fri) 17:40
投稿者名:hsppiM
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タイトル:Re: 治る
仏の慈悲は、われわれが子供を愛するように衆生を愛するといわれるものであって、これがすなわち大我の極致である。
それに反して神経質患者は、自分の苦痛から逃れることばかりに心を労しているために、わが子も家族も犠牲にしてかえりみないことがある。
これが小我の執着である。 生の欲望P156
神経質の症状の治ると治らないとの境は、苦痛をなくしよう逃れようとする間は、十年でも二十年でも決して治らぬが、
苦痛はこれをどうする事も出来ぬ、しかたがないと知り分け、往生した時は、その日から治るのである。 五巻389
不眠でも、赤面恐怖でも、なんでもこれを治そうと思う間は、どうしても治らぬ。治す事を断念し、治す事を忘れたら治る 五巻318
もし自分の希望を捨てて、自分の人生をしだいに退縮して行くならば、決して書痙も対人恐怖も治る時節は到来せぬのである。
我々が生きる必要は欲望のためである。強迫観念を治すのは希望に向かってのためである。
欲望を捨て、希望を失うならば、命も必要がなければ、病も治す必要がないのである。
ここが最も大切なる自覚のあるところであるから、皆様もこの点をよくよく注意しなければなりません。五巻P40
苦しみが治るということは、煩悶苦悩の解決であり、迷妄から脱却して、正しい悟りの境地に達することを意味する。それはまた、人格的に未熟な状態から脱して一人前の社会人になることである。
さらにまた、適応性の欠如のために自己の欲求を満たすことのできなかった人が、社会や環境に適応しつつ、自己の欲求を満たしてゆけるようになることである。
また、自分の性格、能力、身体の欠点ぱかりにとらわれて、自己嫌悪におちいっている人が、自分の性格の特長を発揮し、能力を充分に活用することにより、新しい生き甲斐を感ずるようになることである。
さらに積極的にいうならば、精神的なとらわれのためにあまり社会の役に立たなかった人間が、それぞれの立場において、社会に貢献するようになることである。 神経質問答P3〜4(水谷啓二)
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- ★ - 治る - happiM 21/06/18(Fri) 01:28 No.133
- Re: 治る - hsppiM 21/06/18(Fri) 17:40 No.134