トイレットと便 所

 昭和40年頃の日本式トイレについて,考えられることを述べてみます。


おっと、その前に平成10年?だったかな。ロシア旅行を少し話ます。




(7年前,平成25年に左脳内出血を起こして、身体も思いの通りに動かないために、読みにくいと思いますが、
我慢してください。)

北のベニスと言われるペテルブルグを大阪外大の山口慶四郎先生の案内でゆっくり下町まで観光しました。

食事は、もちろん先生の案内で現地ロシア人の人気の店です。
ネフスキー通りの「文学カフエ」(プーシキンの最後の場所。ここから決闘場に向かいました。)で食事をしました。
クレムリンの「ディチーネツ」、そしてエカテリーナ宮殿の「海軍省」なるレストラン・・・etc。

観光は、美しい風景の古都ノヴェゴロド、ルーブル美術館と並び称される世界に誇るエルミタージュ美術館、びっくり噴水のピョートル宮殿、フイルハーモニーのすばらしい演奏会、ドイツ軍による900日包囲から復興した記念の勝利広場、再建途中の輝くエカテリーナ宮殿観光etc。

山口慶四郎先生は大阪外国語大学名誉教授で、文部省在外研究員。
そして、1年間旧レニングラード大学教授として赴任されていました。
当「みそたねくん」発信人は、細君を通じてお付き合いを頂くようになりました。
今年74歳(内緒です)とはとても思えないお元気な先生です。
不肖みそたねくんも家内共々今回同行いたし、向こうで虚無僧のパフォーマンスで演奏をいたしました。


モスクワ・赤の広場



山口先生より詳細な旅行記録が郵便で届けられました。
さすが、先生だけに短時間に正確に記録された非常に味わい深い内容なので、稚拙なわが輩の文に代えて転載させていただきます。

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10月4日(日)
午前7時30分、伊丹空港JALカウンター前に集合。
思わぬハプニングがあったが、8名全員無事にJL152便に搭乗、予定通り9時45分成田空港着。
SU576便の搭乗手続きをすませ一旦解散。
定刻に再集合し出国手続き、免税店での買い物をすませ、11時40分、バスで乗機に向かう。
成田空港の発便が混んでいるため期待が動きだしたのは予定より47分遅れの12時47分、離陸したのは午後1時15分(モスクワ時間午前8時15分)だった。
SU576便はパリ行きのためほぼ満席(乗員の話ではロンドン行きは比較的空いているとのこと)。
2回の機内食を口にし、モスクワのジェレメチェヴォ空港Ⅱ(国際線)に到着したのが午後6時38分(日本時間午後11時38分)。
滞空時間は10時間23分、成田での遅れの時間は当然ながら取り戻せなかった。
空港温度はプラス10度。
入国手続きをすませたところにモスクワでの現地ガイド、ナターリヤ(愛称ナターシャ)・ワシリエヴィナ・エレメンコさんが出迎え。
伊丹空港で預けた荷物を受け取り関税検査をすませ、大型バスでホテル「コスモス」に向かう。

バスは空港を後にして間もなく左折れしレニングラード街道に入りモスクワ市の中心部に向け南下し(レニングラード街道をさらに進むとレニングラード大通り、ドヴェルスカヤ通りとなり、ホテル「イソツーリスト」「赤の広場」に向かう)、途中左折れしてモスクワ環状自動車道を走る。
山口(以下参加者の敬称略)が右手の方に遠く見えるテレビ塔付近に宿泊のホテルがあると説明。
予定より大幅に遅れてホテル「コスモス」に到着。
ロシヤ語研修のためモスクワ大学に留学中のAさん(当「みそたねくん」で勝手に個人名を伏せる)ga
2階ロビーでわれわれを迎える。
チェックインをすませ山口が早速に両替をしたロシヤ通過50ルーブルを各人受取り、午後10時(日本時間5日午前3時)過ぎ20階の客室に入る。
窓から眼下に「国民経済ヴェー・デー・エヌ・ハー」の灯りが見え、近くにテレビ塔を見ることが出来る。
ホテルは地下鉄駅「ヴェー・デー・エニ・ハー」のすぐ近くにある。

10月5日

天気予報ではこの日ははれたり曇ったり、温度は0度からプラス5度。
午前8時ロビー、に集合。3階レストラン「ガラークチカ(銀河)」でバイキング形式の朝食。
9時ポーターがトランクを集めにくる。津田夫妻、山下夫妻、野村、山口の6名はホテル南の丘にある教会まで散策。帰路、山口からアパートの壁面にある広告、メッセージの説明を聞き、なるほどと納得し、かつ感心。
10時過ぎバスでホテルを出発、市内観光に向かう。途中、地下鉄「平和大通り」(ホテル前の地下鉄駅より三つ目の駅)でバスを降り地下鉄に乗車。「キエフスカヤ」「スモレンスカヤ」の2駅で乗り換え「アルバーツカヤ」駅で下車。各駅で地下鉄駅構内の説明をナターシャから聞く。

クターフィア塔からクレムリン構内に入る。「大砲の王様」「鐘の王様」「ウスペンスキー寺院(聖母昇天聖堂)」「ブラゴベーシエンスキー寺院(受胎告知聖堂)」「アルハンゲルスキー寺院」「イワン大帝の鐘楼」の順で見学、モスクワ川に沿った庭園を散策。見学を終わって「グム百貨店」まで歩く。途中の「無名戦士の墓」付近は工事中。百貨店に入る前に山口が路上でアイスクリーム「ラーコカム(グルメの意)」を買う。
百貨店の2階にあるファースト・フード店内でアイスクリームを口にする。日本では考えられないこと。
店内を縦断したあと「赤の広場」や「聖ワシリー寺院」外観を見物。
バスに乗り込むため地下道を歩くと女学生たちの大合唱。聞けばオーストリアからやってきたという。
バスで昼食開場に向かう。
レストラン「モノーマフ(12-13世紀のころ実在したモノーマフ公の名前をとった)」は「ツアーのご馳走」を売り物にする。地下鉄駅「クロパトキンスカヤ」のすぐ近くにある。
日本出発前にこの昼食レストランとして「ダニーロフスキー修道院」を注文しておいたが、現地に着き前夜変更を知った。ナターシャにはぜひ、「ダネーロフスキー」での昼食を復活させよと強く要求しておいたが朝の彼女の説明ではなにか大きな宴会が入り、変更不可能だとのこと。もちろん全員落胆したが、食事内容はまずまずだった。
このレストランの近くにはプーシキン美術館がある。
山口が1973年に文部省在外研究員としてモスクワに滞在した時の世話になった経済研究所もそれと並んであった。当時の研究所の前には巨大な屋外温泉プールがあり冬はもうもうと湯気が上がっていたが撤去され、スターリン時代に破壊された大聖堂が再建されている。
昼食をすませ環状並木路にある土産物屋で買い物。
再びバスに乗りモスクワ川を渡りモスクワ国立大学の本館(中央部32階)を正面から眺める。
ガイドは各部の建物を説明する。
普通は「雀が丘(かってはレーニン丘)」の展望台からモスクワ中心部を眺めるのだが、ガイドはあそこはジプシーがいるからと少し脇にそれたところに車を止める。
バスは、「ミンスク通り」を経て(この付近にはニューリッチの邸宅が並ぶ)「クツーゾフ大通り」へ。
ここにはロシアのクツーゾフ将軍がナポレオン軍に戦勝したことを記念する凱旋門があり、ボロジノにおけるロシア軍とフランス軍の戦闘を今に伝えるロボジノ戦闘パノラマ館がある。
それとは別に、最近になってこの門近くに広大な勝利公園が建設されていた。
一行は下車してこの公園を散策。教師に引率された子供たちが戦車によじ登って遊んでいる。
写真を撮ったりして交歓。Y夫妻は子供たちに将来の夢はと尋ねる。
再びバスでトイレ休憩のためにホテル「ウクライナ」に。
ここから、モスクワ川を隔て対岸にあるのが1993年10月4日エリツィン大統領が砲撃をして多数の死者が出たホワイト・ハウス。
バスは新アルバート通り、クレムリンからモスクワ川を隔てた川畔通りを経て5時40分ホテル「イゾツースト」に着く。
異常で昼食時間を含め7時間半の市内観光は幕。
Y夫妻、N君、山口の4名は「バリショイ劇場」「マルクス像」見物に急ぎ足で往復。

午後6時過ぎからホテル3階にあるレストラン「スカスカ(民話の間)」で夕食。
時間が早いので音楽もなく、また昼食との間隔が短かったので残念ながらあまり盛り上がらない。
これには前日ホテルで出迎えてくれたAさんを招待。
Aさんに依頼しておいた劇場入場券(途中の入退場が厳しくない劇場をと注文)、ホテルから徒歩10分足らずのところにある「オペレッタ劇場」の券が入手できた。
この劇場はバリショイ劇場の陀尾2上演場としても使われていたところ(現在はその役をクレムリン内の大会宮殿がはたしている)。有名なラフマニノフがデビューを飾ったのもこの劇場。世界最大のミュージカル・コメディアン劇場と言われる。
この夜のショーは「愉快な後家さん」。オペレッタなので歌や踊りがふんだんにあり、一同結構満足。
ロシア語がわかれば会話が実に面白い。
7時半過ぎ途中入場、10時まえ終演。
Aさんとは地下鉄駅前で別れた。
10時半過ぎサンクト・ペテルブルグ行きの列車に乗るためにバスで「レニングラード駅」へ。
本物の「赤い矢号」は残念ながら乗れず、変更されて6日午前0時9分発の夜行寝台列車。
男女別々に2っのコンパーメントに分かれる。
トランク収納に津田大奮闘。納め切れぬトランク2個を車掌室に預ける。

10月6日(火)

起床、洗面、車掌に紅茶を注文。車窓の風景を眺めるうちに8時40分過ぎ、サンクト・ペテルブルグの「モスクワ駅」着。
フィルハーモニー付属図書館のガリーナ・レオドヴィナ・レトロフスカヤさんと現地ガイドのセルゲイ(愛称セリョージヤ)・プリャーヒンさんが迎える。
レトロフスカヤさんに昼食会への招待を確認するも自分は他用で失礼するとのこと。
ソルレルティンスキーさんとゼニナさんへの伝言を依頼するとゼニナさんは病気らしいとの回答。
この夜のコンサートに招待したいとの申し出を有り難く受けて別れる。
現地ガイドは早足。これから4泊5日のこの市での行動を山口が心配する。
ペテルブルグではマイクロ・バス(運転手はミハーイル(愛称ミーシャ)で、10日にこの市を離れるまでハンドルを握った。とても親切な男)
バスに乗るとすぐに「アレキサンドル・ネフスキー」広場に面したホテル「モスクワ」に向かう。
チェック・イン後7階の客室に。
エレベーターを降りて客室までの遠いこと。館山、渡部組は200メートルも歩くことになるかも。集合時間に十分間に合うように十分注意するように山口が伝える。
朝食は1階のレストランでバイキング形式。モスクワのホテルよりないようが良いと、これは好評。

10時半バスで市内観光に出発。ネフスキー大通りを走り、ゴーゴリ通りを左折れ「チャイコフスキー死去の家」の前を通過して
「聖イサク寺院」「聖堂の騎士像」(下車する)を見物。
趣味えっと大尉橋を渡りワシリエフスキー島に。
大学川岸通りを左にネバ川、右に「レーピンソ記念芸術大学」「メンシコフ宮殿」「ペテルブルグ大学」(旧レーニングラード大学)、
「人類学民族学博物館」「動物学博物館」を見ながら「ストレルカ灯台」(修理中)に。
この市は2003年に創建300年を迎えるので、いたるところで修復作業、化粧直しが行われている。
バスは小ネバ川にかかる(旧)取引所橋(ソ連時代は建設者)を渡りペトログラード地区に。
右手に「ペトロパブロフスク要塞」。
途中「ピョートル小屋」を左手に見てネバ川とネフカ川の分岐点に碇泊の「巡洋艦オーロラ号」の前で下車。
その後トロイッキー橋(ソ連時代はキーロフ橋)を渡り、「マルスの広場」(初夏のライラックが美しい)と「夏の庭園」(多くの彫刻がある)の間を走り、ネフスキー大通りにでて大型書店の前でバスを下車。ほんの短時間、書店内をのぞく。
山口の求める本は全て在庫なし。
その後、ネフスキー大通りをそぞろ歩きして昼食会場のレストラン「文学カフェ」に(セリョージャは準備のために選考する)

定刻の午後1時になっても招待の2名が姿を見せない。
15分ほどしてリェボーフ(愛称リューバ=柳葉)・ワシリェビナ・ゼニナ(銭名)さん(1974年から1年間天理大学に勤務。元のペテルブルグ大学助教授で日本史専攻。1963年から山口と親交あり)。
朝のソルレルティンスキーさんの話とは異なり元気そのもの。
ガイドのセリェージャがイライラするので1時50分に開宴。
間もなくフイルハーモニーのドミートリ・イワーノヴィチ・ソルレルティンスキーさん(父君はソ連百科事典にも登場の音楽評論家)が到着。改めて乾杯。
ソルレルティンスキーさんからもこの夜のコンサートに招待される。3時前に閉宴。

3時過ぎから5時まで「エルミタージュ美術館」を観賞。
外国人観光客の団体は普通「宮殿広場」側」の入口から入場するのが普通だが、ネバ川岸の正面入口から入場したり、案内ルートもこの種ツアーのガイドと異なる。
セリョージャなりの考えで、これはこれで結構な案内だったと評価できる。
閉館ぎりぎりまで観賞したいというh、wの二人を残して退館。
「宮殿広場」に回り、そこでフイルに急ぐ野村と一旦別れ、残り5名はモイカ運河畔からネバ川を望む風景を賞で、バスで「スモーリヌイ女子修道院」、かって1917年の革命根拠地だった「スモリーヌ(旧女子学習院、現ペテルブルグ市庁舎)の前を通過してホテルに戻る。

急いで着替えを済ませ地下鉄を利用して「サンクト・ペテルブルグ・フィルハーモニー大ホール」に。
この日の演奏はムソルグスキー記念オペラ・バレー劇場交響楽団、指揮はA・アリハノフ氏、ピアノ演奏は今年75歳を迎えたチレル氏。
コンサートの第2部はムソルグスキーの有名な作品「展覧会の絵」だった。
アントラクトにゼニナさんが演奏終了後ソルレルティンスキーさんが短時間懇談会をしたいと言っていると伝える。
終わって、予定通り別室に案内されシャンペン2本を開けて歓待される。
地下鉄でホテルに戻り、別行動のH、Wの二人も無事帰還を確認。

(写真/文学カフエにて。窓側左から
ゼニナ、ソルレルティンスキー、山口先生)

10月7日(火)
朝食を早くすませ、午前8時45分バスでノヴゴロド観光に出発(N君はこの日1日別行動)。
出発の気温はマイナス1度。
練りたく宇高で出発時、山口が手にしたロシヤ紙「新イズベスチャ」の10月3日号によると、
10月2日エリツィン大統領がノヴゴロド市の呼称を「ヴェーリーキー(偉大なる)・ノヴゴロド市」という
歴史的呼称に改める法令に署名。
ノヴォゴロドまで1回トイレ休憩をとり、市内の「インツーリスト」ホテルで女性の現地ガイド
(ドイツ語専攻で日本語を解しない)と合流。
まず、クレムリン内を見学する。
「聖ソフィア寺院」「青銅の記念碑・ロシア1000年」を見る。
重さ100トンの青銅の碑には歴代のツアー、大公、貴族、政治家、詩人、音楽家など129人のレリーフがある。
昼食は城壁内の教会を改造したレストラン「デチーネツ」でとる。
ステンド・グラスの窓と煉瓦の壁が美しい。
津田が初めて尺八を演奏、同席の観光客からも大きな拍手。
食後、クレムリンの南口からボルホフ川に架かる橋を渡ってヤロスラフ宮殿、ミハイル宮殿などの説明を聞く。
(ノヴォゴロドにも昔この辺にガスチーヌイ・ドボール(市場あるいは百貨店)があったとか、川畔にそれを示す
モニュメントがある。
雲一つない快晴。ヴスベキスタン(シルクロード)からお天気を輸入したのかと、山口がこの市のガイドに冗談を言う。
再びバスに乗りユリエフ修道院へ。
帰路、「木造建築博物館」に入場。
ペテルブルグへの帰路、ガイー(国家自動車監督官)の係員に交通違反で捕まる。
速度違反でなく、対交車線にバスを乗り入れたとのこと。
罰金をとられた運転手を気の毒に思い、われわれの共通費用でその分を渡す。
われわれとしては大きな額ではないが、ミーシャは大いに感謝。
ペテルブルグに近づくと左手地平線に太陽が沈む。日本では見られぬ風景。
ホテルに戻りレストランで夕食をとり、9時過ぎ一同部屋の戻る。

10月8日(木)
山口がテレビ取材に応じると一行の行動に支障があるとの理由でそれを断ることに決定。その旨、レトロフスカヤさんが
電話で回答。この日も野村は自由行動。
朝食後8時45分、バスでフィンランド湾(バルト海)に面した丘陵に広がる「ピョートル夏の宮殿」に11時前に到着。
ハイシーズンなら11時から開場セレモニーが連日華やかに行われるのだが、中心に金箔のサムソン像がある有名な
「バリショイ・カスカート大滝」の噴水開始のみ見る(10月11日で、今年はこの宮殿の噴水軍は作動を来春まで
止めるとのこと)。
その後大宮殿の内部を見学し、下部公園のいくつかを見物。
残念ながら様々の仕掛けの「いたずら噴水」は休止中。山口がその国家機密?を明かす。
大宮殿に戻り、そn左右対称のヴィングにある一方のカフエで昼食。
食後上部公園を散策。
2時過ぎ「夏の宮殿」を後にして、ペテルブルグしないで「青銅の騎士像」近くにある「近衛騎兵並木通り」にある
土産物屋をのぞく(ここでガイドのセリョージャは、この夜の観劇の切符確保のために別れる)。
ペテルブルグからモスクワに首都が移るまで日本大使館(あるいは公使館)はこの通りに面してあり、廣瀬武夫もここを
闊歩したことだろうと山口が説明。
この日も快晴。われわれのラッキーな旅が続く。
つぎに土産物屋で聞いた製菓工場「ペトロコンフ(コンフはコンフェータ砂糖菓子の略)」(イギリス通り16番地)
に行き、その直売店で一同ロシヤチョコなどを大量に買い込む。
直売店であるので値段が何とも安いのでみんな大満足。バラ売りも買い、バスの中で早速に試食。味は結構いける。
大型魚店「アケアン」(大洋)には残念ながらかに缶なし。だが、Y 、山口の両名はバス運転手ミーシャに
「ピョートル1世」なるタバコ(味はマルボロ似ている)をこの間に買ってきてもらいまたもや大満足。
これも卸値でミーシャが買って来てくれて1箱45円。
バスで5時前、イサク広場前にあるホテル「アストリア」へ。
ここで、セリョージャと落合いこの日、夜のバレー公演の入場券を確保。
5時20分宿泊のホテルに帰着。
服装を改めて6時10分外出。
地下鉄でムソルグスキー記念オペラ劇場(フィルハーモニー大ホールのすぐ近く)に行く。
途中女性向け商品を多く売る百貨店「パッサーシ」をのぞく(渡部が婦人帽を買いたがっていたため)。
6時45分、劇場前で待ち受けるセョージャ(彼は斡旋の入場券が無事に有効か少し心配だった)
と会いトラブルなしに入場。
7時より9時40分までバレエ「ジゼル」を観賞(その役を演じたバレリーナはハビブーリナ)。
幕間にY、山口はシャンパンを口にする。
観劇を終わって外に出るとN がわれわれ6名(津田はバレエをキャンセルし、独りネフスキー大通りを散策)
\を待っていた。
帰路「ガスチーヌイ・ドヴォール」のファースト・フード店でチキン料理をテイク・アウトし、地下鉄でホテルに戻る。

10月9日(金)
朝食後、津田夫妻、N、山口の4名はホテルの前にある「アレクサンドル・ネフスキー修道院」を見学。
聖堂内ではミサが厳かに行われていた。
10時過ぎホテルで休養のNを除き、地下鉄ですでにおなじみの「ガスチーヌイ・ドヴォール」駅へ。
まずは食料店ガストロノームNo1とされる革命前の実業家エリセーエフの店に。
この風格ある店で、かに缶、ウオッカ、チョコレートなど思い思いに買った後、ネフスキー大通りを横断して有名な
「大建築家ロッシ通り」を見る。
この通りに面して日本でもよく知られている「ワガニワ舞踏学校」がある。
再び地下鉄で(一度「蜂起広場」駅から「マヤコフスカ」駅に移動する乗り換え)「ウラジーミルスカヤ」駅へ。
地上に出ると「ドストイェフスキー像」(2年ほど前に建てられた)がある。
駅のすぐ近くにある「グズネチヌイ市場」に入る。
まず、食肉売場に。豚の頭、耳などが売られていて興味深い。
蜂蜜、ぶどうなどを味見しながら場内を一巡。
結局リンゴ(小粒)1,5キロだけを買う。
少し先へ行くと「ドストイェフスキー通り」ペテルブルグの下町を垣間見る。
「ドストイェフスキー博物館」を前にするも時間切れ。
帰路は「ドストイェフスカヤ」駅(ウラジーミルスカヤ駅と重なっているが線路が異なるので別の呼)から地下鉄に乗車。
乗り換えなしに午後1時、野村とも合流し全員8名、バスでペテログラード地区クロンベルグ大通り(旧ゴーリキー大通り)
にあるレストラン「デミヤーノヴァ・ウハー」に。
山口が20年前長期滞在した時に足繁く出入りしたレストランだ。
ただし、当時は外国人の利用が全くと言っていいほど無かったレストランである。
食事を済ませ、すぐにホテルに戻る。
4時30分外出。
地下鉄でフォンタンカ運河畔にある「友好会館」に向かう。
5時ゼニナさんに迎えられて会館理事長のナターリア・G・エリセーエワ女史と彼女の執務室で面談。
ロ日協会長ウラジスラフ・ゴレグリャードさん(ペテルブルグ大学日本語講座の主任教授、大阪府の山片
蟠桃賞の受賞者)、市内ライラック並木通りにある第83学校付属の日本語教育コース「バラの学校」の
ワレンチナ・カレーニナさんも挨拶、記念品交換。
途中ビクトル・ルイビンさん(ペテルブルグ大学日本語講座教授)も加わる。

午後6時から会館2階のホールで「音楽交流の夕べ」(8月7日付の手紙で山口がゼニナさんにその組織を
依頼しておいたもの)。
ソリレルテェインスキーさん、レトロフスカヤさんを初め、いく人もn山口の旧知の人、在ペテルブルグ
日本人留学生、ペテルブルグ大学の日本人専攻生ら100人を越す人たちで満員の盛況。
津田が虚無僧姿で尺八を吹きながらホールに入場。一同静まる。
曲毎に解説をゴレグリャード教授が通訳。
次に「バラの学校」の児童十数名が日本民謡を唱ったり、ピアノ演奏。
グループが用意の記念品、津田個人の土産を子供たちに配る。
津田が再び尺八を吹く。今度は津田の解説をルイビン教授が通訳。大きな拍手が起こる。

終わって山口が「交流の夕べ」の成功に謝辞を述べるとともに、日本語を学ぶ児童たちに幸多かれと挨拶、 ルイビンさんがこれを通訳。 記念に写真を撮り合ったり歓談でしばしの時を過ごし8時頃会館を退出。 地下鉄(ペテルブルグで4泊5日の滞在中、地下鉄に9回乗車)でホテルに帰る。午前中購のリンゴを分配。 (演奏会写真は露日友好会館。演奏は津田雅風。会場写真の前列左端は外大名誉教授の山口慶四郎先生、その横は我が細君、後ろ3人は今回旅行8人のメンバー 10月10日(土) この日は朝から小雨。 午前9時にポーターがトランクを集めにくる。 10時にロビーに集合し、10時30分ホテルを後にする。 まずモスクワ大通りの終点にある「勝利広場」に行き、この市の900日封鎖の記念ホールを見学。 ソ連時代と比べると見学者がうんと少なくなっている。 昨秋もここを訪れた山口は、ここで日本から新婚旅行でやってきたカップルが花束を手に見学にやってきたことを 思い出した(徳島県と聞いた)。 ここの見学の時だけ、初めて持参の傘を開いた(このときの1回だけ使用)。 雨の多いこの季節に好天気に恵まれたのはよほどラッキーと言うべきだろう。 さらにバスをプーシキン市に走らせる。 時計を見ながら山口がガイドに日程変更を指示し、12時15分にこの市のガスケーヌイ・ドボール前にバスを止める。 30分余り辺りを散策したりするための自由時間。 バスを書店の前に止めるように指示したの山口は、ペテルブルグ市内の書店で買えなかった「20世紀末のロシア 語新語辞典を買う。 1998年発行、部数は5,000部。全700ページのこの辞書がただの45ルーブリ(400円余り)。 ナホトカ(見つけもの)だ。 館山は絵本を買う。 山口はソ連時代に、大都市で買えなかった図書をこの種、中小都市で買ったものだ。 この伝統はまだまだ保たれているようだ。 渡部はガスチーヌイ・ドボールで革手袋を95ルーブリ(850円くらい)で手にした。これもナホトカだ。 午後1時過ぎ、プーシキン市から南のパブロフスク市に入ったところにあるレストラン「ポドヴォーリエ(旅籠)」 に着き昼食。(出発前にはカテリーナ宮殿の前庭にあるレストラン「海軍省」を指定しておいたが、そこはすこし上品。 ここはここで悪くはなかった)。 賑やかな音楽演奏つきで今次旅行最後のロシヤ地上での食事。 Y、山口、ガイドのセリョージャの三人でウオッカをたちまち空にする。 一同、小雨に濡れた林の中にある小都市に満足。 バスを引き返しカテリーナ宮殿内を見学。終わって4時前後におよそ15分馬車でエカテリーナ庭園を一周。 歩けばたっぷり1時間半もかかる庭園をキャメロン回廊も含め見物できた。 4時半過ぎプルゴヴォ空港の国際線ターミナル到着。 ここは新しいターミナルで山口も初利用。機能的に出来ておりモスクワの空港よりも照明が明るく快適。 出発前レニングラードの空港にある免税店は内容が貧弱と言ったが品数も十分揃っていた。 搭乗手続きを済ませセリョージャと別れ出国・関税手続き(これもうまく流れる)、トランクを預けてロビーで休憩。 SU589便だが搭乗案内があったのは6時35分。バスで乗機に。 客数はきわめて少なく、山口は早速仮設ベット作りに精をだす。 ペテルブルグのホテル4夜まともに山口は寝ていない(隣の部屋で馬鹿騒ぎがあったため)。 6時50分に離陸。 10月11日(日) 日本時間で午前2時ごろ最初の機内食の提供。 目を覚ますとシベリアの大地の上空を飛んでいる。 第2回目の機内食が提供されて間もなく午前8時21分ロシア陸地の上空から離れる。 日本海の上空を飛んで9時23分日本の上空、間もなく「右手にフジヤマ」のアナウンスで。 SY機は一旦太平洋上にでて九十九里浜上空を通過して50分遅れで午前10時に成田空港に着陸。 帰りは9時間17分。 入国手続きをすませ機内預けのトランクを手にし関税手続き。 すべて順調に終わり10時50分発のリムジンバスで羽田空港に移動。 早めにJL105便の搭乗手続(トランクを預ける)を済ませ一旦解散。 羽田空港を2時30分に出発し3時30分予定通り全員無事に伊丹空港着。 家内預けのトランクをてにしたところで解散。 山口先生のはとてもお世話になり、海外でリサイタルも出来た素晴らしい旅行が出来ました。 少し補足をすれば、いろいろハプニングも多くありました。 地下鉄で自動改札のコインを入れたが開きません。 一番最後にいたわたしが入場できなくなってしまっているのに気づいたY先生が入って通じない言葉で係員に連絡。 何とか通過できたときには山口先生たちはエレベーターのづっと先のほうです。 (ロシアの地下鉄乗り場までエレベーターは大体2分から3分乗って降ります。 日本の近郊電車駅で言えば一駅の時間です。) 最初のモスクワの夜のオペラでは家内が疲れからか、客席の通路嘔吐してしまいました。 (これは先生が係員に話をして新聞紙を敷くことで解決)。 そのままトイレへ駆け込んでそこでも嘔吐、洗面器を詰まらせてしまったので、清掃に来た掃除婦さんにチップを渡すと いらないと言って受け取りませんでした。 オペラが終わるまでロビーのイスに寝かせ横に着いていたのですが、チーフらしい婦人が心配そうに何度も様子を 見に来ましたね。

山口先生の思い出も、大阪の飲み屋街とともに、懐かしく思い出します。
その飲み屋での話で、ロシア旅行がてら演奏をしてみよう、と言う事になりました。
演奏はとにかく、楽しい時間を過ごしました。

ロシア旅行は、私の子供のころは、夢のまた夢。
中学校時代、モスクワ放送から絵はがきを貰ったことがある位です。



山口先生の惜別の文章です。