民話について


「民話」という言葉はよく聞く言葉ですが、これは、一般的には「民間説話」 の略としての意味に使われているようです。
 民俗(族)学的な意味の言葉、「昔話」と同意のものです。
(かなり昔の資料で少し勉強不足なのですが、文化庁編集「民族資料調査収集 の手引き」の中の無形民族資料、口承伝承には「伝説」「昔話」となっていたわ けですがいまはどうでしょうか?)

 さて、民俗学で「民話」がどうして使われないのかと言うことですが、柳田 国男氏の研究本などによりますと、氏自身も最初の頃民間伝承のうち、口承説話 を「民話」とされていたようですが、木下順二氏(佐渡の鶴女房を素材にした「 夕鶴」の作者)らが結成された、民主主義科学協会思想史部会の「民話の会」の 活動の中で、新しい日本文化の創造としての「創作民話」も「民話」と言われて いたのを忌み嫌い?、いつの間にか民俗学から「民話」に変わって「昔話」を使 われるようになったそうです。(この辺のところ、あまり私にはわかりません)
いずれにしましても、「民話」と「昔話」は、「Volk Tale」とほぼ同意であ ろうと思います。

 さて、このほかにも「昔話」、「お伽噺」と言う言葉がありますが、こちら の方はどうでしょうか。
この言葉を考察する前に「説話」というものを少し述べます。
 「説話」とは口から耳への伝達形式を持った「話」であります。
 「話」は単なる「情報」ではなく聞き手に興味を持つストーリーであること が重要であります。

 こういった「説話」が、姿を現すのは平安時代頃であります。
 この。説話の初期とみられるものには「日本霊異異記」(BC822/弘仁1 3年)があります。
 この本は仏教説話が「説話」のはしりといわれていまして続いて「今昔物語 」、「宇治拾遺物語」、「沙石集」などが現れます。
 これれの説話集は、口承の「話」に注目して記録したものである、という点 が重要であります。

 この説話集に、「民話」(これ以降、「昔話」と同意とする)の原型(ある いは素材)がみられるわけですが、柳田国男氏によれば、「昔話は神話のひこば えである」といわれ、その伝達課程で幾重にも分かれ、その一つが「説話集」に 至ったと言われているようです。

 こうして説話に至ったあと、さらに変化をしながら「民話」だとか「謡曲」 (幸若・・・舞の本)とか「能」、「狂言」また「御伽草子」等と言ったものに 引き継がれていくのであります。
 (文化は、意識するしないに関わらず何らかの影響を周囲に与えつつ伝わっ ていくものであるから、似た部分があったとしても、即、イコールであるとは言 いにくいが・・・)

 ここで「御伽草子」について述べます。
 「御伽草子」は私たちがよく使う「おとぎばなし」の語源であるとも言われ 、江戸時代に出版された物語本であります。
 「お伽」は、君主に対してつれずれにはなしをする、なぐさめる、と言った こと、咄(はなし)をする役目を持ったお伽坊主に因むようです。
 そして、このお伽噺には「鉢かずき」「酒天童子」などと言った、民話に非 常に似たものがあるわけです。
 

 人々が興味を覚える「はなし」がストーリー性をもち、お伽噺となりさらに 、メルヘンの意味をも含んだものを、岩谷小波(漣山人)氏は「童話」の意味に 使われたようであります。

 ここで、メルヘンですが、メルヘンとは、空想的で驚異的な事柄を含む「説 話」の一ジャンルとして位置づけられているわけですが、言葉の原意は「輝く」 であって、これを妖精譚
(フェアリーテール)のように思っている人もいるようですが、これは、別の ものであります。

 ところで「民話」と「児童文学」との関わりでありますが、昨今の民話は美 しい挿し絵になんともなつかしい? 方言で叙述された本が沢山出版されていま す。

 今の大人たち(と言ってもかなりの高年齢層になりますが)は、言葉の谷間 に生まれているわけであります。

 明治後期から標準語の推進が行われました。それでも、長い間方言が地域の 言葉として首座を守っていたわけでありますが、現在は東京近辺の共通語でほぼ 標準語として統一されてしまっているようであります。
 だから、どんなに田舎、山奥であっても日本の言葉はそう地域差を感じずに 話ができるようになっています。
 いや、かえって変に方言を使う方が子供たちには分かりにくくなっているか もしれません。
 そのような状態で、方言で語りかける必要があるのだろうか? と言う問題 に突き当たります。

 口承の「話」が、民俗学的にある、経過した過去の遺物として保存、伝承さ れるなら確かに手を加えるのことは無用であります。しかし、日本の文化の一つ としてその時代じだいと共に変化し、地域的なもの、日本的なものを反映してい るならあえて、演出をこらす必要はないようにおもいます。

 たとえば、秋田に伝わる話がその、秋田の方言で語られると言うことは、当 時は、それが普段の言葉で語られていたと言うことであて、それが、子供に聞か せる一番わかりやすい言葉であったはづだと思うのです。 

 現在の子供たちに語る場合、普段聞き慣れない、身に覚えのない言葉が「民 話」では決してないと思います。

 そういうことから、「民話」は現在の生活の中の「説話」をテーマにもっと もっと沢山生まれてくるべきものではなかろうかと考えるのですが、みなさんは どう考えられますか?