文化



大阪児童文化の会は、柏木みどりさんの呼びかけに応じて集まってきた仲間達にできました。
昭和47年(1972)頃、柏木さんと、広瀬千恵さん、田村克子(現在、「みそたねくん」発信者の嫁さん)が読書会の様なことから出発をしました。
柏木さんは、早船ちよさん(吉永小百合の主演した「キューポラのある街」などの社会派作家)の信奉者?で大学時代に講演にこられた先生に感激し、児童文学の道にすすまれたようです。
第1回大阪夏期児童文学講座を、昭和48年(1973)7月28日、29日の2日吹田市の阪急千里山駅近くの千二公民会で開催しました。
第1日目の目玉は当然、柏木さんの大好きな早船ちよさん(作家/代表作・「キューポラのある街」など)。2日目はちよさんのご主人で、児童文学者、井野川潔先生。後は、会員が埋めました。
(藤本つや子、柏木みどり、小川瑛子、浜井しげ子、すぎのしずこ、ほか)
このときは、三重、姫路などから70名の参加がありました。
じつは、この時私も、文化の会会員であった、藤本つや子さんと職場で一緒に読書会をしていた、私の妹の紹介で参加しました。
そして、児童文化の会男性会員の第1号として機関誌「ぶらんこ」2号に厚かましくも「くもっこ仙人」を掲載しました。
また、この2号で、家庭文庫運動の草分け、正置友子さんが「児童文学における今の私の段階」というタイトルで青山台文庫の準備の様子を載せられている。

年2回の季刊誌である、ぶらんこ3号(1974)の冒頭に井野川潔先生の記事が掲載されている。
家庭燃料石油の供給不足や、トイレット・ペーパー不足、新聞の減ページなどいわゆる石油ショックと言われる時代の世相について述べられている。
出版社はもとより、草の根の同人誌の財政を逼迫させる事態になってしまう。それでも、メンバーは増え続ける。
ぶらんこ5号(1975/5)には同年3月16日に開催した絵本の一日講座についての感想文が掲載されている。
開場は吹田市千二公民館で、
午前:早船ぐみおさんの」講演、織田、正置さんの作品発表。
午後:会員の実作読み聞かせ
「あめのひのはなし」浅井かずえ、「雲っ子仙人」津田陽彦、「くものクーさん」小川瑛子、「一匹だけのこいのぼり」丹羽ふみえ、「おひるねオートバイ」浜井重子、「こいのぼりのぼうけん」わたりつやこ
手作り絵本は、加藤啓子、石井俊子、柏木みどり
そしてメイン講演は赤木由子(児童文学者「はだかの天使」「柳のわたとぶ国」ほか)の「新しい児童文学の創造」であった。
5月には浦和の児童文学講座に大挙参加。同年7月には夏季児童文学講座を開催。
テーマは「民話と絵本」で講師は吉田タキノ、井野川潔両先生ほか会員である。(この時の講演原稿が「みそたねくん」に掲載の「民話について」「説話について」である。)
ぶらんこ8号で大阪児童文化の会創立5年目である。この号で正置友子さんが「青山台文庫」の三年という記事を載せられている。文庫活動の草分け的存在の足跡である。ぶらんこ10号では、冒頭にリーダーの柏木さんあてのはがきが掲載されている。
井野川潔、早船ちよ凌先生の二通である。このときの会員は、浅井かずゑ、小川瑛子、柏木みどり、青木早苗、加藤啓子、田村克子、津田陽彦、辻本美恵子、にわふみえ、浜井しげこ、ひらおこつやこ、広瀬千恵、藤下裕子、正置友子、渡里つや子、石倉恭子、坂口弘美、永吉昭一郎、湊裕子、黒田悠紀子、仲埜ひろ、小松厚子、野村一秋、南野睦子、鎌田雄三、常本映子、渡辺勢津子、前川恵子、寺岡佳奈子、岩中紅美江、蛯原加代子、田村ちどり、久留米俊江、富永東、葛西聖子、根本百合の36名
8号から1年の間に、石井俊子、山口加代子、渡辺千津子、山本玲子、辰巳清子の5名が退会。出入りもそこそこあった。
11号冒頭早船ちょさんの詩

ぶらんこを こぐ

おもいきり 足のばねを利かせ
木々の線を くぐり
ぐーんぐん 大きな弧をえがき
白い雲へ むかって
風にのり 太陽を つきぬけ
ぶらんこの つな きれよ
切れて 宇宙のはてへ とべ とべ

急降下して 大地に足が着いたなら
季節は春から 目くるめく夏へ
一足とびしていました

が載っています。

13号では七山谷緑、大田好子、末川茂、大頭正一、徳畑智子、白倉隆一、河合章子、須藤恭子の名前が加わっているが、15号(1983年5月)では一気にメンバーが21名に減っている。ここでは井関照子、大村雅彦、向井和加子が新たに加わってのことであるから、なかなか会員の定着というものはなかなか難しい。

このときの住所録に載っているメンバーは、大西はるみ、小川瑛子、柏木みどり、杉野静子、田村克子、津田陽彦、にわふみえ、浜井しげこ、原田弥生、ひらおかつやこ、広瀬千恵、藤本つや子、前川恵子、正置友子、森ひろ美、浜田つた子の16名でした。(内10名が吹田市在住)この、メンバーも10号の発行された、昭和53年(1978)には36名になっています。
(左の写真は1985年頃の中之島祭りでバーザーに参加。左から柏木、渡里、大村、田村、津田)


文学者井野川潔先生、その奥さんで作家の早船ちよさん、その息子さんで月刊誌「こども世界」や児童書を出版されていたけやき書房の社長であった早船ぐみおさんたちの多くの仲間は旅立たれました。しかし、「児童文化の会」やそれを支えた志、燃え上がるエネルギーは今も脈々と引き継がれています。

柏木さんは、先生を退職してなを、児童文学だけでなく、絵や彫刻を頑張っておられます。我が家にある柏木さんの作品
柏木さんの夫も、令和になってますます彫刻に精を出しておられます。
わたしが元気だつたころは、京都や大阪の展示会に、家内と見せてもらいに行かせてもらいました。
今年は、柏木さんの主人の方は、大きな賞を貰ったりして、東京に作品を持って行ったり来たりの超多忙とのことです。
みそたねくんの家に来られた時に、ギターを弾きながら、ビートルズを上手に歌っていたのは、もうずっと昔の話。今は忙しい彫刻家で、頑張っておられます。