池ヶ谷 佳憲


<小国町>

☆先進地視察におけるテーマ

まちづくりにおける行政と住民の役割

☆テーマに対する答え

 小国というまちは、その字の如く小さいながらも一つの国のようにさえ思えるまちで、何年か前、井上ひさし氏の「吉里吉里人」という小説で、東北の一寒村が突如日本から分離独立していくという本があり、内容はともかくどこか似ているように思い出されました。
 小国というまちのまちづくりの考え方として、従来の、町の発展にはどうしたらよいのか?という考えではなく、どのようにまちを育てていけば、住みよいまち、暮らしやすいまちになるのか、というまちづくりのコンセプトにおける次元の違いを感じました。
 少し前、西吉野村の禅竜寺の孝田住職が、理想のまちとは、誰もがそのまちへ「行ってみたい、見てみたい、住んでみたい」まちのことだと言っていました。そのようなまちが実際に存在していることに、感心を通り越して驚いています。
 住みよいまち、暮らしやすいまち、それを小国に住む人々誰もが追い求め具現化していった結果、現在、注目を浴びているし、また、そういう人たちのいるまちに魅力を感じて移住してくる人が後を絶たないと言うのは、凄く自然のことであるし、当然でもあると思われます。
 テーマとして、まちづくりにおける行政と住民の役割と掲げたが、小国においては、役割という言葉は適さないように見える。なぜなら、地域社会における住民が、本当に心の底から、自らのまちを愛しているからに他ならない。

☆視察を終わっての感想その他

上記に含まれているため、割愛。

<山鹿市>

☆先進地視察におけるテーマ

もしも、八千代座がなければ?

☆テーマに対する答え

 私の小さい頃の遊び場の一つに、「あさひ座」という芝居小屋があり、よく鬼ごっこやかくれんぼで近所の子供達と遊びました。その当時は、そこが芝居小屋であったということも知らず、また、その面影すら感じられませんでした。そこは、本当に真っ暗で冷たく、ひんやりとした風(空気)に体が包まれた記憶が想い起こされます。私が生まれる前の時代では、大変活況であったと聞きました。現在、その場所は、駐車場として利用されています。
 今回、山鹿市を視察するに当たり、そこに住む人たちにとっての八千代座を見て、その存在の大きさから私自身はっきりと感じられたのは、八千代座は、山鹿に住む彼らにとってシンボル(夢)なのだということです。これは、五條に住む私にとっては、凄いことで羨ましいことでもあります。もし五條のシンボルは?と聞かれれば、みなさんはなんと答えますか?山鹿市の人たちならば・・・
 八千代座の復興にも見られるように、そこに住む人たちのまちづくりに対しての共通した考え方に、歴史的建造物や公共的建物、あるいは、そこにしかない文化を大切にしているということが、オブサン・チブサン古墳の整備、古代の森、灯籠民芸館等で分かります。その時代時代、その場所場所で住んでいる人々の傲慢や勝手な判断で、建物や文化を壊してはいけない。もし、再興できないのであれば、次世代へとつなげていくということが、いかに重要なことであるのかということを、再認識しました。
 山鹿市のもう一つの顔として、温泉があります。とても良い泉質のお湯です。しかし、温泉客は、隣のまちに行かれるそうです。市街地の中心部にプラザファイブという地元商店街と温泉をミックスさせたショッピングセンターがありました。立てられる以前は、温泉旅館や商店でにぎわっていたそうですが、坂道の上、道幅が狭かったため、現在の建物になったそうです。その当時、住民の賛同を得て立てられたこのセンターも、その裏で、ほぼ中心部に位置していた温泉街が市街地へのいてん等により、やむなく衰退していったかのように思われます。
 このことからも分かるように、これからのまちづくりにおいて、自分たちが個々に持つ利便性を追いかけていくその裏側に、失っていくものの大きさに気づいておかなければならない。

☆視察を終わっての感想その他

 まず、今回の視察に当たり、視察に行くまでの下見、準備などに関係してくださった方々、また、現地で快く私たちを迎えてくれた方々に御礼申し上げます。
 今回、山鹿市を訪れ、限られた時間の中で山鹿の人たちと話をし、八千代座を初めいろいろと見て感じたことは、自分たちの文化を大切にしているまちだなあーと言う印象を受けました。
 私たちの住んでいる、ここ五條においても、そういった文化や歴史的に価値のあるものがたくさんあります。五條バウムという歴史博物館が建てられましたが、まだまだ、忘れられていたり、なおざりにされているものも数多くあります。そういうものを少しでも陽のあたるようにとしていくのも、ここに住んでいる私たちが取り組んでいかなければならないことの一つだと思います。