風谷 のりこ


<小国町>

☆先進地視察におけるテーマ

木魂館は計画段階から住民が参加して運営も地域住民の手に委ねられているようですが、建設後の利用の仕方や財政的な運営をどうしているのか?

☆テーマに対する答え

 木魂館は町民プランニングシステムという、役所の人(3名)と町民(4名)が7名程度の北里計画設計チームを作り企画・設計を行いました。その中の現木魂館館長江藤訓重さんがこの施設の運営を民間人としてまかされています。
 木魂館は特産の小国杉を使ったアート感覚の研修宿泊施設です。北里の出身の北里柴三郎博士の「人と出会いなさい。人と会うためには勉強しなさい」の理念を受け継いで小国町を訪れる人をもてなし交流できる施設となっています。 ホールや大小会議室は広く町内外の人に活用されて、情報発信基地の役割を果たし日本国内はもちろん海外からのグループ研修にも利用されています。また、夜間は公民館として地元の人にも利用され、コンサートやイベントも行われています。
 また、隣に食と健康の交流館「北里バラン」がオープンし、地元農家の主婦による世界料理の提供も行っています。
 財政面では総事業費211,395,000円で起債・補助金・一般財源でほぼ3等分しています。全体に木を使っていることで、外装等の補修が5〜6年ごとに500万円ほどもかかる等、赤字経営で行政の支援を受けている。
 ただし、まち全体で考えると木魂館の集客能力が物産館・ゆうステーション等へ与える影響は計り知れない物があります。また他の地域の人との交流が町民の知識の源になり、他の地域から移り住む芸術家等も珍しくないといいます。

<山鹿市>

☆先進地視察におけるテーマ

・年代の違う人たちが集まった中で、「八千代座」をうまく活用していく秘訣は何か?また、問題点は何か?
・芝居小屋「八千代座」の魅力とは何か?

☆テーマに対する答え

 「八千代座」は明治時代後期に建てられた芝居小屋で時代により映画館にも姿を変えていましたが、閉鎖され昭和55年に建物は山鹿市に寄付されました。市の指定文化財に指定されるが市も当惑し放置していた。老人クラブメンバーが中心となり八千代座復興期成会が結成され「瓦一枚運動」を展開、改修工事が行われました。その後、「芝居小屋は使ってこそ生きる」との永六輔の講演をきっかけに、地元青年会議所の若者が立ち上がり、芝居興行を15年ぶりに企画するが議会の反対に遭い難航するが何とか八千代座の使用の前例を作った。その後、八千代座桟敷会が作られ、建物管理は行政、ソフト運営は民間の様式が出来ました。桟敷会の世話人は30〜40代ですが問題は世話人に20代の若者がいない。世代交代が出来ないのが会の継続に問題があるとのことです。 お芝居は老人に、ロックや音楽は若者に人気がありみんなが楽しめるまちの文化ホールとして大小数々のイベントや会合にも使われています。