谷合 恵子


<小国町>

☆先進地視察におけるテーマ
☆テーマに対する答え

 まちづくり=人づくりを基本に、住民に自分たちの力でやるよう、任すようにした。すべて行政や団体がするのではなく、住民が地域社会で活発になるように促すことから始めた。そして、小国町は、技術者づくりに力を注いだ。その為、今では板金技術の技術日本一になり、日本各地の工業が技術を求め、小国町にやって来、そして、まちが急速に発展していくようになった。

☆視察を終わっての感想その他

 一万とわずかな町なのに、住民とその上に立つ人たちの町向上に対する意気込みが、意欲が、凄いなと思った。「誰かがやるさ」というのではなく、各自が努力することによって、木魂館、小国ドーム、ゆうステーションなどの立派な建物が建ち、各自は小さいけれど寄せ集まると大きくなり、大きな成功を収めることが出来たのである、ということを実感させられた。

<山鹿市>

☆先進地視察におけるテーマ

八千代座を復興させることによってまちが栄えていき、住民の自分のまちに対する意識が向上していったが、これにあたって、まちはどのように八千代座を復興させ、またどのように住民を励まし、まちの大きな戦力としていったかを探りたい。また、五條にないものを当市から学び、私の今後のまちを考える糧としたい。

☆テーマに対する答え

 まちのシンボルは何か、と探したときに、使い古された八千代座に目を付け、八千代座を修復し、再度芝居小屋として復活させることが、まちを復興させるのに大きな力となったのだが、成功に至るまでの住民の努力が絶大なものであったことには感銘を受けた。老人を中心とした「瓦一枚運動」がその一つだが、八千代座に使う瓦を一枚いくらかで住民に寄付のお願いをするなど、それによって若者が心を動かされ、八千代座が復興していった。住民のまちづくりへの積極性が、何よりだったのだと思う。行政が住民を引っ張るのではなく、住民が行政を引っ張るほどのものであったと聞かされたことが、とても印象に残っている。住民の一致団結が、八千代座を復活させたことによって、山鹿市が復興に向かっていったと知るとともに、自分のまちの五條市にも、やればもっと活気づくんだ、という希望を見せられた思いだ。

☆視察を終わっての感想その他

 五條市と同じぐらいの人口3万5千人のまちとは思えないほどの、活気づいたまちだと思った。住民の努力のおかげで、今では玉三郎が来る芝居小屋として有名になった。山鹿市といえば八千代座、という印象をもたれるに至り、五條市も見習わないと、という思いをした。五條市も新町を利用して何か出来ないか、などと思ってしまった。