私の合格体験記
                            小寺礼香

私がこの塾と運命の出会いを果たしたのは、高3の夏休みでした。当時の私はといえば、中高一貫校で中学時代はクラブ漬け、高校受験も経験せず、高1にしてついに赤点を連発して親が呼び出されるという「大失態」を冒し、某大手塾の夏期講習に通うもそれすら理解できず、3日目以降はサボり、その代わりに某ゼミのファックス通信講座に頼って定期考査をしのぐというひどい頭の中身でした。ここには「赤点対策」でお世話になりました。高2の時に病気になって入院&手術をし、体力もスポーツのやる気もしばらく全然なくなってしまったというのも理由ですがノノノノ..
 このように書くと、自分の「逆転天才ぶり」をひけちらかしているように見えるかも知れません。が決してそうではありません。(天才ならば勉強しなくても赤点なんて取りません。)私は、赤点を取り、体調も良くない「劣等生」、本当に学校の「お荷物」でした。                    

しかし、私は努力をして生まれ変わりました。親は勉強や塾を強制しないので自分でこの塾を探しました。そして行かせてと頼みました。この時点ではファックスには相変わらずお世話になっていましたが、それだけでは受験に間に
合わないと思ったのでノノノノここを選んだ理由は、@家から通学できる距離であることA時間もなく、劣等生なので死ぬ気でがんばらないと間に合いません。「ガリ勉」できそうな所をわらにもすがる思いで探しました。      
私は体が弱いので漢方を飲みまくって、体調の回復にも必死で努め、本当に死ぬかと思う位がんばりました。母も父もすごく心配していましたが、とても温かく協力してくれました。その結果、11月に市大から東大に志望校を変え、(その時はずいぶん無茶だと言われましたが)センターでは失敗もしましたが、11月の時点で東大実戦での判定がE、受験の鍵科目とも言われる英語の偏差値が38.5という他人から見れば「アホやろ、お前」というレベルからの逆転合格を鬼のように「濃い努力」と「運」とでつかみました。これが私の合格体験、熱烈な努力の記録です。

この半年間を通じて感じたことは、人生努力でどうにもならないことはたくさんあるけど、少なくとも大学受験は自分の努力で何とかなるものだということです。ですが、この努力ということで注意をしなければならないのは、「ガリ勉」というのは何時間もたくさんひたすら「量」をこなすということではないということです。鬼のように「ガリ勉」する際に一番大切なのは、鬼のように3時間「超真剣」に努力したら、鬼のように思いっきり休憩することです。

私は、センターの後、2月の初めに勉強がすっかり手につかなくなり、母に誘われて思い切って1週間、田舎のおばあちゃんの家で勉強とはかけ離れたゆったりした生活を送りました。そのおかげで、帰って来た後はまた鬼のように
努力できました。あの時、やる気もないのにダラダラ努力をしていたら絶対落ちていたと思います。何度も言いますが、受験で一番大切なのは、受験生は時間がないのだから、本当に真剣な気持ちで「濃い努力」をして、ダラダラする時間はきっぱり捨てて、しっかり休息を取って効率よく合格に近づくことです。
その「濃い努力」にこの塾は最高でした。

PS: この合格体験記をワープロ清書している時に2月のあたまに明るい彼女がすっかり精神的に「やる気」をなくし、「休ませるか?継続してガンガン追い込みを続けるか?」ものすごく判断に苦しんだ時期が思い出された。直前の「まる一週間」である。先生達は時間がないので焦りまくっていた。母親はさすがに休ませることを主張した。どちらを取るか?この「板ばさみ」状態の判断と決断が一番きつかった。

今、告白すれば先生達に「病気が再発したから休ませる」と「美しい嘘」をついた。生徒の1人1人「顔」が異なるように、緊張した、直前状況の「声」のかけ方、発言ひとつ、ひとつに気をつけないとそれで結果が変わることがある。明らかに良いと思われる決断をしても、「これで落ちた」と言われる可能性もある。ドクターが最良の治療を施したのに、悲しみの家族から「お前に殺された」と言われるのと同じである。今回の判断がたまたま結果につながったから良かっただけのことだと「ほっ!」としている。 
                          

事務局  川添雅夫

医歯学部受験予備校フェニックスゼミ

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