昼に走る王子

 

 朝の冷たい空気を切り裂いて、一台の車が滑るように走行していた。緑の森の中を高速で突っ切っていくその車は、赤い矢のようにも思えた。運転席で男が微笑む。そしてそのまま車は小川を渡る橋にさしかかる。

 橋にさしかかった途端に、車が横に滑る。どうやら橋が凍結していたようだ。完全に制動の利かなくなった車は、そのままスピンする。

「しまった!」 男が叫ぶ。

 そしてそのままその車は橋の欄干に激突した。

 

「暁生さんが事故を起こしたって?」ウテナが心配そうに、アンシーに尋ねる。

「ええ、だけど兄には怪我はほとんどなかったようです。」紅茶を入れかけた手を止めて、アンシーが答える。

「そう、それはよかった・・。」ウテナがほっとする。

「だけど、車の方はかなりこわれたみたいですね。」

「ふーん、暁生さん、かなり高そうな車に乗ってたのに。大変だね。」ウテナは手にしたパンを口に放り込んだ。

 

 レッカー車が赤い車を引っ張りあげる。その車は前の部分が派手につぶれている。

「別に修理ができないわけではないですが、いっそのこと買い換えたほうが安くつくとおもいますよ。」作業服を着た中年の男が、隣の長身の男に向かって話し掛ける。

「いえ、お金はいくらかかってもかまいませんから・・。この車は私にとって特別でして。」

「そうですか。それなら修理させていただきますが・・。ただし、最低でも1ヶ月はかかりますね。」

「そうですか・・。」

 作業服を来た男はレッカー車に飛び乗った。赤い車はそのままレッカー車に引っ張られて運ばれていった。

「これは困ったな・・。」その光景を見送りながら、長身の男、暁生はため息を一つついた。

 

「暁生坊ちゃま、御用でございますか。」理事長室に初老の男が入ってきた。

「ああ、爺。」暁生に爺と呼ばれた男は、暁生に長い間仕えてきた執事である。暁生は生活に関することは専ら彼に任せている。

「実は爺、少し困ったことがあってな。」

「何でございましょうか。」

「実は大至急、車を一台調達してもらいたい。」

「車・・・でございますか。」執事がため息をつく。また暁生のわがままが始まったというため息だ。彼は今まで暁生のわがままに結構振り回されてきている。何しろ大学でも、いつも車か女かのどちらかに乗っていると陰口を叩かれている遊び人の暁生のことである。時には女問題のごたごたにまで巻き込まれたこともあるのだ。

「なんなら、私の車をお貸ししましょうか。」彼が暁生に提案する。

「いや、爺の車は赤い車でないし、オープンカーでもない。」

「オープンカーといいますと?」

「爺が車のことを全く知らないのは相変わらずだな。オープンカーというのは、屋根のない車のことだ。」

「ああ、屋根のない車ですか。赤い。それでしたら、心当たりがないでもありませんが。」

「そうか、すまないが早速調達してもらえないか。すぐにでも必要になるはずなんだ。」

「分かりました。坊ちゃま。」執事は一礼して部屋から出て行く。暁生はほっとすると、デスクに向かって報告書をパラパラとめくる。これは暁生が人に命じて、幼等部から大学部までの鳳学園の生徒について調査させた報告書である。その中のとある生徒の報告書のところで、ページをめくっていた暁生の手が止まった。

「ほう・・。使えそうだな。」暁生が口元に笑みを浮かべる。

 

 

「うーん、まだまだだな。」若い男が畑を見回しながら呟いていた。ここは鳳学園大学部の農学部実験農場である。男の回りには一面のジャガイモ畑が広がっている。

「どうですか?研究の進み具合は。」畑の向こうから、一人の長身の男がやってくる。

「あなたは? 何か御用ですか?」若い男は不思議そうな表情で暁生を見る。

「杉山葉太さんですね。」暁生は笑みを浮かべる「確か、新種のジャガイモの研究をされている。」

「ええ、そうですが。」葉太は少し怪訝そうな表情を浮かべる。相手の正体をつかみかねている戸惑いがその表情に現れている。それには一切かまわずに暁生は言葉を続ける。

「いえ、私はちょっと園芸の方に興味がありまして、農学部の方によくお邪魔するのですが、見事なジャガイモ畑を拝見したので知人に尋ねたところ、あなたのことを教えていただいたんですよ。」暁生の視線がまっすぐに葉太を見つめる。

「そうですか。」葉太の表情が少しほぐれた。

「立派な研究ですね。私のうかがったところによると、荒れ地にも強く高収穫な新種になるとか。」

「ええ。」葉太の表情がパッと明るくなる。「私の生まれた村は決して豊かとは言えない土地でしたが、この新種さえ成功すれば、私の村ももっと豊かになることができるはずです。」葉太は遠くを見詰めるような表情になる。しばらくの時間を置いた後、葉太は突然気がついて言葉を継ぐ。

「すいません。他の方にはおもしろくない話をついしてしまいました。」

「いえ、よい話を聞かせていただきました。こちらこそ、失礼しました。これからも頑張ってください。」暁生は笑顔を浮かべると歩いて去っていった。葉太はその背中を見送ってから、その場にしゃがんでジャガイモの葉を手に取り、裏返してチェックする。

 

「爺」理事長室に戻った暁生は、机の上のインターホンをとって話し掛ける。

「何でしょうか、坊ちゃま。」インターホンの向こうから、老執事の実直な声が聞こえてくる。

「例の車の件はどうなった。」

「はい、赤の屋根なし車の件ですね。早速調達いたしましたが。」

「そうか。」暁生が安堵の表情を浮かべる。「悪いがすぐにこちらに回してもらえないか。今すぐ必要になる。」

「わかりました。」執事はそう答えるとインターホンを切った。

 

 

「はい、桐生です。あああなたですか。」冬芽が携帯電話を手にとっている。

「次のデュエリスト・・。ほう、それは唐突ですね。農芸学科の・・。それは今までのパターンと違いますね・・。なるほど、一種のイレギュラーですか。わかりました。」冬芽が携帯を切った。

 

 

 暁生は携帯をポケットに片づけると、理事長室の椅子に腰掛ける。そしてさっき会った杉山葉太の顔を思い浮かべていた。そして彼の目の光を。彼の目の中にある光は、強い意志の存在を示していた。また暁生は彼のちょっとした身のこなしに、俊敏なものを感じていた。

「時間稼ぎぐらいにはなってくれるだろうな・・。」暁生の口元に冷たい笑みが浮かぶ。理事長としてではなく、「世界の果て」としての笑みが。

 

 しばらくの後、理事長室の窓の外から力強いエンジン音が響いて来た。「来たようだな・・。」暁生は呟くと理事長室を出、理事長館の玄関へと向かう。エンジン音はかなり大きく聞こえていた。暁生はドアを開ける。目の前に真っ赤な車のボディーと、それに乗った執事の顔が見える。

「坊ちゃま、お待たせしました。」執事が笑顔を浮かべて、暁生に軽く手を振る。

「こ、これは・・。」暁生は絶句した。暁生の頭の中にはさっきのジャガイモ畑の風景が渦巻いていた。

 

 

「もっと農場を広げて、大規模に栽培してみる必要がありそうだな。」葉太が農場を見渡しながら呟いた。「しかし本当にできるんだろうか。僕の村でも栽培できる新種のジャガイモは・・。」葉太は両膝を抱えて、その場にしゃがんで畑を見つめる。

「おやっ」葉太は茎の根元に光るものが落ちているのを見つけた。拾い上げてみると何かの指輪のようであった。「なんだろう?この指輪。」

「永遠を手にすればいいんですよ。」後ろから突然声がかかる。葉太はびっくりして後ろを振り返る。

「永遠を手にすればあなたの願いはかなえられます。」冬芽が葉太に接近する。

「永遠?」

「ほら、聞えませんか。あなたの魂が本当にあきらめていなければ。世界の果てを駈け巡るこの音が聞えるはずです。」

「えっ」かすかなエンジンの響きが聞える。どこかでよく聞いたことがあるような。

「さあ、我らと共に! いざなおう、君が望む世界に!」

ガガガガガガー! 大きな地響きを立てて、赤い車が現れる。葉太は思わず後ずさる。

「なんなんですか! これは!」

「これこそが世界の果てだ」冬芽は涼しい顔で答える。

「世界の果てかなんか知りませんけど、これはどう見てもただのトラクターでしょうが!!」

「えっ?」冬芽も一瞬絶句して、車をマジマジと眺める。

 確かにそこにあるのは、紛れもないトラクターだった。そしてそのハンドルを暁生が握っていた。

   ・・・風に逆らう、俺の気持ちを、知っているのか赤いトラクター・・小林旭の歌までかかっている。そしてその前部には、デカデカとYAM○○Rの文字が入っていた。

「これは一体なんなんですか!」冬芽が暁生に叫ぶ。

「いや、これはいろいろと事情があってな・・。」暁生の顔に冷や汗が浮かぶ。「とりあえず来たまえ杉山君。」暁生はほとんど力づくに近い状態で葉太を車に乗せる。仕方ないので冬芽も車に乗ろうとしたが、暁生が制止した。

「いや、元来この車は一人乗りなので、二人が限界だ。君は今日はいい。」

 呆然とする冬芽をおいたまま、暁生のトラクターは葉太を乗せて走り去っていった。

   ・・・燃える男の、赤いトラクター・・・後には小林旭の歌だけが残った。

 

「君の願いをかなえるためには永遠を手に入れればいい。」暁生が葉太に話しかける。

「はあっ?」葉太が聞き返す。

 赤いトラクターがゴトゴトとディーゼルエンジンの音を響かせながら、ジャガイモ畑の中を走っていく。

「とりあえず、畑の拡張の必要がありましたから、このまま走っていただくとこちらも助かりはしますが・・。」葉太が狭い座席の上で窮屈そうに体を動かす。実際、ほとんど暁生と引っ付いている状態なので狭苦しいことこの上ない。

「いや、私が言ってるのはそういうことじゃなくて。」暁生が焦る。「とりあえず、君に世界の果てを見せてあげよう。」暁生がアクセルを踏み込む。しかしディーゼルエンジンの回転数はそんなにあがらない。横の道を走るバイクが暁生達を追越していく。そしてトラクターは暁生達を乗せて、時速20キロぐらいでゆっくりと畑の中を走っている。

「これが世界の果て・・。」と言いかけた暁生の前にも、ただの畑が広がっているだけである。ポカンと口を開けたままの暁生達のトラクターを自転車が追い抜いていく。

「世界の果てかなんか知りませんが、もうすぐ畑の端に来ちゃうんで、Uターンしてもらえませんか。」葉太が暁生の横からひょいと首を出す。

「分かった・・じゃなくて!」情けない表情を浮かべながら、暁生がトラクターのハンドルを切る。

 結局その日の暁生は、葉太を乗せたままトラクターでジャガイモ畑を何度も往復して、広大な畑を耕すことに協力しただけで終わってしまうのだった。

 

「爺、あの車では役に立たん。」暁生が不機嫌な表情を浮かべて、老執事に叫ぶ。

「しかし、坊ちゃまのご希望通り、赤い屋根なし車ですが・・。」老執事は何事もなかったかのような表情を浮かべている。

「いや、それそうだが・・。だから、ああいう車ではなくて、そうだな・・。だから、時速150キロぐらいは出ないと困るんだ。」

「速度不足ですか?」老執事が肩をすくめる。

「とりあえず、3日以内に別の車を調達してくれ。分かったな。」

「はい、坊ちゃま。」老執事は一礼すると、理事長室から出ていった。

 

 3日後の朝。暁生は理事長室に老執事を呼び付けた。

「爺、例の車の件は大丈夫だろうな。」

「はい、そろそろこちらの方に回してくるはずですが。」相変わらず彼は何事もないかのような表情を浮かべている。

 その時、理事長室の窓の外からエンジン音が聞こえて来た。

「ほう、出来上がったようですな。」老執事は窓から下を見下ろす。

「どれ。」暁生も窓から見下ろす。暁生の目に、車の鮮やかな赤い色が飛び込んでくる。大型のボディーに、力強い直線主体のフォルム、そして前面部にはデカデカとYA○○ARの文字が。

 ドターン!! 暁生は顔面から床に突っ伏した。

「違うだろうが!!!! これはあのトラクターじゃないか!!!!!」

「いえ、違います。」老執事は床から起き上がってくる暁生を見下ろしながら、涼しい顔である。

「どこが違うというんだ。」

「速度が不足とのお話でしたので、大学部機械工学科に依頼しましてエンジンの改造をいたしました。時速150キロどころか200キロでも保障できるとのことです。」

「いや・・、そうではなくて・・。」

「何か、不都合がございましたでしょうか?」老執事の涼しい顔はピクリとも動かない。その両目はまっすぐに暁生を見つめている。

「いい、分かった、とりあえずはこれでいい・・。」暁生は頭痛のする頭を押さえながら、老執事を追い払った。

 

 今日も杉山葉太は農場でジャガイモの世話をしていた。3日前に耕した畑には、もう既に種がまかれていた。青々と繁ってきた葉を見回しながら、葉太は満足げにうなづく。

「永遠を手にすればいいんですよ。」後ろから突然現れた冬芽に、葉太は思わずつんのめる。

「なんなんだ唐突に!一体君は!」

「永遠を手にすればあなたの願いはかなえられます。」冬芽は葉太に一切かまわず言葉を続ける。

「願いといわれても、今のところは極めて順調なんだが。」

「あっ・・。」冬芽が言葉に詰まる。

「それに君のその格好。屋外でそんな格好して寒くないのかい。」

「お願いですから、ここで突っ込まないでください・・・。」冬芽がサメザメと涙を流す。

「まあ、よく分からないけど、続けてください。」葉太が先を促す。

「では、」冬芽は気を取り直して、軽く咳払いをする「ほら、聞えませんか。あなたの魂が本当にあきらめていなければ。世界の果てを駈け巡るこの音が聞えるはずです。」

「はいはい。」葉太が耳を澄ます。

「さあ、我らと共に! いざなおう、君が望む世界に!」

ドカーン! 派手な音を立てて暁生が乗ったトラクターが現れる。

「何だ。あなたですか。この前は助かりました。」葉太がのどかな笑顔を浮かべる。「今日は西の畑をお願いできますか。」

「分かりました・・・。じゃなくて。」思わず気安く返事してしまった暁生の顔に大粒の冷や汗が浮かぶ。しかし彼は器用にも次の瞬間には真顔に変わる。

「今日こそは、君に世界の果てを見せてあげよう。」

「まあ、何でもいいですけどね。」葉太は黙って暁生の横に乗り込む。

  ・・・君の名前はヤンボー、僕の名前はマーボー・・・

 後には、ジャガイモ畑の中に半裸で突っ立っている冬芽と、かすかに聞こえる子供の歌だけが残された。

 

 赤いトラクターは畑の中を猛スピードで疾走している。この車は何しろ改造トラクターだから、元々ディーゼルエンジンだけに騒音が大きい。しかもそれを無理矢理改造してるのだからとてつもない騒音を発している。隣にいる人間の声さえ良く聞えないのだ。しかも振動が半端ではない。

「ちょっと、スピードが出過ぎじゃないですか!! 危ないですよ!!」座席にしがみつきながら葉太が悲鳴に近い声を上げる。

「君の願いがガガガガガ、永遠をゴゴゴゴゴゴ

「はあっ?」

「今から世界の果てガガガガガゴゴゴゴー

暁生が突然座席から飛び上がると、トラクターのボンネットに飛び乗る。

「そんな、危ない!!」葉太が叫ぶ。

ジューン!! 激しい音がし、焦げ臭い臭いがあたりに立ち込める。

「うわっちゃー!!!!!」暁生は思わず大声を上げそうになる。

 何しろそれでなくても高速運転用エンジン搭載ではない車を無理矢理改造したのである。このトラクターのエンジンは灼熱していたのだ。しかもエンジンは空冷式になっており、直接熱を発散するようになっていたのだ。まともにその上に座った暁生のズボンは見事に焦げてている。

 激しい尻の痛みに耐え、遠のきかける意識を呼び戻しながら、暁生は何とか引きつり笑いを浮かべる。

「これが君の世界の果て・・。」その声は途中でトラクターのボンネット部分から消える。

「メークイーン!」猛スピードで疾走するトラクターから葉太の叫び声が尾をひく。

 そしてトラクターが走り抜けていった脇には、白い服を着た長身の男が一人うつ伏せになって失神していた。彼のズボンはまだプスプスとくすぶっていた。

 

 

「なんか、今日の決闘相手は変な人だったね。」ベッドの中でウテナがアンシーに話し掛ける。

「そうでしたか。」アンシーがウテナのほうを向く。

「うん、だって全然見たこともない人だったし、それにあの人の武器は、剣って言うよりどちらかというと鍬みたいなかんじじゃなかった?」

「さあ、私にはよくわかりませんから。」

「それに、あの決闘場を走り回ってたトラクターは?」

「さあ、どうしたんでしょうね・・。」アンシーが小さくあくびをする。

 

「爺、とにかく今度の車はあれではないのだろうな!」暁生が理事長室で激しく怒鳴っている。

「ええ、あれは駄目だということでしたので・・残念ながら。」老執事は例によって涼しい顔で答える。

「それなら、いいが・・。ううう!!」つい、椅子に腰掛けようとした暁生がうめき声をあげる。

 彼はあの後、畑の中で失神していたところを助けられたが、全身打撲の上に尻にはひどいやけどを負っており、惨澹たるありさまだったのだ。色男を気取っている暁生はなるべく見た目は分からないようにしているが、実は洋服の下の体は包帯でグルグル巻きである。そのため今日はズボンもいつもより2つ大きいサイズのものをはいているのである。

「そろそろ車が到着するころです。」うめき声をあげている暁生に気付いてか気付かないでか、老執事は淡々と言葉を続ける。

「あっ、到着したようですね。」窓の外から聞こえるエンジン音を耳にして、老執事は窓に近寄る。

「どれ、」暁生も半ば這うようにして窓からのぞき込む。

 暁生の目に、鮮やかな赤い色をしたボディーが飛び込んで来た。四角い力強いスタイル。そして大きなボディー。そう大きい・・少し大きすぎる。

「実は私の知り合いに東京消防庁の・・。」ポカンとしている暁生の耳には、老執事の説明はもはや入っていかなかった。暁生の頭の中はサイレンが駆け巡っていた。

 

「ほら、聞えませんか。あなたの魂が本当にあきらめていなければ。世界の果てを駈け巡るこの音が聞えるはずです。」

ウウー! ウウー! カン! カン! カン! カン! カン!

 

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