満州時代の遺構、瀋陽駅(旧奉天駅)。今も現役だ。
朝7:28分、定刻通り列車は瀋陽北駅に到着。中国の鉄道ダイヤはかなり正確だと思う。
旧満州鉄道のパシナ形こと「あじあ号」(SL751号)が展示されているという蘇家屯区の「蒸気機車陳列館」へ向かいたいと一生君にお願いした。今日泊まることにした遼寧賓館(旧大和ホテル)へ向かい、部屋の予約と荷物を預け、両替を済ませてからタクシーで出発。目的地はかなりマイナーな所らしく、ホテルの人もこのタクシーの運転手も知らない様子。地図を見せてわからなくなったら地元の人に訊いていこうということになった。しかし現地付近で道を尋ねても知らない人が多い。中国ではやはり鉄道への興味は薄いのかと思った時、なんとその蒸気機車陳列館の元従業員という人に出会った。現在陳列館は改装のため閉鎖中とのことで、かわりに展示用の車両の一部が移動している機関区へ行ってみてはどうかという話になった。
道を尋ね続けながらもタクシーは何とか機関区へたどり着くことができた。入口の小さな詰所で住所と氏名を書いて区内へ入場。「見学者」は珍しいらしく、日本から来たと聞いて驚く人や「わざわざようこそ」と歓迎してくれる人もいた。日本ではお祭りでもないかぎり営業運転中の機関区へ立ち入ることはできないが、ここでは機関車が往来する線路の上まで入っていくことができた。ここでの事故は完全に個人の責任となり、一生君曰く、機関区の人は「どこでなにをしてもいいですよ」と言ったという。
機関区内の雰囲気(28.8k/Mono)

ディーゼル機関車のエンジン音 (28.8k/Mono)
汽笛一声 (28.8k/Mono)
配置されている車輌はほとんどがディーゼル機関車で、蒸気機関車はわずかだったが、一両豪快に煙を吐き出して動いているものもあった。自分のすぐ足下でポイントが動き、やがて軸配置C−Cのディーゼル機関車が轟音と共に通過する。でかい。日本の機関車より一回り大きいようだった。
機関車の単機回送 (28.8k/Mono)

目の前を貨物列車が通過する (28.8k/Mono)
機関区の隅の方に1両、異彩を放つ蒸気機関車が停まっていた。淡い青一色に塗られた「SL751」号(パシナ形)こと「アジア号」の機関車である。とはいえ、長年に渡り放置され続けたその姿は目を覆うばかりの惨状だった。博物館の改装に併せて補修するのかもしれないが、かなり腐食が進んでおり、錆びついて穴のあいている部分が目立った。陳列館の改装にあわせて復元するとなると、かなりの手間と費用がかかるのではないかと思う。

最後に蒸気機関車へ近寄ってみた。安全弁から蒸気がものすごい音を立てて吹き出している。機関車の周りには真っ黒に日焼けした上半身裸の男たちが10人くらいだろうか、ハンマーを持って車体のあちこちをいじっている。中年の女性の姿も混じっている。日本ではほとんど見られなくなった光景ではなかろうか。ここで取り続けていたDATのテープが終わってしまう。手を休めた男の一人が我々に近寄ってきた。日本から来たと言うと「日本にはもう蒸気機関車はあまりないんじゃないか?」と聞いてきた。中国でも蒸気機関車はディーゼル機関車に座を奪われ、瀋陽の機関区では客車を牽引することはなくなってしまったという。電化されている線区はまだ少なく、中国全体から見ても電気機関車は多くないものの、どうやら中国も日本と似たような鉄道史をたどっているようだ。
整備中の蒸気機関車 (28.8k/Mono)

市内に戻り、点心や羊肉の美味い店でシューマイや串焼を食べた後、満州事変発端の地、柳条湖事件のあった「9・18事変博物館」へ向かう。タクシーに乗り、10分くらいですぐに着いた。博物館は旧満州鉄道の爆破地点である線路敷のすぐ横に建てられており、敷地からは北京〜瀋陽〜長春〜哈爾浜を結ぶ「京哈線」の列車が頻繁に通過する様子が見える。建物は全体的に新しく、ガイドブックには博物館は事件からちょうど60周年の1991年9月18日にオープンした、とある。「暦本碑」という巨大な日めくりカレンダーを模した石の建造物に、「1931、9月、18、星期五(金曜日)」という文字が刻まれている。下の方に入口があるので、これが博物館かと思いきや、ここは荷物の預かり所になっていて、博物館はその奥にどっしりとかまえていた。
博物館の中は半地下構造になっていて、事件の発端から日本の無条件降伏までが広いスペースに模型、人形、映像、実物等で生々しく展示されていた。ここで見るかぎりではあるが、当時の野蛮かつ残虐なファシズム的手段で東北地方の占領を進めていった日本人は、はっきりいって「鬼畜」である。最近増加の傾向にある日本の少年犯罪は、この潜在的な「鬼畜」の精神が再び目を覚ましているのではあるまいか、そう思うだけで背筋に強烈な悪寒がはしった。

気を取り直して買い物等を済ませた後、遼寧賓館へ戻ったのが16時頃。朝から動き通しだったので、しばし休憩。20時頃に夕食に繰り出した。朝鮮料理の店で炭火の焼肉を食べる。ビールはぬるかったが、肉はかなり美味く、ご飯や冷麺も良かった。3人で83元(約1080円)と、中国にしては少々高い気がするが、この辺で自分の金銭感覚が「中国モード」になっていることに気づいたのだった。
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