最近のできごと(1997年12月下旬)
1997/12/31(水)
今日は大晦日。今年私のまわりではいろんな事件がありました。
みなさんはどうでしたか?
ともあれ、今日でひとつ区切りがつきます。
今年イヤなことがあった人も、悲しいことがあった人も、くやしい思いをした人も、楽しいことがあった人も、ぬれ手に粟だった人も、いろんなことがあった1年だったでしょう。
とりあえず明日はお正月。ちょっとだけのんびりしましょう。
「のんびりなんかしていられない。」という人でも、いつもいつも忙しいわけではないでしょ?
明日がダメなら、いつの日か。時間を見つけて自分を休ませてあげましょう。
そんなに肩肘張って毎日を過ごさなくても、地球は回り続けるし、暗い夜もいつかは朝になります。
いつものんびりしている私がこんなことを言うとみなさん怒るかも知れません。
でもね、いいじゃないですか。手を休めて深呼吸してまわりを見渡せば、また違う風景が見えるかも知れません。
ともあれ明日はお正月。来年が私にとっても、みなさんにとっても良い年でありますように。
このページもまだまだ続くはずです。これからもよろしくお願いします。
1997/12/30(火)
今日も1日大輔とのんべんだらりと過ごしたのですが、ちょっとびっくりしたことがあります。
NHKがBS1で立川の「競輪グランプリ」を中継していたのです。
競馬の「有馬記念」、競輪の「グランプリ」と来て、何年か先にはボートの「賞金王決定戦」を中継するんでしょうか?
ところでJAPANのジャンプ陣が好調です。船木選手がオーベルストドルフのラージを勝ち、斎藤選手が2位。
どれだけノーマルヒルで勝ってもラージヒルで勝たねば意味がありません。この調子を持続してNAGANOで爆発してもらいたいモンです。
一方の期待の星木村くんは今季ちょっと調子が出ていません。でも、あくまでも目標はNAGANOですのでマイペースで調整して2月には結果を出してくれるものと期待しています。
明日は大晦日。信じられません。
1997/12/29(月)
今日も1日のんべんだらりと過ごしました。
ここ何日かは昼まで寝て、午後大輔の子守り、夜は明け方までPC部屋で遊ぶというパターンです。
ゆうべもいろんなサイトでフリーの画像を探してメインページを少し衣替えしました。
今年もあと2日。この家に正月が来るなんて信じられません。
1997/12/28(日)
今日は大輔の4歳の誕生日です。
昼から奥さんがケーキを作り、夕食後3人でお祝いしました。
大輔くんもう4歳です。あと2年ちょっとで小学生!想像できません。
今日もボーっと見ていたTV番組について、ひとこと・・・。
「校長がかわれば学校がかわる」でしたか、あの番組ですが現実はあんなモンじゃないです。誤解のないように。
言われただけで教室に入るならかわいいモンです。
あの程度の生徒なら各授業時間に各階に3人ほど廊下当番をつければ教室に入って形だけでも勉強します。
また1学期のうちにあんなに劇的に、少人数であれ生徒をつかめる校長などいません。
あの番組は現場に立ったことのないえらいセンセたちと同じ視点から作られておりけっこうムカムカしました。
現場の教師をバカにしています。そんなこと言われなくてもわかっているのです。
1997/12/27(土)
今日は9時にいったん起きて2Fに降りてきたのですが、大輔といっしょにアンパンマンのビデオを見ながらコタツで寝てしまい次に起きたのは12時過ぎでした。
世間のお父さんたちは大掃除したり、買い物に付き合ったりしているだろうに私はのんびりさせてもらってます。
大輔の肺炎のため、大掃除や特別な正月準備をしないことにしたおかげです。
で今日は1日コタツで過ごしました。
ボーっとTVを見ていると「ノックは無用」という関西ローカルの番組にノック知事が久しぶりに出て、笑顔を振りまいていました。
最近ノック知事の笑顔を見ていなかったので何かホッとしました。
知事「山田勇」としてもあの笑顔を見せてほしいのですが、部下がバカだと上司が苦労する、といういい見本です。
知事選挙では私も彼に投票したひとりですが、最近は気の毒です。あんなことで消耗するために知事になってもらったのではないのですが・・・。
良き指導者たる資質は持っていると思うのですが、日本ではそれを発揮する以前のところに大きな障壁があります。
ともあれノック・上岡・上沼という組み合わせで爆笑させてもらいました。
今年もあと4日。
あと4日で1998年です。再来年はいよいよ空から恐怖の大王が降りてきます。
1997/12/26(金)
今日は8時半起床、9時半に家を出ました。
ガッコへ着いて机のまわりを見渡し「何かやり残した仕事は?」と考えると1つだけ、9月に退学したK場くんの要録がまだだったことを思い出しました。
1、2学期通算の「出席すべき日数」「留学等の日数」「欠席日数」「出席日数」をうめて完成。
旧課程では各科目の欠時数を書く欄があったのですが、今はなくなっていました。
それを終えてから教頭と雑談、しばらくすると生指のF原センセが職員室に来て「コーヒーいれたのでどうぞ。」
生指へ行ってコーヒー飲みながらまたしばらく雑談。
11時頃事務室に寄って「みなさん良いお年を。」とあいさつしてガッコを出ました。
山本の駐輪場に自転車を預けて電車で日本橋へ。
「電車でGO for Windows」が出たという話しをどこかで読んだのでそれを探しに行きました。
テクノランドでデジタルプラレール「車両セット03貨物編」と「情景セット02追加レール&接続ツール」を買い、「電車でGO」を探したのですがありませんでした。
テクノランドを出てから、ふと5丁目の交差点のソフマップに入ってみたのですが何か異様な熱気です。
プレイステーション買って「電車でGO」やろうかな?と思って入ったのですが、「電車でGO」は品切れ。別にコントローラーも必要らしいのでやめました。
ソフマップを出ると雨。
地下鉄、近鉄を乗り継いで山本まで戻っても雨。いったん家に戻ってカッパを着て山本にとって返し、自転車乗って帰ってきました。
明日からしばらくガッコのことは忘れて冬休みにします。年明けは5日くらいから活動開始しましょう。
1997/12/25(木)
今日は7時半起床、8時45分頃家を出て10時過ぎにK納高校着。
S水谷も来ていました。ポカポカと暖かだったので良かったです。12時過ぎに終わり、帰宅。
奥さんが買い物に出かけたので夕方まで大輔の子守り。
今日は平和な冬休みの初日でした。
明日は午前中ガッコへ行ってやり残した仕事がないか考えてきます。
1997/12/24(水)
今日は一度6時に目が覚めたのですが「ま、いいか」ともう一度寝て7時半起床。で8時半ガッコ着。
9時からグランドで終業式。そのあと30分間大掃除、それからHR。
冬休みの宿題を配ったり、学年通信配ったりしてから通知表を渡しました。
「このクラスは全員進級はできるだろうが、全員が欠点なしで進級するために3学期もがんばるように。」とひとこと言って10時半頃解散。
12時頃ガッコを出ていったん家に帰り、電車で山本へ。
用事を片づけてケーキを買って帰りました。
そのあと4時頃から香芝のさかもと小児科へ。今日は非常に患者さんが多く、着いてから帰るまで3時間くらいかかりました。
帰りに山本に寄り、夕食。家に帰り着いたのは8時過ぎでした。次に香芝へ行くのは年明けです。
明日から冬休み。明日はラグビー部がK納高校で練習試合です。
あさってガッコに行って年内にやっておかねばならない仕事をすませます。とはいえそんな仕事があるかどうか・・・。
1997/12/23(火):天皇誕生日
きのうの続きです。
そうして6月16日(月)に"彼"は亡くなりました。
直接の死因は「急性硬膜下血腫」なのですが、なぜそうなったのかはわからずじまいです。
亡くなってからの解剖の結果、倒れる何十分か以内に頭の血管が切れたはず、ということなのですが5、6限は体育大会の行進の練習をしていました。
頭の血管が切れるような激しい運動はしていません。
またその後の柔道部の練習でも激しい練習はしていません。
なぜ、あんなことが起こったのか・・・、今もってわかりません。
1997/12/22(月)
今日は1日大輔と家の中でウダウダ過ごしました。
今年もあと9日となりましたねえ。アッという間に過ぎた1年でした。
今年の私の身の回りで起きたことと言えば・・・、彼の死につきます。
もう落ち着いて振り返ることができるので少しまとめておきます。ただ、記憶も薄らいでいますので不正確な面もあります、また記憶まちがいもあると思います。その点はご容赦を。
ことの発端は5月29日(木)でした。職員会議が終わった5時過ぎに1−1の生徒で空手部部員のT塚が職員室の私に「"彼"の様子が変です。」と言いに来ました。
"彼"は柔道部員なのですが、練習中に倒れたそうなのです。で隣の剣道場で練習していたT塚が私を呼びに来たのです。
急いで柔道場に行くと養護教諭のS井センセがすでにいて"彼"の様子を診ています。すでに瞳孔は開いて、意識がありません。
すぐに体育のK木センセも来て大きな声で"彼"に話しかけてくれましたが応答はありません。
教頭、柔道部顧問のT中センセも柔道場にやってきました
S井センセが手配してくれたらしくまもなく救急車が到着。S井センセと柔道部顧問のT中センセが同乗し、どこの病院に運び込まれたのかをガッコに連絡してくれることになりました。
その間に私は"彼"の家に電話し、お母さんにことの次第を報告。「今救急車で病院に運ばれています。どこの病院かわかったらまた電話しますので、そのまま待っていてください。」と言っていったん電話を切りました。
しばらくしてT中センセから電話があり「W草第一病院に運ばれた。」とのこと。ガッコから自転車で15分くらいのところにある病院です。
"彼"の家に電話するとお母さんが「主人といっしょに行きます。」私も心配そうにしているT塚といっしょに自転車をこぎました。
病院に着くと19期卒業生のH見という子が受付にいましたので「救急車で運ばれた子は?」と聞くと「今ICUにいて、まもなくオペに入るよう。」
1Fの待合室にいるとS井、T中が来て「ICUから1Fの処置室におりた。」とのことなのでガッコに電話して教頭に連絡。
まもなく"彼"の両親到着。1Fの処置室へ。その後"彼"はいったんICUに戻ってから手術室へ。
手術の間にいろんな人が病院に駆けつけてくれました。
手術は4時間くらいで終了。手術後ICUに戻り執刀医の説明をみんなで廊下で聞きましたが「頭の中の血管が切れて血が溜まり、脳ヘルニアを起こしていた。非常に危険な状態で、最悪の場合は脳死に至るであろう。」とのこと。
その後、両親や親戚の人たちは帰ったのですが私と柔道部顧問のH本、N川の3人がICUの向かいの待合室に泊まりました。
1997/12/21(日)
今日は一家3人お昼まで寝ていました。
ごはんを食べてから香芝のさかもと小児科へ。
大輔くん快方に向かっているようですが、まだ油断はできません。
帰ってきてから久しぶりにウイザードリィ三昧。
明日は奥さんが仕事なので1日大輔の子守りです。
しかし、伊丹十三氏が自殺ですか。理由は何であれ自殺するようなヤワな人ではないと思っていたのですが・・・。
ともあれご冥福を祈ります。