日本の教育について(その1)


教育に携わる一員として、最近の日本の教育に関してなんらかコメントしようと思い立ったのでキーを打っています。

でもきちんと論旨の一貫した文章を書く自信はありません。いずれ書こうと思っているペーパーのメモだと思ってご容赦ください。

神戸の事件をきっかけにそれまで自信なさげに、不安そうにしていた「日本の教育」がパニックを起こしています。

でもね、パニックを起こすほどそんなに日本の教育は間違っていたのでしょうか?

たしかに受験競争は激烈です。でもその「競争」へは親が望まなければ参加する必要はないのです。

こどもにのんびりとした環境で過ごさせればいいものをわざわざ進学校に入れてこどもの個性を歪めているのは親です。

良い高校に行かせたい、良い大学に行かせたい。気持ちは分かりますがこどもの人生です。こどもが行きたいところへ行かせるべきです。

こどもが受験戦争に参加したい、と言ったら協力してやればいいのです。

こどもには判断できないから親が「助言」しているだけだ、というのは親の身勝手な論理です。その親はこどもの人格を尊重せず私物化しているのです。

また、他方では中途退学者が増加の傾向にあります。でもこの原因はすべて学校にあるわけではありません。

だいたい15年間付き合ってきている親が「こうして欲しい」といって聞かないのに、たかが1、2年か3年ほど付き合っているだけの教師が言って聞くわけがありません。

学校を途中で辞めていくこどもというのは「学校という枠に自分をはめ込めないこども」です。

学校に期待されていることはいくつかあります。学力をつけることはもちろんですが「集団生活」になじませるというのも大事です。

極端に言ってしまうと学校を途中で辞めていく子というのは、この集団生活ができない子です。

「集団生活になじめなくてもその子の個性を伸ばすのも学校の仕事ではないか?」

違います。集団生活になじんだ上での個性です。

「集団生活のできない個性的な子」がよしんば卒業できて社会に出てもその子は「集団生活のできない個性的な大人」になるだけで、社会の中では異端です。

「集団生活ができない子」が育つ原因はいろいろあるでしょうが私は親の育て方が下手なのだと考えています。自分が「うまく育っていない」親に、こどもがきちんと育てられるわけがありません。

それと最近私が感じているのは「日本全体がいま脱皮の途中である」ということです。

学校を辞めていくこどもたち、海外へ出ていく青年たち、売春を続ける少女たち、ルンペンのおっちゃんをなぐり殺す少年たち、バイクで走り回る少年たち、みな今の日本は「過渡期」だと感じて苛立っているのではないでしょうか。

話を戻します。いろんなことに対して学校に原因がない、と言うつもりはありません。

中には生徒の人権を無視するバカな教員もいます。いじめを見抜けない教員もいます。

日本の教育はカンペキで、これからも今まで通りでよい。などとは言いません。社会やこどもの多様化にあわせた微調整は必要です。

でも、私たちは一生懸命やっています。それを免罪符にしてはいけないのですがそれだけは声を大にして言っておきます。

(1997/10/16)


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