教員ってみんな「賢い」んです
教員やってる人ってみんな賢いんです。だって大学に入らなくてはならないし、おまけに大学では人より余計に単位を取らないといけないし、とどめに採用試験に合格しないといけないし。
努力せずに教員になった人もそりゃいるかもしれませんが、たいていの人は他人より余計に努力して教員になっていると思います。
で、教員になってからどうかと考えると新任の年はみんなわけも分からず生徒の中に入っていき、そこでたいがい消耗します。新任の年から生徒とうまく付き合える教員などいません。
「うまく付き合っている。」と思っているあなた、それは大きな勘違いです。
消耗の1年目が過ぎ、2年目がやってきます。たいていは2年目に初めて担任を持ちます。
「消耗しない術」、すなわちどこでサボるかはもう心得ているのですが、それは「授業」という場面でしか通用しません。
授業以外での場面で生徒たちとどう付き合うか、今まで通り彼らの中に入っていくか、それとも知らん顔するか。
ここが第1の分岐点のようです。「賢い」人は知らん顔します。
せっかく教員になったのに、もったいない話ですが彼らは頭を低くたれて嵐が通り過ぎるのを待っています。いつか進学校へ転勤することを夢見ながら。
「賢くない」人は相変わらず生徒の中に入っていきますが次に第2の分岐点がやってきます。
「賢い」人を非難するか、許容するか。
「私はこんなにいろいろやっているのに、あいつらは何じゃ!あんなヤツらとは一緒に仕事したくない。」と言ってしまえばストレスが発散できて楽だと思います。
ただこの人たちの問題は「物事を相対化して見れない」ことにあります。はっきり言うと「独善」なのです。
賢いうえにいろんな経験をしてきていますから強い自分を持っています。だから「ねばならない」と書いたはちまきをいつも巻いています。
「担任はこうしなければならない」「仕事はこう進めなければならない」いくつもの彼らなりの「正義」です。
その「正義」が大人として社会に通用する「正義」かどうかは別にして。
「他を許容する」という当たり前のことを含んだ「正義」かどうかは別にして。
考えてみればこの人種が一番たちが悪いのではないでしょうか。「ガキ」の要素が加わると最低です。
私は昔、彼らに言いました。「世の中にはいろんな人がいてんねん。仕事しよらんことが気に入らんのやったら、どうやって仕事させるかを考え。それがイヤならひとりで仕事し。」と。
非難するのはうらやましがっているからだと、賢いのだから気付いて欲しいモンです。
(1997/09/14)