血管性紫斑病その1
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(99/12/2 update)

長男が6才の時、突然血管性紫斑病になりました

発病
1997年10月30日(木)
前夜から何度となく「お腹が痛い」と言って泣き、さすってやると寝るということを繰り返す。 下痢や便秘というわけではないらしい。朝は元気もなく食欲もない。しかし、熱もない。「膝が痛い」というので見ると、膝の裏のアトピーがひどく化膿している。アトピーの軟膏をつけて、とりあえず保育園に送り出す。
夕方お迎えに行くと、保母さんが「足が痛いって言ってます」という。歩くのも辛そうである。帰宅して、いろんなものを食べたがるが、一口食べては「いらない」という。
1997年10月31日(金)
昨夜も「お腹が痛い」と泣いてはさすってもらって寝るということを繰り返す。朝、起きると元気と食欲はないものの、痛がることもなく普通にしている。とりあえず、保育園を休ませ近所の小児科へ連れて行くことにする。 「風邪でしょう」ということで、抗生物質と風邪薬が出る。膝の裏はアトピーということで、抗生物質入りの強めの軟膏が出る。
1997年11月2日(日)
小児科でもらった薬を飲ませながら様子を見るが相変わらずである。ビデオを見たり遊んだりしているが、とにかく、食べないのでプリンなど買ってきてみるがそれも少ししか食べない。 食べないのでだんだんやつれてくる。翌日は祝日で病院は休みである。おまけに、親戚の七五三のお祝いに呼ばれている。「これは、火曜日まで待てそうにない」ということになり、夕飯(その日はしゃぶしゃぶであった)を全く食べられないようなら、夜間救急へ連れて行こうと夫と相談していると、少しは食べる。結局、もう一晩様子をみることにした。
1997年11月3日(月)祝日
相変わらずの一夜であった。11時にはお出掛けしなくてはならないので、その前に診てもらおうということになる。休日なので、診療している病院を探す。S市の市民病院がやっているという。ここは、そもそも救急病院である。ちょっと遠いがしかたがない。
休日なので、比較的空いている。初診なので、医者が聞く。
「どうしました?」
「先週から、夜になるとお腹を痛がって、食欲が全然ありません」
「はい、そこに仰向けに寝て」
医者が診察をする。そして、長ズボンのすそをまくりあげる。すると、そこには赤い発疹が出ていた。それまで、全然気付かなかったものである。その時、私は膝のアトピーが広がってきているのかと思った。
「あと、膝の裏の湿疹がひどくて、膝を痛がります」
医者が突然(と感じた)言った。
「たぶん、血管性の紫斑病だと思います。入院して下さい」
その後のことは、よく覚えていない。言われるままに、レントゲンをとりに行ったり、入院の手続きをしたり...。お出掛けは当然中止である。

入院
入院が決まって、まず「付添いますか?」と聞かれた。よく意味がわからなかった。「付添う場合は24時間お願いします」と言われて、泊り込むことだとわかる。下の子もいるので難しいと答えると、「6才だし大丈夫でしょう」ということになった。
長介は、入院のための検査や処置を受ける。体重測定、採血、点滴。私は問診表を記入し、看護婦さんに普段の生活の様子や、長介の性格などについて質問される。
病室に落ち着いた。個室である。そこで入院に関する説明を受ける。
面会のこと。平日は3時〜8時、土日祝日は1時〜8時。子供は入室できない。
テレビのこと。この病院は一人一台テレビがある。テレカのようなカードを買って、イヤホンで見る。1000円で1000分。
とりあえず、入院に必要なものを取りに行かなければならない。 我々は不安そうな長介に食堂から本を持ってきて「すぐに戻るから」と言って病院を後にした。 七五三の約束の時間になっていた。お腹もすいたので、レストランに入りそこから断りの電話を入れた。

病院に戻ると、長介は点滴につながれて横になって本を読んでいた。看護婦さんが待っていたようにやってきて、いろいろ説明してくれる。
入口に消毒用のポンプがあり白衣がぶら下げてある。
「入室する時は、これで手を消毒して、この白衣を着て下さい」
なんだかわけがわからないが、とにかく大変なことになっているらしいという気がした。後になって、「気がした」だけであることがわかるのであるが、この時は気も動転している。
絶食なので、水も飲んではいけないらしい。絶対安静で、トイレも病室でする。シビンとポータブルトイレがある。おしっこは畜尿するので、別の容器にためておく。
次郎がいるので夫にはひとまず帰ってもらい、面会時間が終わる頃に迎えにきてもらうことになった。

しばらくすると、別の看護婦さんがやってきた。大部屋がいっぱいなので、ベッドが空いたら移るという。そして、私の白衣を見て、 「あぁ、これはもう着なくていいですよ」と言った。 なんだかよくわからないが、手違いだったらしい。ちょっと拍子抜け。
そして、時間外の面会申込をするように言われる。そうすると、面会時間以外でも付添っていられるのだそうだ。初めての入院で長介に一人は無理だと思われたのか、よほど具合が悪いからなのか、それは今も謎である。
とにかく、こうして長い1日は終わった。

絶食期
翌朝、病院へ行くと長介は6人部屋に移されていた。個室でなくてはいけないほどには悪くないらしい。少し安心する。
入院して1週間位は絶食であった。この時期は、紫斑もたくさん出てきた。特に足は紫斑が融合して大きくなっている。お尻や背中、腕、顔にも出た。これは、いたくもかゆくもないらしい。
しかし、かなりお腹が痛いらしく「痛い、痛い」と転げまわっている。胃のあたりをさすってやると楽なのかおとなしくなるが、少し手を休めると「さすって!」と怒る。あまり痛がる時はナースコールをすると、看護婦さんがやってきてステロイドを注入してくれる。これは、点滴の管の途中に注射器のピストンをゆっくり押す機械をつなげて注入するのであるが、15分くらいかかる。これで、痛みはおさまるはずだと言うのだが、長介はそれでも少し痛がっていた。
昼間は、そばにいてずっとお腹をさすってやれるのであるが、夜8時になると面会時間が終わるので帰らなければならない。なんせ、はじめての入院である。具合も最悪だ。当然、泣かれた。
「帰らないで!」
怒り叫んでいる。こちらもいてやりたいのは山々であるがしかたがない。うつらうつらした状態でもあったので、お腹をさすりながら寝付くのを待って、そっと帰ったりしていた。
長介は、夜中も「痛い、痛い」と泣き叫んでいたらしい。朝、行くとベッドに長介がいない。あまり大声で泣くのでナースステーションの隣りの隔離室に移されていたらしい。いくら、お互い様とはいえ、あの声では他の子が寝られない。

流動食へ
2〜3日、そんな日が続いたあと、痛みもだんだんおさまって紫斑もピークを過ぎたようだ。
入院から5日目に、水分の許可が出た。まずは50cc位からである。ところが、飲ませて間もなく「ウンチ」と言って立ち上がった瞬間下痢をしてしまった。本人の意思に関係なく出てしまったらしい。ずっと、絶食だったために消化管がお休みしていたのだ。ベッドを汚してしまったので、看護婦さんに「紙オムツを用意して下さい」と言われた。しかし、用意するまでもなく失敗はこの1回だけだった。
1週間もすると痛みも落ち着いて、本など読んで過ごせるようになった。私が朝からいなくても平気になり、面会時間に行けばいいので時間的に少し楽になる。
そうなると、お腹がすいてくる。食事やおやつの時間には他の子をうらやましがって泣いた。そして、やっと流動食へ。はじめは全部液体である。それから少しずつ普通食へ移行していく。この時期、長介の頭の中は「食べ物」でいっぱいだったようだ。「お腹すいた。なんか食べたい。」を連発して困った。どうも、ステロイドの副作用もあったらしい。

発熱
11月16日(日)、突然熱を出した。入院から2週間後のことである。40.1。肺炎の子なども入院してくるので、うつったのかもしれない。長介は熱には強い。本など読んでいて一見元気そう。
しかし、問題はその後であった。熱が下がってまもなく、せっかく少なくなってきていた紫斑がドッと出た。お腹も痛がる。ステロイドの注入。食事も絶食にはならなかったが、流動食レベルが後退した。振り出しに戻った感じである。

退院
その後は順調に回復していった。お腹の痛みがなくなると、ステロイドは注入から飲み薬に代わった。これがかなり苦いらしい。少しづつ量が減らされやがてなくなった。食事も、普通食が食べられるようになると、点滴がはずされた。紫斑は少しづつ少なくなり、やがて数えられる程度になる。この時期は看護婦さんが新しい紫斑ができていないかどうか、毎日チェックしていた。尿検査では、微量の蛋白と血尿が出ていたが、今にして思えば蛋白尿の方は全然たいしたことはない。しばらく、ベッドの上でおとなしくしている日々が続く。
そして、12月9日(火)、突然退院となった。その日、私は用事で一日外出していて、夕方いつものように面会に行くと長介が怒っている。急に退院が決まったが家に連絡がとれなくて困っていたらしい。こっちも、全然聞いていなかったのでびっくりした。入院から5週間後であった。

再入院そして退院
退院してまもなく、今度は喘息が出た。12月12日(金)、退院後の受診日で喘息の薬をもらう。風邪もあったらしい。月曜日には熱も出た。そして12月16日(火)の朝、起きた長介が泣きながらやってきた。手のひらに発疹が出ている。紫斑だと思ったらしい。とにかく、病院へ連れて行く。診察してくれた医者曰く、
「う〜ん、紫斑とは違うと思うけど、こういう発疹が出るのは普通ではない。入院して様子をみましょう」
再入院である。
結局、今回は単なる感染症だったらしい。発疹はすぐに消えた。熱も下がった。そして、1週間後の 12月24日(水)、無事退院した。退院祝いを兼ねたクリスマスとなった。

治癒
年内は自宅で安静にしていた。おしっこは、蛋白が消え血尿だけになっていた。新年からは保育園にも通えるようになり、運動制限も特になかった。2週間毎の通院では毎回、尿検査をしていたが、検査値20前後のわずかな血尿がなかなかとれない。
そして、半年後の6月頃、やっと血尿がマイナスになった。長介は1年生になっていた。


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