血管性紫斑病その2
HOME戻る
(2001/3/30 update)

長男が7才の時、喘息で入院中に血管性紫斑病が再発しました

再発

1998年8月15日(土)
、長介は喘息で入院中であったが、そろそろ退院かというこの日、土曜日だったので私は午後から付添っていた。しかし、長介の元気がない。ゴロゴロと横になってだるそうにしている。ちょっと変だなとは思っていたが、夕方5時頃ふと見ると、足にバラバラと見覚えのある紫斑が出ている。すぐに、ナースを呼びに行く。医者も呼ばれる。この日の担当は、非常勤の見慣れない先生であった。 医者はカルテを見ながら、
「前に血管性紫斑病をやっているから今回もたぶんそれだと思うけど、血小板が減っている場合も考えて検査します」
という。紫斑病なら腎炎も心配だ。そう言えば、記録を見るとその日はおしっこが出ていない。本人に聞くとやっぱり「出てない」という。すると、医者は、
「じゃ、腎臓の検査もしておきましょう」

土曜日の夕方であったが、さすが救急病院である。長介はさっそく車椅子に乗せられて連れ去られ、採血、レントゲン、腎エコーをして、点滴につながれて戻ってきた。医者が説明してくれる。 血液検査は、数時間で結果が出るそうである。緊急だと早い(あたりまえか)。腎エコーの所見では異常はないが、尿が出ていないということで利尿剤を点滴している。と言っているうちに、長介がおしっこ。単に溜まっていただけなのね。というわけで、利尿剤は即はずされた。面会時間も終わる頃、医者が血液検査の結果を知らせに来てくれた。血小板は正常だそうだ。ここで血管性紫斑病と診断される。再発だと診断も早い。


点滴

翌日から腹痛が始まった。が、長介は痛いと言わない。痛いと言うと、絶食になったり退院が延びたりするのを恐れている。でも、痛そうだ。
「お腹、さすってあげようか?」
と聞くと、
「うん」
と言って、おとなしくさすられている。
食事は絶食にはならず流動食が出た。でも、ほとんど食べない。紫斑も増えて行く。しかし、2回目なので1週間もすれば、落ち着くだろうと思っていた。予想通り、始めのうちは腹痛とステロイド投与を繰り返していたが、1週間程で紫斑も減り始め、ステロイド減量期に入った。
ところが、この時期に発熱。風邪らしい。ステロイドの副作用で抵抗力も落ちていたのかもしれない。そして、夏休みも終わる頃、また症状がぶり返してしまった。紫斑と腹痛、そしてステロイド。

新学期が始まった。担任の先生には夏休み中にお会いして、事情を説明しておいたが、長介の状況は定期的に連絡帳に書いて、登校班のお友達に届けてもらう。先生の返事の書かれた連絡帳と学校からのプリント等は、 クラスの友達が届けてくれた。

9月1日(火) 連絡帳より
血管性紫斑病のため、現在入院療養中です。退院の見通しは今のところたっていませんが、おそらく9月中の登校は無理ではないかと考えています。先週末より症状が再発し現在は歩行禁止です。お友達に会えるのは面会室までの歩行許可が出てからとなります。長い夏休みに続いての欠席となりますので、学校やお友達への関心が薄れないよう、元気になったら張り切って登校できるようにしてあげたいと思います。でも、あまり「学校、学校」と言うと、行けないストレスもためてしまうので難しいところですが...。

1年生である。学校に慣れたか慣れないかの時期にこういう事になってしまって、不安であった。まして、長介は毎日緊張しまくりながら登校していた子だ。元気になって、学校へ行けるようになった時、クラスの輪の中にすんなり溶け込めるだろうか。今思えば杞憂に過ぎないのであるが、当時は心配でしかたがなかった。
さらに1週間程かけて、長介は元気が出てきた。ゲームをしたり本を読んだり、おしゃべりもするようになった。そして、9月7日、点滴がとれたのであった。


安静の日々

点滴がとれてからは、ひたすら安静の日々が続く。本人は、特に自覚症状もなく絶好調なのでベッドの上を所狭しと動き回っている。これって、全然安静とは言わないのでは...?
同じ部屋に喘息などで入院している友達は、点滴につながっているが安静指示はない。そこで、ベッドから下りられない長介のところへ点滴スタンドを引きずって集まってきて、みんなで長介のベッドの上で遊んでいたりする。点滴がないゆえに歩行禁止の長介が一番元気そうに見えるのが、なんだか妙だ。

学校からの連絡で、9月30日に遠足があるという。それまでに、退院して参加できるかどうか、主治医に聞くと
「微妙なところですが、あまり期待しない方がいいでしょう」
ダメだとはっきり言ってもらった方がいいのであるが、実際どうなるかわからないらしい。

この頃の病名は「紫斑病性腎炎」になっていた。蛋白尿が多いので、なかなか歩行許可がおりない。本当は、本人が気をつけてゆっくり歩くとかすれば、トイレくらいは歩いてもよいらしいのであるが、長介は喘息で入院中、廊下を走り回っていたのをE先生に目撃されている。
「長介君は、歩いていいと言うと走り回っちゃうから、もうしばらくベッドで安静にしていた方がいいでしょう」
自業自得である(泣)。


風邪と紫斑

点滴がとれてからも、内服ステロイド剤(ブレドニン)は飲んでいた。はじめは腹痛を抑えるために点滴から注入していたのであるが、この薬は症状がなくなったからといって急に止めるわけにはいかない。少しづつ様子をみながら減らして行く。そして、9月24日にやっと薬が切れた。

ところが、この日の夜から鼻水が出てきたなと思っていたら、翌日から熱を出した。熱はたいして高くはならず37〜38.5度くらいであったが3日間続いた。そして、熱が下がった翌日の9月29日から、足にポチポチと紫斑が出てきてしまったのであった。紫斑はだんだんに増えて10月2日にはかなり多くなり、お腹も少し痛がった。また点滴&ステロイドかと心配したが、幸運にも翌日には腹痛もおさまりステロイドは免れた。よかった。紫斑はその後2日くらいで薄くなった。


試験外泊

この頃から、週末外泊で様子を見てよければ退院という話が出る。衝撃の再発から約2ヶ月たっていた。基本的には、金曜日の朝の回診でよければ外泊の許可が出て帰宅し、翌週の月曜日の朝9時頃に病院に戻る。

外泊1回目 10月9日(金)〜11日(日)
10日の土曜日に次郎の保育園の運動会があった。見学だけなら少しくらいはよいということなので、お弁当の時間だけ会場に連れて行った。日曜日には本人の希望でファミリーレストランで外食もした。外泊の直前まで歩行禁止だったのに、ホントにいいのか? と思ったが、本人も家族も精神的リフレッシュが必要だ。
しかし、喘息のところでも書いたが少し発作が出たため、予定を一日繰り上げて日曜日の夜には病院へ戻ったのであった。

外泊2回目 10月16(金)〜17日(土)
この時は、帰宅したその晩に喘息の発作が出てしまった。発作止めの薬を飲ませてもAM1:00頃と5:00頃と薬が切れては発作が起きてしまう。しかたがないので土曜日の朝には病院へ戻った。
そして、この日また少しだが発熱である。鼻水も出ている。風邪だ。やはり、ステロイドを使っていたことで風邪をひきやすくなっているのだろうか?

発熱 10月22日(木)〜29日(木)
翌週は木曜日から、再び熱が出て金曜日の夜には39度まで上がってしまった。当然、外泊の許可は出なかった。しかし、熱は出ても蛋白尿はそれほど増えていないということで、熱が下がったら外泊、よければ退院という話になる。結局、熱が完全に下がるまで丸々1週間かかった。

外出 10月31日(土)
この日は、学校の授業参観であった。熱が下がれば行ってもいいということだったので、朝、洋服とランドセルを持って病院へ行き、病院から車で登校した。学校では長介が来たというので大騒ぎになった。音楽の授業では、音楽室への移動があったりリズム運動があって長介はもちろんやらないのだがつられて動いたりしているので、少しヒヤヒヤした。
そして、この日病院に戻った後、紫斑が少し出てきてしまったのであった。

外泊3回目 11月6日(金)〜9日(月)
紫斑は翌週月曜日には増えてきたが3日くらいでうすくなった。そして、11月4日(水)にまた発熱。夜は38.2度である。しかし、熱は1日で下がり週末には外泊の運びとなる。
金曜日は夫の仕事の都合で夕方帰宅する予定でいた。病室で迎えを待っていると長介が「足が痛い」という。見ると、足首を中心に紫斑が増えている。外泊の許可が出たのは午前の回診の時であるから、こんなんで本当に外泊していいのかと思い、看護婦さんに言ってもう一度診察してもらった。この時の担当は主治医のE先生ではなくS先生であった。長介は、足首が痛くて診察室まで(5mくらい)も歩けない。おぶって連れて行く。S先生も「う〜ん」とかうなっていたが、一度外泊許可がおりているし、本人も帰りたいと言っているので、何かあったらすぐ戻ってくるということで、一応帰宅していいことになった。
迎えが来て、長介は夫に背負われて廊下を進んで行く。看護婦さん達が笑って見送ってくれた。
帰宅しても、長介は歩けない。これって、かなりひどい紫斑病の症状だ。でも、入院も3ヶ月になろうとしていた。今回は喘息の発作も起きない。長介も動かなければあまり痛くないらしい。我慢していただけかもしれないが...。そういうわけで、病院へ戻ることもなく予定通り月曜まで家で過ごしたのであった。


点滴再び

病院へ戻ってからも、紫斑は増える一方であった。11月10日(火)の夜には腹痛も強くなり、翌日面会へ行ってみると長介は点滴につながれステロイドを投与されていた。再発から約3ヶ月。退院の日を心待ちにしていただけに、この時は本当にがっかりであった。いったいいつになったら...お先真っ暗とはこの事である。
しかし、腹痛の程度でステロイドの量が少なくすめば、薬を切るまでの期間も短くてすむという説明にちょっと気を取り直す。そして、11月14日(土)に点滴がとれたのであった。


外泊そして退院

点滴がとれてからは、症状も落ち着いて紫斑も減ってきた。そして、翌週の11月20日(金)から4回目の外泊。23日(月)が祝日のため今回は4泊5日である。外泊中は、幸い何もなかった。この調子なら退院の日も近いかも...と期待する。
外泊の最終日には畜尿があった。畜尿というのは、24時間分のおしっこを溜めて総量を測り、それを10cc位容器に採る。これで、1日分の尿蛋白量がわかるのである。それと、病院に戻る日の早朝尿も採る。
病院へ戻ると、その日の回診はS2先生であった(S先生は2人いるので)。医師の間で、長介について、この外泊で問題がなければ退院という申し合わせができていたのかもしれない。早朝尿の蛋白は(4+)。しかし、診察を終えたS2先生は、
「退院していいですよ」
と言った。びっくりした。退院の日も近いかも...と思ってはいたが、こんなに近いとは思わなかった。11月24日(火)...3ヶ月半に及ぶ入院生活がやっと終わったのであった。

ところが、この退院には後がある。
退院後の初受診は3日後の11月27日(金)であった。金曜日は主治医であるE先生の外来の日なのである。午前中は一般外来で他の病気の子から感染しても困るので、長介は午後の慢性病外来だ。
診察室へ入ると、E先生が難しい顔をしている。畜尿の結果が出ていて、なんと 1992mg/日 であった。退院の目安が 500mg/日 であるから、むちゃくちゃ多い。聞くと、今までの検査で一番多いのだそうである。E先生、しきりに
「本当は、まだ入院していてもらわないとだめなんですよ」
と言っている。早い話がS2先生のミスらしい。しかし、退院してしまった。血管性紫斑病では異様に長かった入院である。再入院させるかどうかE先生かなり悩んでいたが、長介の精神的ストレスも考慮して、結局自宅で様子を見る事になった。S2先生に感謝である(笑)。


自宅安静

退院後は自宅安静で外出禁止である。トイレ以外はあまり歩かないようにと言われるが、自宅にいればそれは無理というものである。次郎もいるし、つい羽目をはずずことも...。そんな時は
「ほらほら、あんまり動かないの」
と注意はするものの、私もあまり強くは言えなかった。せっかく退院して家にいるのだから、楽しく過ごさせてやりたいという気持ちである。しかし、動いて再入院というのは困る。できるだけ動かないよう注意しながらヒヤヒヤする日々であった。
そんな調子で1週間が何事もなく過ぎ、次の受診日の12月4日(金)。家の回りを少しくらいなら外出してよいと言われる。さらに、この調子なら翌々週から登校してもよいということになった。


登校

夏休みに入院した長介の2学期の登校は、特別に授業参観に出席した1日だけである。このまま出席日数1日かと思っていたら、 12月14日(月)から登校できることになった。しかし、しばらくは午前中だけ。登下校は送迎。体育は見学。飛んだり跳ねたり走ったりは禁止。休み時間もできるだけ椅子に座っているようにという運動制限付きである。 そこで、朝は夫が車で送っていき、帰りは私が自転車で迎えに行く。
登校2日目。迎えに行くと、ちょうどお給食の後かたずけの時間。1年生の子供達は人なつこくて、私のところに寄ってきていろいろ話をする。
長介君、今日、ドッジボールしてたよ
おいおい、大丈夫か? とりあえず、翌日の連絡帳で担任の先生に動いていたら注意してもらうようお願いした。しかし、大勢の1年生が相手なので先生にも限界があるだろう。本人にも注意するものの、友達の輪に入ってしまったら、おとなしくしていられるわけがない。登校したらしたらで、これまたヒヤヒヤする日々であった。
そして、登校から5日目の12月18日(金)の受診の時、尿蛋白強陽性。やっぱり動き過ぎか? さらに、翌週の12月22日(火)には、紫斑が少し出始める。せっかく登校許可が出たのだからと通学させていたが、やはり無理があったのだろう。12月24日(木)の終業式は大事をとって欠席させた。今思えば、紫斑が出た時から休ませた方がよかった。


3学期

冬休みは、できるだけ家でおとなしく過ごした。そのお陰か、特に大きな変化もなく新年を迎え、そして3学期。登校から3日目で紫斑である。翌日1月14日(木)には学校を休み病院へ。この時期は、基本的に2週間に1回の通院であったが、紫斑が出ると心配で通院日でなくても病院へ連れて行った。紫斑だけなら本人は元気なので、学校へ行かせるべきか休ませるべきか悩んだのもこの頃である。しかし、今ならはっきり言える。悩んだら休ませた方がよい
その後も、通学しながら紫斑は出たり引っ込んだりを繰り返した。
1月25日(月)の受診では、その前の土曜日から紫斑が増えて、主治医からも紫斑が出ている間は家で安静にしているように言われた。
その紫斑も消えて通学を再開したのもつかの間、翌週の2月4日(木)には、今度は肉眼でわかるほどの血尿で翌日発熱。ついに登校禁止になってしまった。翌週、熱が下がった後はお決まりの紫斑である。結局、この週いっぱい学校を休んだ。
翌週2月15日(月)から気を取り直して登校を再開したが、帰宅するとまた紫斑が出ている。この頃はもうあまり迷うことなく、2日程休んだ。
そして、その週末の2月20日(土)からまた発熱。今度は次郎のインフルエンザが移ったらしい。再びお休みである。
しかし、3月に入ると、長介の体調も落ち着いてきて、紫斑が出ても少しですぐに消えるような状態になり、学校も休まず通学できるようになったのであった。


紫斑病治癒

通学中は、時々ポチポチと紫斑の出ていた長介であったが、春休みに入るとその紫斑も出なくなった。その頃は、学校へ行けばまた出るんじゃないかと不安に思っていたが、結局この後、紫斑は2度と出なかった。後から思えばこの頃が紫斑病治癒である。再発の日から実に7ヶ月以上が経過していた。
しかし、この頃の長介はかなり情緒不安定になっていて、毎日の様に発作的に泣いた。理由を聞くと、
死ぬのは嫌だ」「パパとママが年を取るのも嫌だ」「大人になるのは嫌だ」「戦争が起きたら嫌だ
私には長介を安心させる言葉が見つからない。ただ、
「大丈夫、大丈夫。パパもママもどこへも行かない。心配いらないよ。」
と言うしかなかった。そんな長介の様子を見ていて、私もずいぶん心配したものであるが、2年生になるとそういうこともなくなった。毎日、元気に学校へ通い、明るい長介が戻った。

しかし、尿検査では蛋白も血尿も出ている。紫斑病性腎炎はその後も長く続くことになるのであった。


紫斑病性腎炎 へ


メール歓迎! 天間まで お気軽にどうぞ!