1999年9月2日(木) 夏休みの宿題その2
やっと夏休みが終わった。夏休み最後の31日は、長介に
「明日の学校のお仕度しておきなさいよ」
と、何度も声をかける。本当は何も言わなくても自分でできるようになって欲しいのだが、彼の場合全く無関心なのでこのくらいは親の責任だろうと思う。 そして、始業式の朝。
「お仕度できてるの?」
と聞くと、
「できてるよ」
というので、えらいじゃん!と思ってみにいくと...唖然!
なんと、彼はランドセルに水曜日の教科書をそろえていた。違うでしょ。始業式なんだから、授業はないのよ。
おまけに肝心の数少ない夏休みの宿題は、床や机の上に散らかっている。1行日記の最後の「夏休みで一番心に残った事を絵と文で書きましょう」の欄は...やっていない。
「ここ、書いてないけどいいの?」
と聞くと慌てて鉛筆を握ったが、例によって絵は書けない。文の方は
「ともだちとはなびをした」
と一言。そりゃあ一番心に残ってるはずだわよね。夕べのことなんだから(笑)。
結局バタバタと世話を焼き、やっと送り出した。
さて、昔と違って今は夏休みの宿題は非常に少ない。長介の場合は、1枚の画用紙に1日1行づつ埋めていく1行日記と本を5冊以上読んでいつ何を読んだか記入する用紙の2枚。毎日の目標を立て、それを実行する事。長介は「漢字練習」を目標にした。あとは先生へのはがき。それだけである。工作とか絵とか感想文、習字、自由研究...そういう「作品」はヒントのプリントをたくさん渡されて、「できたらチャレンジしてみましょう」という感じである。強制ではない。長介ははじめからやる気がないし、こっちも夏休みのはじめに一応
「なんかやってみたら?」
と声はかけたがそれっきりである。
2学期初日、長介帰宅。 そして親子の会話...長 「あのさ、他にも宿題あったみたいだよ」
母 「絵とか工作とか持ってきた子がいたんでしょ」
長 「うん」
母 「やりたい人がやる宿題でしょ。長介はやりたくなくてやらなかったんだからいいんじゃないの?」実はちょっと違う。彼はそういう宿題の存在に気付いていなかったんである。知らされなかったわけじゃないが、強制ではないと理解した段階で、意識から消えてしまったらしい。「やらない」と決めた自覚もない。
母 「やってこなかったお友達は何人くらいだったの?」
長 「僕だけだったみたい」これにはさすがの長介もショックを受けたようだ。ちょっと、かわいそうになってなぐさめる。
母 「でも、長介には漢字練習したノートがあるじゃない」あんまりなぐさめにはなってない。おそらく、お友達はそういうものもやってきたのだろう。しかも、長介は8月の前半くらいで挫折している。後半は遊びに夢中で何もやっていない。ま、しょうがないですな(笑)。ここはひとつ親らしい言葉をかけてあげよう。
母 「まぁ、夏休み、お外で元気に遊べてよかったじゃないの。去年は病院だったんだから。楽しかったでしょ」
(どこが親らしいのだ?)
長 「うん」
母 「じゃ、来年の夏休みは何か作ってみようか」
(これは親らしいぞ)
長 「うん、わかった」その後、長介は彼なりにいろいろ考えていたらしい。夜になってこう言った。
「あのさ、毎日の目標、『外で元気に遊ぶ』にすればよかったよね」う〜ん、それはちょっと「目標」とは言えないような...(苦笑)。