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天間家三兄弟紹介...長介(長男8才)、次郎(次男5才)、三太(三男0才)...仮名

1999年12月15日(水)  一期一会

ネットを通じて知り合ったKさんから、ご主人急逝の知らせ。
Kさんは一人目のお子さんを病気で亡くされ、まもなく阪神大震災にあわれてお父さんを亡くされた。そして、今度はご主人。彼女とは会ったことはないけれど、いつも明るく穏やかで素敵な人である。 人生、生きていればいろいろなことがあるというけれど、不公平だ! と思わずにはいられない。
こんな時にかける言葉を私は持たない。
元気を出して...出るわけがない。
しっかりして...できるわけがない。
がんばって...何をがんばるのか。
時間が解決してくれる...それは遠い先のこと、今じゃない。
悪い夢を見ているよう...そうなのよ。悪い夢なのよ。夢を現実として受け入れるには、たくさんの時間と悲しむプロセスが要る。どんなに泣いても、亡くなった人は戻らない。つらすぎる。せめて、その時間を共有できる人がいれば...。
Kさんには、そういう人がいるだろうか。

病気の子供を持つ親達が、その不安な気持ちを少しでも共有できればと思いこのHPを作ったのが半年前。
実は、長介がはじめて血管性紫斑病になった時、どんな病気かわからずに医学書を調べた。そこには、5%が死亡すると書かれていた。これをどう考えたらいいのか、私はしばらくの間混乱した。95%は大丈夫。でも、我が子が5%に入らない保証はどこにもない。不安...これは、私の心の問題である。誰に取り除いてもらうこともできない、私が自分で引き受けなければいけないことだ。

HPを作って私が伝えたいこと...そのひとつに、子供に自分の心の問題を押し付けないで、ということがある。
「アトピーと闘う」みたいな話を見聞きする度に、子供のために病気を治してあげなくては、体質改善をしてあげなくては、子供のために私ががんばらなくては、と一生懸命になる母親の姿。それは、自分の不安な気持ちを「がんばること」にすりかえているようにしか思えない。「子供のためにがんばるのは当然でしょう」と怒られてしまいそうだが、本当に子供のためなのか。自分のためじゃないのか。そう私は問いたい。
これは、病気に限ったことではない。 もし、「かわいそうだけど、これも子供の未来のため」と考えているのなら、「かわいそうだけど...」と思うのなら、やめた方がよい。子供がかわいそうだ。「かわいそう」と思う部分がなくても、それをするのは「子供のため」ではなく「自分のため」であることを自覚してほしい。「あなたのためにママはがんばっているのよ」と言われても、子供は迷惑だ。
明日は何が起こるかわからない。「こんなことになるなら...」と後悔するようなことは、「こんなこと」にならなくてもしてはいけない。

子供といえども一期一会。違いますか?


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