当日の演奏会に使用したナレーションのテキストと演奏曲目についての一言解説です。どうせなら臨場感を味わっていただくために、総合司会の方のナレーションもメモっておけばよかったと後から思いました(笑)。ちなみに総合司会を担当した川上のぼるという方は腹話術の大家ということで、弁舌巧みなナレーションという感じでした。
1. | 英雄ポロネーズ As dur op.53 | ショパン 作曲 | 演奏:松本昌敏 |
2. | 即興曲第15番 c moll 『エディット・ピアフを讃えて』 | プーランク 作曲 | 演奏:山口智子 |
3. | アレグロ・アパッショナート cis moll op.70 | サン=サーンス 作曲 | 演奏:小笠原順子 |
4. | ジャズ・デュエット (連弾) | M.コーニック 作曲 | 演奏:山口智子・小笠原順子 |
5. | カルメン・メドレー (連弾) | ビゼー 作曲 松本昌敏 編曲 | 演奏:馬場節子・松本昌敏 |
<アンコール> ラデッキー行進曲 D dur op.228 (連弾) | ヨハン・シュトラウス(父) 作曲 松本昌敏 編曲 | 演奏:馬場節子・松本昌敏 |
それでは、台本風にまとめてみました。どうぞ。
(紹介のナレーションを受け継いで)
<馬場節子>
みなさん、こんにちは。
これからしばらく、アルス・ノーヴァ クラシックコンサートでお楽しみいただきたいと思います。
クラシックといえば、真面目で何となく固苦しいといったイメージを持たれる方も多いと思います。
そこで、私たちアルス・ノーヴァは、クラシックというものは、もっと気楽に楽しめるものだということを、皆様に知っていただきたいと思っております。
また、純粋なクラシックだけでなく、ジャズやポピュラーなものや、連弾などのアンサンブルといった、さまざまな面白さを取り入れて、音楽の楽しみを生の演奏を通してより身近に感じていただけるように、色々な演奏活動をしております。
本日のプログラムも、クラシックを始めとして、ジャズの要素を取り入れたものや、オーケストラの作品をピアノ連弾にアレンジしたものなど、様々な形の曲を集めてみました。皆様、ごゆっくりお楽しみください。
では、最初にお送りする曲は、ショパンの作品で、もう皆様にもお馴染みの「英雄ポロネーズ」です。
ポロネーズというのは、ポーランドの民族舞踊の一つですが、ショパンは祖国の栄光を思い描きながらこの素晴らしい作品を創りました。華やかで勇壮な醍醐味をお楽しみください。
松本昌敏さんの演奏です。
(松本昌敏 「英雄ポロネーズ」を演奏)
ポーランド生まれの作曲家ショパン… 彼はポーランド人としてのアイデンティティーを頑なに守り続けた。人間としても、作曲家としても。 そんな彼の一面が最も良く表れているのがポロネーズとマズルカという曲種である。どちらもポーランドの民族舞踏なのだが、マズルカが庶民的なものなのに対して、ポロネーズは公の場(宮廷)などでも踊られる公式のもの、という色合いが強い。 ショパンは若くして祖国ポーランドから旅立った。それは自らの音楽の真価をより広い世界で問うためのものだったのだが、不幸にもショパンの出発から程無くしてポーランドでは革命が勃発し、祖国はロシア軍による占領という憂き目を見ることになる。 この英雄ポロネーズには、いつか再興を果たさんと願うポーランドの不屈の魂、昂揚する精神が窺える。 異国の地にて祖国を「遠くにありて思う」とき、ショパンの心の中にはポーランドの理想の栄光の姿がはっきりと浮かんでいたのであろう。力強いヒロイズムに溢れる名曲である。 |
では次にお送りする曲は、プーランクの作曲による「即興曲」です。
皆さんは「愛の讃歌」などのシャンソンでよく知られたエディット・ピアフをご存知でしょうか。この作品は、その彼女の死に捧げられた曲です。
フランス風に洗練された、シャンソン風の美しいメロディを味わってください。
山口智子さんの演奏です。十八番です。
(山口智子 「即興曲」を演奏)
プーランクは1899年に生まれたフランスの作曲家である。彼は正規の音楽教育を受けておらず(音楽院などに在籍しなかったということ)、それが彼の音楽の個性の一部分を形作っている。 プーランクの時代はドビュッシーという近代における大きな革命の波の最中に在ってそこから更に脱却し新たな芸術へと進むために模索していた時代であった。その中で彼が採った道は明晰さと単純な語り口で自らのインスピレーションを強烈に焼き付けるやり方だった。 単純なことだが、自分の表現したいものだけを表現したということだ。簡単なようだが、当時複雑への一途を辿っていた現代音楽の主流の中で、自らをしっかりと位置付けることは並大抵ではなかった。 彼はミュージックホールなどにも平気で出入りしていた。サティは、「音楽にクラシックもポピュラーもない」と言い、プーランクのそういう態度を賞賛していたという。 この作品にも彼のそういう一面が現れている。いい作品はそれとしてどんなジャンルのものでも認めるというものだ。シャンソンのスタイルを模倣して、美しいメロディーが「ポピュラー音楽風の」ゼクエンツに乗せて歌われている。 |
ここで、先ほどのプーランクと同じフランスの作曲家、サン=サーンスの作品を聞いていただきましょう。曲は、「アレグロ・アパッショナート」です。
この「アパッショナート」という言葉は「情熱的に」という意味です。華麗で激しい動きと、抒情的な歌とが織り交ぜられた、魅力的な曲です。
では、小笠原順子さんの演奏でどうぞ。
(小笠原順子 「アレグロ・アパッショナート」を演奏)
サン=サーンスは1835年に生まれたフランスの作曲家である。彼は正しく天才としか言いようのない人物だった。2歳半でピアノを正しく弾き、完璧な絶対音感を身に付けていた。3歳未満で読み書きができ、3歳で最初の作曲をする。7歳でラテン語を解し、10歳でのデビューリサイタルではアンコールのとき「ベートーヴェンのピアノソナタ(全32曲)ならどれでも暗譜で弾きます」と申し出たそうである。 そうした天才性は、前衛の方向ではなく、保守的な方向に彼の音楽を向けていった。「純粋な様式、完璧な形式というキメラ(伝説上の合成動物)を追い求めている」と自ら言った。 音楽的な深み、というものには欠けるかもしれないが、彼の作品には常に輝きがある。非常に鮮やかに描き出されたメロディが、的を得た伴奏に伴われて美しく響く。それは確かにフランスの音楽の一つの特徴を如実に示しているように思う。 この作品は1884年に作曲された。もとはオーケストラとのアンサンブルとして作曲されたが現在では殆ど独奏として演奏される。題名の通り、情熱的なアルペジオが左右の手で織り成され、素早い動きの中で華やかに歌われていく。 |
ここで皆様に、連弾でお送りするジャズの雰囲気を楽しんでいただきましょう。コーニックの作品です。
「Ringing the Changes」「Taking your Time」「Three to Go!」の3曲です。
(山口智子・小笠原順子による演奏)
現在ではピアノ教育の一端として、様々な様式の音楽に触れさせ、楽しめる音楽を、という観点から、ジャズを取り入れることがしばしばある。この作品もそうした「楽しい音楽」のための気軽な作品であるが、味わい深いジャズの世界を除かせてくれるなかなかに洒落た作品である。 本日演奏した3曲はそれぞれ違ったスタイルで書かれており、「Ringing the Changes (小銭を鳴らして)」はポップス、「Taking your Time (くつろいだ時間)」はスローバラード、「Three to Go! (3拍子で行こう!)」はジャズワルツのスタイルである。 |
最後にお送りする曲は、やはり連弾による「カルメン・メドレー」です。
「カルメン」は、ビゼーの代表的なオペラ作品です。皆様よくご存知のメロディが次々と現れます。連弾の華やかな面白さを味わってください。
(馬場節子・松本昌敏による演奏)
作曲者のビゼーは非常に豊かな才能に恵まれていたが、不遇な人生を送り37歳で生涯を閉じている。 当時作曲家として認められるにはオペラで成功することが必要不可欠であった。彼も数多くの作品を作ったのだがよい台本に恵まれず殆どが認められず忘れられていった。この「カルメン」も始めは不評だったのだ。改作の後、爆発的に人気が出たのだが、そのときには既に作曲家は他界した後であった。 「カルメン」はその題材をスペインのジプシーからとっているが、エキゾティシズム(異国趣味)は当時のフランスで一つの流行であった。ただ、そうしたほかの作品との違いはその「現実性(リアリティ)」である。実生活そのままの人物を舞台に登場させ、名誉ある兵士の没落の過程を辿ったストーリーである。 そうしたリアリティと、スペインの魅力をふんだんに取り入れた音楽とによって、このオペラは現在では世界中で人気を博している。 |
(川上のぼる氏のナレーションの後、学生から馬場節子先生に花束が贈呈される)
(舞台に全員が出場し、挨拶の後、アンコール「ヨハン・シュトラウス作曲 ラデッキー行進曲」が演奏された)
(馬場節子・松本昌敏による演奏)
ヨハン・シュトラウスは父も子も全く同名であるため、父親のほうを「父シュトラウス」と呼ぶことが多い。またどちらもワルツの作曲家として有名なので、父シュトラウスは「ワルツの父」と呼ばれ、息子のほうは「ワルツ王」と呼ばれている。 曲名にある「ラデッキー(Radetzky)」とはオーストリアの将軍の名前である。彼は度々の戦争に勝利してオーストリアの国威を大いに高めた英雄であった。 この作品は、イタリアにおいての戦勝(反乱軍鎮圧)を称えて1848年に作曲され、ウィーンで初演された。曲自体が非常にインパクトのあるものだったため、発表以来オーストリアでは大変人気の高い愛国歌的行進曲となった。 |
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