[記事リスト] [新規投稿] [新着記事] [ワード検索] [過去ログ] [管理用]

投稿時間:22/01/29(Sat) 15:03
投稿者名:直人
Eメール:
URL :
タイトル:Re^5: 順番について

>「囚われからの解脱」P84について
>「健康人として振る舞うという演出が、実は同時に自然に、心がほったらかしになるわけでして、さらにいいのは目の前のことに取り組むことになるという点です」
「日常生活を」真面目に行う健康人を真似れば、自然に心は放ったらかしになる、これが一瞬の治った状態であり、こういう生き方が多いのが良い
そうなると自然に「目の前の事をする」様になるので、心の放置が続き現実が成功に導かれるとの指摘でしょう、この事が直接神経症を治すのでは無くて
その一瞬の治った生き方から、神経症の病気の成立過程を知り(体験、自覚)その知識で病気を無くする生き方をします。その生き方が治癒であります。

>「囚われからの解脱」P88について
>「さっそくの作業をはじめとしまして、毎日の生活に必要なことがらに応じていらっしゃることです。」
その前に「理論(学説)を自分のこころに使えば使うほど、かえって病感が増します」とありまして、「作業を始める」とそういった病感が無くなる体験をする
即ち治るには理論ではなくて、体験自覚が重要だと言いたいのでしょう。「作業を始める」が病気を直接に無くするのでは無くて
「理論を自分の心に使う」が無くなれば、自然に作業を行い日常生活を行うことになると指摘されている。
その体験から、理論を心に使うのは病気を作る、それを止めてしまえば、心は現実のみを相手するので、日々生活に必要な事を行い満足する、それが治癒だと言う。


>宇佐先生の根本的考え方として、以下の様なインスタント論があります。囚われからの解脱 P62
「実際の目前のことに取り組んでいかれれば、そこに無分別の世界がすぐに成り立つのですね、ところが逆に自分のこころの方にかかわれをもちますと
早速そこでとらわれが始まってしまうのです。神経質はなおるのもインスタントでありますが、なるのもインスタントなのです」

「目の前のことをする」時は神経症は一時的に治っていると言われています、心を問題にし始めると又病気になると言われます
しかし神経症には病原菌も疾患も無く、一瞬治った状態を続けて行けば病原菌や疾患が無くなり、神経症が治るのではありません。
とらわれの状態はなぜおこるかを知る必要があります、その知識を使い囚われを起こさず生きたら、健康であり治癒した事になります。
この健康な時間(目の前のことをする)には、考える時間も休む時間もあります、健全な「日常生活」が出来て治癒しています。

この様に体験により、囚われの病気のからくりを知り(自覚)、自分の病気をコントロールできる様になれと言われる
無理に「目の前の事をする」で治った状態を作るのではなく、あるがままに治さないで生きると、自然に治った日常生活をするになる
即ち何かをして治すのでは無くて、神経症発症のメカニズムを体験的に知り(自覚)、神経症を起こさない生き方が出来る様になります
その自覚を体験的に得るには「あるがまま(治さない)」で生きると、その体験自覚から全てを知り、神経症の起こさず生きれます。
この心の葛藤を起こさない、平穏な状態を治った、全治、治癒と言うのだろう。


- 以下は関連一覧ツリーです -
- 順番について - ご質問です 22/01/29(Sat) 14:55 No.8754

このメッセージに返信する場合は下記フォームから投稿して下さい。

おなまえ
題   名
メッセージ    手動改行 強制改行 図表モード
削除キー (記事削除時に使用。英数字で8文字以内)
プレビュー

以下のフォームから自分の投稿した記事を削除できます
■記事No ■削除キー

[BBSツリ−へ] [ホ−ムペ−ジへ]

-