尺八課外読み物

飯田峡嶺


4.主要曲目の解説

1.鈴法(又は鈴慕。恋慕)虚無僧濫觴(虚無僧秘伝抄・寛政10年5月刊所載)
恋慕の一曲は、こいしたうと言う支字にして、凡夫愛着恋慕の忘執に惑わされて居て一心を開覚する事能はずに仏の他力にて発勤するの曲なり。
人出家して剃髪する時に四句の偈支あり。所謂流転三界中恩愛不能断棄入無為真実報恩謝と言う。三界とは欲界、色界、無色界に迷うては転び歩行が出未なくなるが故に、此世の欲情恩愛の断ずる事能はず、俗縁の恩愛を断ぜざれば仏になれぬ故に恋慕の俗界を棄て、無為の門の修行すれば、九属天に生ずる真実の恩を報ずると言う秘曲にして当宗門入門の一曲なり。
是即発心門なり。
高橋空山の説
普化宗の完成と共に一寺一律と云はれて各虚無僧寺に各々特徴のある鈴法(鈴慕)...托鉢曲...が出来た。
(例)関東の鈴法寺はもと葦草村にあったので葦草鈴慕があり、仙台の布袋軒には布袋軒鈴慕、丸州の各寺で吹いた丸州鈴慕等。
2.虚空
虚無僧濫鶴
虚空は、また帰空とも言う。几そ有情の死するを帰元又は帰空と言う本未より出て空に帰る三界無安猶如火宅なれば地水火風空の五づの借ものを、夫々に返して歌に、“ひきよせてむすぷは乗(法?)のいほりなり、とくればもとの野原なりけり”習い得る心を曲とせるなり。是即修行門なり。
3.虚霊(虚鈴)
虚無僧濫觴
虚鈴は秘曲にして十牛の譬への如く面壁九年の直指人心見性成仏なり。
高音は峨峨として山嶽の如く、中音は洋々として津浪の如し。是廓然として心仏を得たる姿なり。
盤渉調は人倫の調として天地人の三才なり。是即菩提門なり。
4.黄昏の曲
虚無僧濫觸
黄昏の曲は諸行無常、是生滅法、生滅々己、寂滅為楽の大意にして日々早朝よりなす事は、皆無常にして生滅の法なりと放下して生滅し己は夕陽の没するにしたがい自然と夜分に至り妄執の雲散じて真如の月を詠ずるを楽とする心なり。是即涅槃門なり。
5.静座
虚無僧濫腸
静座なり。観念禅定の趣を曲とするなり。
6,其の他
虚無僧濫觴
右のほか秋田すがヾき、獅子の洞入などいう色々の数曲ありといえども、後世風人の作せし淫音の乱調なり、取るに足らず。
虚無僧は浮世の午緯(サイ)楽吹なるがゆえに、かたく致すまじき宗門法度なり。
7.清掻(菅壇)(高橋空山)
明治維新以前は神仏混交だったので、神前で奏する和琴のスガガキに習て明るい純日本的な曲が作られた。
(例)鈴法寺の井草清掻。布袋軒の宮城清掻。明暗寺のシャンカラ清掻等
之等は元々半音を使はない陽気な曲であった。然るに幕末になって、半音を多く使った鈴法と混合して陰気なスガガキが現れた。
(例)秋田スガガキ。三谷清掻。転清掻。
8.薩字(沙字)(サシ)(些志)
梵語翻訳名義集に「沙とは奏には六と云う大品(ダイホン)には沙字門と言う語法は、六自在王の性にして清浄なるが故に、論に曰く即ち人身の六種の相の如きなり、華厳には沙字門を唱えるを名づけて海蔵とす。
疏に曰く一切法の無罫碍(ムケゲ)なることは海の像を含むが如きを悟るなり」となって要するに薩字・沙字とは六根清浄と言う意味らしい。
サシは、九州で主に吹かれた高抵二曲が普通である。このサシも後世は鈴法化(陰音階)された。
一朝軒伝のサシには棒サシ、練りサシ、ゆりサシ等がある。
9.阿字観
神如道の解説。
「阿字」是一切法教之本、凡最初開音、雛阿字即無一切言説故為衆声之田、阿字菩提心義、阿字名無不非(大日教)。
真言行者の要道は阿字観に過ぎた事はない。
阿字観に三種ある。
一に声(出息毎に阿字を唱え妄想寂滅して一心の本源に明達する)
二に字(心中円明の月輪の中に蓮華を観じその中に金色の支字を観ずる)
三に実想(本不生)これである。
九州に昔から阿字曲があった。故宮川如山氏が幼少の頃からこれを愛吹し自ら独自の妙味が加わったものに如道と懇意な末永節氏と相談して阿字観と命名した。
阿字観と阿字曲の運指法の違いは高音の二節だけである。
無住心曲(金剛経)にあさに住する所なくして、その心を生ずべし(応無所住而生其の他)の意である。
浦本折潮の解説。
阿字観は明治の未年に末永節氏等により「サシ」が阿字観と改名されたもので九州の恐らく一朝軒の伝統であろう。阿字観は行脚の菰僧の風を偲ばす野調を帯びる。また、大衆に喜ばれ親まれる流し吹きに適する。
高橋空山の解説。
阿字観は一朝軒「ねりさし」に似た所あり。九州行脚の析り宮川如山が武士上りの虚無僧から伝えられた。また阿字観は真言系のものであると言う。
10.盤渉調
高橋空山の解説。
そもそも琴古本曲は、福岡黒田藩出身の黒沢琴古が始まりで、長崎正寿軒で大成している。その中には、一朝軒の雲井調の獅子(雲井獅子)林棲軒の雲井調些志等がある。
雲井調子とは「羽」を基調としているので(尺八の雲井調子はe - 8寸のツ - 調になっている)中国の盤渉調になる。
本曲「盤渉調」は、真虚霊の前吹きだが虚霊の岩戸調(ロ短調)にづいているのは唐実すぎるように思われるが特異な曲、虚霊に人る警鐘の役目か。
この盤渉調(雲井調)が序曲として入る事は、長崎系尺八の特徴で明暗系、その他にはない。
本曲盤渉調を岩戸調(ロ短調)に移調すると、霧海の主題と、ほぼ同じになる。
この盤渉から、岩戸への転調は九州人の進歩的才能を示している。
11.鉢返し
藤田鈴朗の解説
鉢返しは琴古では、一二三鉢返しとなっている。一二三(ヒフミ)とは物の始めの意味である。同じ鉢返しでも地方によりまた普化寺により随分違っている。
「調ベ」または「竹調べ」と言って、曲を吹く前に先ず心を落ち着けて、気息と楽器と体とを一つにまとめる手段として奏するものである。
(小手調ベ・前奏のこと)
古来から雅楽には音取(ネトリ)と言うものがあるが同じ意味である。
次に、鉢返しになる。鉢返しとは布施に対する礼心の曲である。
12.調子(吹禅曲)通り門附け鉢返し
神如道の解説
普化成仏の「法」の曲で曲意は、「願以此功徳、普及一切我等写衆生、皆共成仏道財法二施功徳無量檀波羅密具足円満月至法界平等利益」の意味である。
「門附け」は功徳成道曲である。
「鉢返し」は延命観音曲或いは心曲「心経を吹くの意」とも言う。
13.滝落
高橋空山の解説
筑紫流事曲「滝落」の曲名を示したが、之は滝の落ちる情景には聞係がない。
中国語で「ルンリャオ」と言い、繰り返しの意味で、現代風に言えば「ロンド」と言う処になる。
従って、本曲滝落もこの筑紫箏或いは足利時代の中国曲の滝落からヒントを得た曲らしい。
従って、伊豆竜源寺内の旭滝にて作曲されたと言う説は信じ難い。
14.雲井獅子(九州日博多一朝軒伝)(別名雲井曲)(またの名二上獅子)
藤田鈴朗の解説。
此の曲は、殆ど外曲の脱化したような曲である。
毎日の虚無僧の托鉢には虚鈴、虚空のような曲を吹いたが、いづも同じ経文じみた物ばかりでは、尺八の妙音が聞き入れられなかったから、普通午前中は、神妙に指定の虚鈴やサシや鉢返しを吹いて門附けしているが、午後になると外の曲を吹いても良い事になっていた。
東北に残る「吾妻の曲」も同様であるが修行よりも面自い事が主力となった曲で、博多ではこの「雲井獅子」や外に「トッピキ」と言う曲も流行した。
これ等を「ヒルカラ」と称する。
この「ヒルカラ」の方が面白いから喜捨する方が「ヒルカラ」を吹いてくれと頼む場合、午前中でも朝からこれを吹かされる事があったらしい。
従って、経典曲と異なり派手な旋律が立派に拍子に乗っているので、明るい感じがして九州の自然を表しているように感じられる。
この曲は、明治34年初代川瀬順輔が九州通歴旅行の折り伝えて東京に移したもので謂わば、琴古流川瀬派(竹友社)の本曲である。
その伝者は清水静山か池田秀山だろうと思われる。
一朝軒に残った訳は京明暗寺の住職が欠員の場合、未寺たる伊勢の普済寺と博多の一朝軒から交替で入山しているので、三者よく交流し伊勢の太神楽の曲を一朝軒の虚無僧が仕入れて九州に持ち帰ったものと思われる。
また、これは別名ヤプカラシと言い、門附l川こ立って御布施が少ないと、尺八を揃えてプープ吹いた、その音はやかましくて薮が枯れると言う意味の由。