尺八課外読み物

飯田峡嶺


新曲の吹奏V

新傾向尺八

新日本音楽時代を代表する尺八家。

大倉喜八郎  (実業家大倉喜八郎の子、新案尺八オークラロを創作した)
吉田晴風   (宮城道雄とは有名になる以前からの旧知で共々に新日本音楽の開拓に努めた)
川本晴朗   (七孔尺八を創始した)
福田蘭童   (新曲演奏に最も繊細な手法を発揮した)
野村景久   (新曲演奏に秀でたが終わりを全くしなかった)一以上琴古系一
中尾都山   (都山流宗家として公刊譜に宮城曲を採用してその流布に努めた)
星田一山   (郡山流新曲演奏家として新工夫をこらし多くの門人に新曲演奏家を輩出した)
島原帆山   (同)
平塚晃山   (同)後に昆山流を創始した一以上郡山流一
菊地淡水   (民謡尺八家として特異な地位を示した)

現代の新尺八家

広門鈴風、渡辺治風、山川直春等(以:上吉田晴風系、主として関東)
北原箪山、原都雨山、池田葵山等(以上星田一山系、主として関西)
外に宏桐管有名な菊水湖風、酒井竹保、竹道、唯是震一、宮城衛、亀森和風、堀井小次郎、仲村洋太郎等。
之等の人々が、従来のカラを破り、新しい尺八楽の発展に努めているが最近の状況は群雄割居、悪くいえは小物揃いと言うことになり、発展の速度は遅々としている。
今後の問題は、大作曲家か大演奏家か或いは大経世家が現れて群雄を統括することが是非必要である。往時明治の始め柔術、剣道の諸流が多くの摩擦に屈せす、大同団結して大日本柔道、大日本剣道に一本化した例も有り、現尺八の各流家元が団結して統一「日本尺八」とでもなり斯道発展に志すべきである。然して、流派にあくまで未練の有る師匠連は古曲と本曲の類いにのみその流派を冠して教授するも一案と考えられる。
実際問題として現代邦楽の演奏に流派の差異を発見しようとしても、譜本の表し方以外に何物もない。
最後に、新しい方向へ尺八を進めるために、二つの基本的問題が有る。

譜本の問題(記譜法)
結論は洋楽本譜(俗にオタマジャクシ)の採用が必要である。
新日本音楽時在までは明治の先駆者、上原六四郎氏の創案した付点法(または、類似のもの)で何とかやって来たが、それでも洋楽記号のお世話に大分なっているが、現代曲では最早これでは困難が生じて来た。
然し、洋楽本譜の便用にも困難な間題は有る。
それは尺八の管長に種々有ることで有る。
即ち、管長によって宮音が移動すること「音律比較表」を見ればわかる。
基準を1尺8寸として、短はl尺3寸から長は2尺3寸位まで(長いのは宏桐管の3尺6寸)有り、管長の変わる毎に譜の高音と尺八の手孔の位置が異なって来る。
然し、困難を突破して一部の尺八家は、最早この譜により教授演奏を行っている向きも有り、この事実に抗するものは時代に取り残されることが、おそれられる。

楽器の改造可否の間題
これについては間題は2つに分かれる。
楽器自身の改造
これには@7孔尺八A9孔尺八Bオークラロ創設等が有る。
改造の目的は、全て元来ペンタトニッシュ音楽吹奏用として作製されている尺八でデイアトニッシュ旋律を吹奏するための無理がメリ音、中メリ音となって表れたもので、リ→の連続吹奏、またはツ→の場合等には甚だ困難で不明解のものであるが、之を手順よくハッキリ区別して吹奏出来るようにとの効果をねらったものでる。
斯くすれば操作は楽になって行くが、その代わり従来の尺八の音色から離れて、別個の楽器に変化するきらいが有る。
(我々は音色に仲々捨て難い執着を有するもので、音色が洋楽風に変化する事には耐え難い、従って採用は難しい)
B.楽器は、そのまヽにして手孔の約束を拡大する。
5孔尺八のまヽで手孔の手法を出束る限り拡大して、1律差の音が成るべく沢山出るように考える。また、中メリ、メリ音の連続の場合代用音を考案して手順をよくする。
その例として山川直春提唱の新手法によっても、完全にはその難点を解決出来ていない。
例えば大中のツ。甲・乙のの代音はない。
然し乍ら、完璧ではなくても本宋不便な扱い難い尺八。
然し、また、何故か棄てられないものを持っている不思議な楽器を、少しでも便利に
少しでも完全にして現在の呼吸をさせようとする人等の苦心のあとで有る。

あとがき

35年程前に飯田峡嶺氏が“尺八課外読物”を著し、当時の青焼きした冊子を頂きましたが、年数が経週すると共に印字も薄くなり、読みづらくなってきました。
現在の印刷技術からすれば、もっと読み易くなると思い、阪神淡路大農災後の虚脱状態から、復興への途上にあって、被災者同士が琴古流尺八の愛好者に少しでもお役に立てばと願い、この程漸く完成しました。
  1996年12月

野々村幸嶺


飯田峡嶺師、野々村幸嶺師共に今は鬼籍の人となりました。