「さくら」第31号(1993年6月7日発行)
☆「6月9日」を考える
あさって6月9日は学校がお休みになります。なぜ、お休みになるのかはみんな知っていると思いますが、そのことについて考えてみたいと思います。
たとえば、僕は個人的には今回の徳仁皇太子と小和田雅子さんの結婚はめでたいことだと思っています。しかし、だからといって、この学級通信で「祝 皇太子結婚」とは書く気にはなりません。
微妙な問題になってしまいますが、それをここで書くことは単に僕の「祝意の表明」なのか、それとも君たちや、この学級通信を家で読んでくれている保護者のみなさんに対する「祝意の押しつけ」になるのかがわからないのです。
今回の皇太子の結婚に対する世間の動き(特にマスコミ)はこの「祝意の表明」と「祝意の押しつけ」の区別ができていないように思います。
発行部数40部の学級通信でさえ「祝意の押しつけ」のおそれがあるというのに、発行部数100万部をこえる新聞や週刊誌がキャンペーンを張ればそれは明らかに「祝意の押しつけ」を構成します。
日本のマスコミは視聴者や読者の「知る権利」のためなら取材される側の「人権」を全く無視することが得意ですが、今回は情報を受け取る側の「人権」を無視して、「とにかくめでたいことであるから、祝うべきである。」という情報の伝え方をしているのではないでしょうか?
次の問題点は宮内庁というれっきとした中央官庁がおこなった「憲法違反」と「人権侵害」です。
「お妃選び」という言葉の持つ差別性と人権侵害について考えたことがありますか?
ここからは僕の推測で事実とは異なっているかもしれませんからそのつもりで読んでください。
お妃選びを皇太子が一人でできたとは僕は思いません。間違いなく宮内庁がかかわっているはずです。まず、宮内庁が特定の経歴や特定の家族関係の者のうちから何人かの候補者をピックアップしてそれを皇太子に選ばせているはずです。
この一連のお妃選びでおこなわれたことは「すべて国民は、個人として尊重される」としている憲法第13条と「すべて国民は、法の下に平等である」としている憲法第14条を踏みにじるものですし、「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立する」としている憲法第24条を無視するものです。
また、小和田雅子さんのおじいさんがチッソの社長だったということが一時期、お妃候補からはずれる理由になったとのことですが、祖父の職業や責任が孫の結婚の妨げになるという考え方も問題です。
上で書いたこと以外にもいろんな問題はまだまだあります。よく言われることですが「弟が結婚したときは休みにならなかったのに長男が結婚するときには休みになる」こと、憲法第20条を全く無視した「結婚の儀」などなど、しっかりと見守っていかなければなりません。