過去に書き殴ったもの(目次)
「ボーゲン」第21号
私が教員になって3年目、1986年に担任したI尾高校40期2年3組で書いた学級通信です。
「みんなで力を合わせて文化祭で最優秀賞を取ろう。」とがんばったのですが、賞は取れずじまいでした。そのフォローにと思って書いた通信です。当時は手書きでした。
このクラスは文化祭以降すごくまとまった良いクラスになり、文化祭で賞を取れなかったのがよほどくやしかったらしく学年最後の行事、修学旅行の合唱大会で念願の「優勝」を勝ち取りました。
私にとっては「メモリアルクラス」です。落ち込んだ時はこのクラスの学級写真を見ると元気が出てきます。
O喜田くん、また同窓会やってください。大輔連れていきます。
次はしばらくI島で担任したときに書いた学級通信を紹介します。
まず「さくら」第9号は教員になって9年目、1993年に担任していた20期1年1組で書いたものです。ここから31号までは1学期分です。
この年は学級通信を結構がんばって書きまして最終的には第95号までいきました。この95号というのは今までの最高記録です。もう破ることはないでしょう。
保護者も読んでくれていたようで保護者懇談の席でよく話題になりました。
この9号は春先のほんわかしたムードを伝えている、と自分では思っています。
「さくら」第22号は思ったままを書きました。別に生徒たちに「自虐的歴史観」を植えつけようなどとは考えていません。
次の「さくら」第25号は高校に入って初めての中間テストも終わり「ちょっと一息」というムードのある通信です。
「さくら」第31号は自分なりに「あの年の6月9日」を考えて書いたものです。
次は2学期に書いた分です。
「さくら」第51号と「さくら」第52号は2学期が始まり、「さあ、文化祭」というフンイキをよく伝えていると思います。
「さくら」第65号はまたまた社会ネタです。今読み返すと恥ずかしいです。
続いて3学期分です。
「さくら」第84号は暮れに大輔が生まれ、やさしい気持ちになって書いていました。1月の何日に発行したのかがはっきりしません。おそらく始業式前後だと思いますが・・・。
「さくら」第95号は最終号です。
続いては、1997年度入学の24期生担任団の行事係として書き殴ったものを。
「24期行事係方針(案)」はごらんの通りのものです。ご批評、ご意見をお待ちしています。
「卒業式教師用マニュアル」なんてものが出てきました。教員になって5年目に書いたものです。若気の至りでこっぱずかしい限りですが、まあ読んでやってください。
たかしは島根大学理学部数学科というところを卒業しています。大学時代はそこそこ勉強して、ガバガバ酒を飲んで、ワイワイ騒いでいました。「SF研」というところに所属していろいろ活動していたのですが、そのころ書いたものをいくつか紹介します。最初の「10年後の手紙」というのは1年上の先輩らが卒業するとき卒業文集に書いた文章です。今読み返してみるとえらく「、」の多い文章で読みにくいですが、こらえて読んでやってください。次の「宇宙人はカティサークがお好き」というのは数少ない創作のうちの1つです。これも同じ卒業文集に書いたモノです。短編と言うより小話です。
登場する「丸山くん」は私がいた「舟木アパート」で隣に住んでいた、物理学科の1年下の後輩です。数学科の後輩とはまったくと言っていいほどつきあいがなかった私ですが、物理学科の後輩とは丸山くんやSF研の後輩である舟引くんらと夜ごと飲んでいました。
3つめの『準文学』序文というのは1年先輩の飛浩隆氏が個人集を出したとき頼まれて書いた序文です。冒頭の1文は大昔(1975年8月)、朝倉さんが『ヒューゴー賞完全リスト』に書いていた序文からパクリました。
次の SF雑学クイズというのは機関誌の『アステリスク』のページが中途半端になったとき編集局長のトビさんから「なんか書け」と言われて書いたモノです。今となっては25番の答えが『宇宙商人』だろう、ということぐらいしかわかりません。21番・22番に出てくる「メスクリン」というのはハル・クレメントの『重力の使命』に出てくる惑星です。この系列のお話ではのちにロバート・L・フォワードが『竜の卵』という大傑作を発表しました。
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