「さくら」第65号(1993年10月7日発行)
☆「おとな」になる
むかし僕が子供だった頃「はやく大人になりたい。」と思っていました。
大人はカラダが大きく、そばにいれば守ってくれそうだったし、僕の知らないいろんなことを知っていて、すごく頼りがいがありました。
あんな大人にはやくなりたいと思っていました。
また、教員になりたての頃は「はやくおじいちゃんになりたい。」と思っていました。
子供の頃と同じ理由、いろんなことを知っていて頼りがいがあったからです。
でも、ただ単に年をとっておじいちゃん、おばあちゃんになるのなら誰でもできます。
いろんな経験をして、それを自分なりにキチンと整理して、自分の財産としてたくわえていくことが大事です。
そしてたくわえておくだけではなく、いろんな場面でそれを活かしていくことです。
君たちの中に「はやく大人になりたい。」と思っている人が何人いて、「大人になんかなりたくない。」と思っている人が何人いるか知りません。
しかし大人になるまでに死んでしまわない限り(僕が今までに担任した生徒のうち、もう二人が事故で亡くなっています。担任より先に天国へ行ってしまわないように。)
いずれは誰もが大人になります。そのときにつまらない大人になってしまわないように、今のうちからいろんな経験をして「厚みのある大人」になってください。
☆大阪地裁に怒る
きのう、大阪地方裁判所で豊田商事事件の被害者のお年寄りたちがおこした国家賠償訴訟の判決がありました。
判決内容は「原告全面敗訴」でした。
このニュースを聞いてどうしようもないやりきれない気分になりました。当時の警察庁、公正取引委員会などいろんな省庁の無責任さはもちろんのことですが、判決を出した大阪地裁のありように腹が立ちました。
裁判所のありようとしてまず、「法の番人」として法律を厳密に運用し、いけないことはいけないと断固として処罰することがあります。それとは別に法律自体に不備がある場合、判決によってその不備をおぎなう、という役割があります。
きのうの大阪地裁の判決はこの後者の裁判所の役割を忘れ、ただ単に法律を厳格に運用しただけです。
お年寄りたちに「私らは豊田商事がなにをやってようと別に止める義務はおませんねん。おたくらは残念やったけど、私らにツケまわして来られてもあきませんなあ。」とホッカムリをしている国の肩を持つものでした。非常に残念な判決でした。