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資料1:クラブノート





この古ぼけたノートは、京産大SF研の、現存する唯一の議事録である。*1裏表紙の奥付けには、「1973・4・2〜」という文字がオレンジ色のマーカーで記されている。
四半世紀前の遺物ということだ。昭和でいうなら48年。社会の出来事でこの年を表現すると、まずノートの最初の日付からちょうど一月後、東京競馬場でハイセイコーが不敗の10連勝を達成する。テレビではドリフターズが「8時だヨ!全員集合」で視聴率50.5%を獲得、キャンディーズはその絶頂期にあり、ジャイアンツは日本シリーズ9連覇、東京九段では金大中拉致事件が起き、WBA世界フライ級チャンピオンの大場政夫が交通事故で死亡。そして第4次中東戦争のあおりを受けて列島をオイルショックが吹き荒れ、人々はトイレットペーパーの買い占めに走った。
SF界では1月に大伴昌司が36歳の若さで死去。3月には小松左京が「日本沈没」を発表し、350万部突破という、大ベストセラーになった。
注釈*1その後、もう1冊の議事録<SF研究会回覧版NOTE/PART3>が発見された。

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■<1>会員名簿■
さて、そんな年の春から書き始められたクラブノートである。まず最初のページに会員名簿がある。筆頭には渡辺直人。何度かの書き込みによって随時改訂されてはいるが、最も古い表記は「2(回生)」となっている。京産大SF研は伝統的に2回生が幹部を構成することになっていて、この年は渡辺さんが主幹を勤めていたようだ。
続いて川合康雄。現在SFアート研究家として活躍している川合さんは、SF研の創始者。当時3回生。
そして創生期のメンバーにとって懐かしい名前がずらりと並ぶ。岸田浩志、板谷亨、奈良潔、真鍋博行、福井敏、江川陽二、田子正範。面白いのは、なんといっても板谷さんだろう。学年の欄に最初3(回生)とあり、消されて4、さらに消されて3に戻っている。不思議だ。そういえば筆者(村上和也)の印象では、板谷さんは最初から最後まで、ずうーっとSF研にいたような気がする。

先を続けよう。野崎奨一、村上欽也、増田貴久、林邦明、川嶋康之。なかなか濃いメンバーだ。野崎さん、林さん、川嶋さんの3人は、漫画研究会の主要メンバーでもある。クラブ申請の関係でお互いに会員名をレンタルしていたのだろう。そういうこともあって、SF研とマン研は当初から双子の兄弟のような存在だった。やがては違う道を進むことになるのだが、この時期はまだ蜜月時代といっていいだろう。

1年世代が下がる。中村秀子、上野勝久、大面京子、伊佐研一。1回生からの入会になっている。伊佐さん以外は、マン研のメンバー。大面さんの住所欄に記された「紫寮」には強く惹かれるものがある。鉄壁の女子寮である。毎朝、寮の周辺にはレーザービームの餌食となった死体が転がっていたものだ。

また1年世代が下がる。吉久義則、木村三喜夫、実松幹次郎、佐藤珠樹、村上和也、三吉健一、堀越一郎、津田俊次、中川裕之、籠橋光子。このグループは同時期に入会したが、佐藤さんと籠橋さんは学年ではひとつ上。2回生からの入会だった。
さて筆者もこの年の入会だが、なぜか木村、中川両氏に関する記憶がまったくない。誰かご存知だろうか。彼らは本当にいたのだろうか。ひょっとして何らかの理由で、記憶を抹消されたのだろうか。彼らはもしかして、ケン・ソゴルか。

個人的な話で恐縮だが、筆者(村上和也)は、村上欽也さんがいた事で入会の際に少なからず動揺した。まるで漫才コンビだからだ。「カッコ悪ぅ」。入るの止めようか、とも思った。しかしまあ、入ってしまった。そのうち筆者は、伊佐さんから「かずや」とだけ呼ばれるようになった。他の人も次第にそう呼んでくれるようになった。親以外にこんな風に呼ばれるのは初めてだったが、「まあ、外人っぽくていいや」と思っていた。そして程なく、渡辺さんが「あほのかずや」と言い始めた。これは瞬く間に広がった。

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  ■<2>例会記録1973/04/02〜05/02■創世記
会員名簿に続いて定例会の記録が始まる。最初のページは(1973年)4月2日。きわめて簡潔で、事務的で、つまり「あいそ」がない。しかし当時の活動内容を知るには、格好の資料である。例会の参加者は、渡辺、岸田、板谷、福井、江川の5名。「10時学生休息所で集合」となっている。部室を持たないSF研は、当時から学生休憩室を溜まり場としていたことがわかる。以下はその記録内容だ。
・SF研のビラを4日から*1
・SF研が承認されていず、クラブ内規と趣旨書など手つづきを急ぐこと*2
・部費300円を徴収*3
・レクリエーション*4
当日づけの記録は以上である(*は筆者)。まず*1から。「SF研のビラ」とは時期を考えると、新入生勧誘のビラだろう。新入生と見ればピラニアのごとく各クラブの勧誘員が群がり、瞬く間に骨と皮にしてしまう。それは大袈裟としても、頭の毛をむしられる新入生は確かにいた(この話は、またの機会に)。
ところで筆者はSF研の新入生勧誘ビラというものを見たことがない。どんな物だったのだろう。ご存知の方はご教授ください。
次に*2であるが、ついにSF研はクラブとして承認されることはなかった。毎年、趣旨書等の手続きをするのが主幹の仕事ではあったが、それはほとんど、儀式かおまじないのようなものでしかなかった。その原形をここに見ることができる。
*3の「部費300円」は、高いか安いか。当時発売されたばかりの「カルビー仮面ライダースナック」が1袋20円。部費ひとり分だけで15袋も買える。おまけに超レア物のライダーカードまでついてくる。部費を払わずにライダースナックを買い続けていれば、いまごろお宝長者だ。
最後に*3のレクリエーション。この頃のレクリエーションはどんなことをしていたのだろうか。ノートの記録には川合さん宅でのコンパぐらいしか書かれていない。まあ毎日がレクリエーションのようなものか。筆者の世代ではソフトボールやボーリング、1円玉落し、ナポレオンなどが主流だった。この頃の精進のおかげで、いまだに仕事関係のボーリング大会では上位を占めている。ありがたいことである。

4月4日は朝10時に集合し、新入生クラブ勧誘のためのビラまき。3時までやったと書かれている。
続いて14日。この日は役員の正式決定の日で、以下のようなメンツとなった。
部長
渡辺
副部長・書記江川
会計
福井
編集委員
川合
企画
板谷
常々疑問に思っていたことがある。「SF研究会」なのに、なぜ「部長」なのだろう。正しくは「会長」ではないのか。ミーティングは「部会」と呼んでいた。正しくは「会会」かい?もう、どうでもいいけど。

同日には、こんな記述もある。
○会誌
未提出者…奈良、江川、福井「宇宙」「自由テーマ」4月28日に提出
10枚以上400字づめ
ここで福井さんたちが未提出を責められているのは、伝説の会誌「タルカス」だと思われる。筆者も一度だけ伊佐さんの家で目にした。確か川合さんが中心となって編集されていたはずだ。いま手元には資料がないが、機会があればいずれ紹介したいと思う。

4月25日は新入生のためのクラブ説明会。20分時間を延長したと記録されている。スライドなどを用意してアピールしていたようだ。筆者が新入生の頃は、そんなものはなかったぞ。
この日の収穫は、
集まった新入生は6人ぐらいで入部しようという人は3名であった。
おそらく欽也さんや増田さん、林さん、川嶋さんたちがこの頃に入部したと思われる。川嶋さんにも新入生の頃があったわけだ。

5月2日(水)
○会誌(早く提出)投稿「宇宙」「自由テーマ」
まだ出してない。この日の部会で、読書会の今期テーマが「日本人作家」と「NW(ニューウェーブですね。懐かしい)」に決まったようだ。以前はテーマを決めて体系的に読書会をやっていたらしい。素晴らしい。加えて、担当班をつくるという記述がある。おそらく研究発表の形をとるのだろう。本物のSF研だ。
ちなみに担当班のメンバー次のようになっている。
板谷
ファンタジー
江川
(空欄)
渡辺
福井
(空欄)
岸田
日本
田子
(空欄)

待ったれ、待ったれ。これは何じゃ。空欄は言うに及ばずだが、板谷さんのファンタジーとは、どういう意味だ。今期のテーマは「日本人作家」と「NW」ではなかったのか?何のためのテーマなのか。あぁ、さっぱりわけがわからんわい。

03
  ■<3>例会記録1973/05/12〜06/27■SF研の危機
5月12日(土)は、コンパに関する記述のようだ。それによると、来る5月26日(土)午後6時から9時半まで、I.S.F.C事務局第二会議室において、会費800円で行われるという事らしい。I.S.F.Cというのは、当時川合さんが主催していたファンジン「狂人類」の母体団体と思われが、詳しいことはわからない。まあ、つまりは川合さんの自宅の一室という事のようだ。

5月19日(土)は、619教室において「宇宙船の昔〜現代までの推移」「人工衛星〜現代までの推移」の2演題についての講演。講師は川合康雄氏。当時3回生だった川合さんがSF研の中心的存在であった事がよくわかる。筆者(村上和)が入部したのは2年後、川合さんが卒業した後であるが、以前その影は地縛霊のようにSF研に残留していたのを覚えている。なんまんだぶ…。

5月23日(水)にはコンパを確認する記述、そして25日(土)はコンパの記録が残されている。それによると場所は、やはり川合さん宅。参加者は川合・岸田・渡辺・福井・野崎・江川・ゲスト2名の計8名。ゲストの正体は不明である。6時半に始まって10時に終ったらしい。その間は、麻雀・カードのほか、スライド1枚ずつにストーリーをつけるゲームをしたと記されている。楽しいかもしれないが何かの心理療法のような気がしないでもない。ひょっとしたら当時の人たちはどこか病んでいたのではないだろうか。

6月に入って最初の土曜日、学生休憩室で今年の読書会のスケジュールが次の通り決定された。
6月
日本沈没/バベル17
7月
黙示録3174年/大宇宙の魔女
9月
時の声
10月
果てしなき流れの果てに
11月
アンドロイドは電気羊の夢を見るか
12月
ソラリスの陽のもとに/脱走と追跡のサンバ
原則として第1第3水曜日が読書会と定められている。しかし9月は夏休み明けのため、10月はテスト期間のため、11月は学園祭のため月1回という配慮がなされたようだ。学生生活が懐かしく思い返される。

1週間後、6月9日(土)に興味深い記述がある。
6/9SAT_学生休__参加者6名
(水)(土)曜必ず1回出席
・月に原稿2枚必ず提出
・来週総会を開き、来ない場合は退部(退部金?)
・新入生募集
・バベル17は本が売られていないので一時バベル17の読書会中止
まず冒頭の「学生休」。当時は盛んに学生休憩室で読書会や定例会が行われている。ところがこのクラブノートには、学生休憩室の「憩」の字が正しく書かれている個所がきわめて少ない。だいたい塗りつぶされているか、ここのように脱字になっている。「学生休室」と書かれているところも何ヶ所かある。SF研の国語力の低さが如実に表れている。あなた、書けます?
さてそんなことはどうでも良いのである。問題は来週総会を開き、来ない場合は退部(退部金?)の部分。当時はこんなことが行われていたのだろうか。しかも退部金まで毟り取ろうという。どこぞの悪徳体育会のようだ。さらに頭を丸めさせれば完璧だ。
しかしこういう事の実行例は本当にあったのだろうか。いびり出されるというケースは知っているけれども…。
考えるに、こういう強行案が出るほど、幽霊部員が多かったのではないか。それは筆者が在学中にも感じていたことである。文化会系の困った体質だ。個人的な話で恐縮だが、筆者は高校時代にチャンバラをやっていた。天才剣士とも突きのムラマサとも異名を取った。体育会の光と影も少しは知った。そしてその影の部分たるや、むちゃくちゃ暗〜いのである。爽やかなスポーツの世界は幻想だった。青葉学園剣道部などない。吉川君もいない。で、大学に入ったら文化会にしようと固く決意して、あまたのスカウトの手を振りきりSF研を選んだのである。が、そのギャップの大きかったこと。それはまさしくカルチャーショックだった。全員がてんでバラバラな方向を見ているのである。なんじゃこりゃ。こんなことではインターハイなど夢のまた夢(あらへんあらへん)。内心忸怩たるものがあった。
話はどんどん逸れるが、伊佐さんはこのようなクラブの雰囲気を、危惧しながらも愛していた。SF研がひとつにまとまって目標に邁進する姿など、二位の尻の穴ほども見たくないといった。敢えていうが、それはものすごく見たくないということである。川合さんはいない。渡辺さんも板谷さんも卒業した。伊佐さんは4回生になり、後輩はあほばかり、三吉は女に走り、津田病気。SF研はどんどん求心力を失い、ああ、どうなるの、どうしたらいいの、という危機的状況の中、伊佐さんは回顧主義的中道革新路線へと進むのである。そして、やがてそれは、あの「オマケ運動」へと発展していく。(別項「週刊オマケとオマケ現象」参照)
いま、そんな話をしている場合ではない。そうそう、「来週総会を開き、来ない場合は退部」の話。いったいどうなったのでしょう。問題の、一週間後の部会の記録は、たった一行。
6/13wed_411教室にて_参加者多数(爆)

その後、6月16日「日本沈没」、23日「シャンブロウ(大宇宙の魔女)」とまじめに読書会が続く。
以下「シャンブロウ」読書会の抜粋。
○「恋人たち」よりずっとワイセツ
○ストーリーがつまらない(スペ・オペだからあたりまえだ)
○もの足りない。リアリティがない
○ヒーローが弱い
○スミスはとっても人間くさい
○これはスペ・オペじゃない
○<あとがき>がよかった
伝統的に、京産大SF研の読書会は、こんな調子である。やれやれ。
そして次に6/27wedという日付だけを残して、ノートの記述はいったん途切れる。

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■<4>例会記録1973/09/22〜11/01■神山祭がやってくる
ノートに5行の空白がある。それは前期試験と夏休みを表わしている。再開した日付は9/22(土)。そして内容は学園祭の準備一色となる。神山祭がやってくるのだ。
この年、昭和48年の神山祭は第8回開催。SF研の出し物は
★SFに登場する宇宙船の歴史と模型の展示
★パルプ雑誌、アメリカのSF関係の書籍展示
★8ミリ映画上映「海底2万マイル」「原子怪獣現わる」「フランケンシュタイン対宇宙怪獣」
★「カナダ・トロント大会」(ワールドコン?)のスライド上映
★同人誌・映画のパンフレット、ポスターの展示
★その他、最終日に他大学のSF研を招いてのパネルオークション
などとなっている。おそらく歴代SF研はこれをお手本にして毎年の文化祭の出し物を構成していたのではないか。そう思えるほど、文化祭のツボを押さえた内容である。足りないのは模擬店ぐらいだ。

メインとなる宇宙船の模型は、川合さんが下取図を書いて10月6日(土)から製作開始。60〜70cmくらいのものを数機つくるという。いったいどのようなものだったのだろうか。スカイラークやコメット号などではないかと思われるが、記録が残っていないので何とも言えない。当時はまだカメラも発明されていなかったので写真も残っていない。ご存知の方はご連絡ください。
10/14(日)には、SF研7名が川合さん宅に集合。宇宙船製作に取り組む。そのうちの一人、渡辺部長は茨木でパチンコをして遅れたため、キリンレモンを提供。また部費によって70円ハンバーグ(ハンバーガー?)を各自1個提供されたとある。また部展の教室が611号教室に決まったとされている。
こうして神山祭準備でおおわらわの10月31日、なぜか部費が200円になったという記述がある。これまで300円だったのが100円も安くなったのである。当時200円といえば、ちょうどこの年発売され大ヒットとなった「くれ竹筆ぺん」が1本200円、…オチを思いつけないので、これでやめる。
まあ、なぜか知らないが部費が安くなった。1個70円のハンバーガーを振る舞っておきながら。ひょっとして、オークションでがっぽり儲かる算段がついたのかもしれない。
そして翌11月1日(木)、611号室にマンガグループ(マン研)と合同で展示の準備に入っている。当時は1つの教室を共有していたらしい。次の日、いよいよ神山祭が始まる。


05
■<5>例会記録1973/11/02〜12/01■祭りのあと
11月2日から3日間、神山祭が行われた。SF研は前述の映画三本だてを中心に、宇宙船、パルプ雑誌、アメリカのSF関係書籍、映画のポスター及びパンフレット、同人誌などを展示。さらにワールドコンのカナダトロント大会のスライド上映と、豊富な内容だったようだ。
最終日の4日(日)、川合さんが遅刻して上映が著しく遅れたと書かれている。映画の上映は3時になっていたので、川合さんは夕方まで来なかったという事だ。やれやれ。

11月17日(土)、神山祭の打ち上げコンパがまたまた川合さんの家で行われている。
聖氏、川合氏の弟さんを交えた7人で夜遅くなるまで、スライド、ポスター、パンフレット、写真等で愉快に過ごした。
え?…聖氏?ひょっとして、おたべの…。ちがうちがう、あの怪奇評論家の聖咲奇さん。
僕は3年後の1976年に、この人と会っている。やはり神山祭に出展する資料を借りるため、板谷さんに聖さんの自宅まで連れていってもらったのだ。ワールドコンの土産話とかも聞かせてもらった。その頃にはまだ日本にはなかった「宙返りジェットコースター」の体験談とかも面白く教えてもらった。夕飯までごちそうになった。それでも怖かった。

川合さんの弟さんとも面識がある。僕が4回生の時だから1978年の夏、かのアメリカの芦屋小雁、フォレスト・J・アッカーマンが来日した。その歓迎レセプションに、川合さんと弟さん、村上(和)、ムパの4人で潜り込んだのだった。川合さんの師匠である野田昌宏さんの手引きである。この時の会場には手塚治虫さんも来ていた。握手してもらった。大きな手だった。ムパと手塚さんの2ショット写真を撮ってあげた。しかし自分のは撮ってもらわなかった。めちゃくちゃアガってたんだよー。

11月24日にはこれから短期的なスケジュールが書かれている。それによると、
11月28日今後の方針決定
12月1日
読書会
5日
8日
12日
15日
春休みの研究課題、来年度の新入部員勧誘の具体的な計画、連絡事項その他
となっている。
今後の方針としては、試案としながら
●創作教室(多少ハードにする)←きついという意味
●読書会(好みや傾向よりも入手しやすいもの優先)
●批評会(匿名によるケナス小冊子)
●「レポート」自由テーマの短いエッセイ提出
●正会誌作成
といった項目が挙げられている。読書会で入手しやすい作品を優先するということは、絶版本が多かったのだろうか。当時はハヤカワのSFシリーズからSF文庫、SFノベルズへの過渡期にあたり、その影響で主要作品が品薄だったのかもしれない。
また「新入部員勧誘の具体的な計画」とはいったいどういうものだったのだろうか。積極的に活動するために人材の一新が唱えられ、年間計画が何度も練られるなど、SF研の来年度への期待は相当大きなものがあったようだ。
さてここに書かれた方針によると、創作やレポート提出にかなり力を入れていたことがうかがえる。もしこの通りなら、どこかに多くの原稿が残されている可能性も高いのではないか。今後の調査に期待したい。

12月1日(土)、筆者はここに初めて読書会らしい読書会の記述を見ることができた。課題はフィリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」。とはいうものの、ほとんど渡辺さんの独壇場である。不合理や論理的矛盾を補ってなお読者を楽しませるという、江川さんの発言が残されているが、どうやらジュディス・メリルの言葉の引用らしい。渡辺さんは、それら未整理な点が従来のディックの作品に比べて少なく、すっきり仕上がっているとしている。「(前略)情調オルガンや電気動物のような日常的な小道具が、主人公の反日常的な、どこか子供っぽい職業や核戦争後や他の星への移住等と見事な対比をなしていて、その落差がえぐり出すイメージが、日常性におけるシュミクラ(原文のまま)の存在を暗示している。電気動物とアンドロイドというシュミクラの二重構造は、その表題に示されるとうりであるが、この作品の中でアンドロイドではなく人間として登場している人物フィル・レッシュなどにもシュミクラ的な性格が見られるのが興味深い。(渡辺)
ここでいわれる「シュミクラ」は、ひょっとしてシミュラークルのことではないだろうか。実在しない、オリジナルのないコピーをシミュレーションといい、そのコピーがシミュラークル。すべての文化はただ差異化の産物、実体のないコピーのコピーのコピー…という考え方があるそうで、レプリカントの世界にはふさわしい世界観と思うのですが、どうですか。

この10年後、筆者はリドリー・スコットの手になる同作品の映画化「ブレードランナー」を初日オールナイトで観た。すでに社会人になっていて、独身ではあったけど今と同様時間に追いまくられる毎日で、仕事を終えて映画館に飛び込んだ時は、もう10分ほど映画が始まっていた。暗い館内にこっそりと入って、すぐスクリーンに引きつけられ、いい意味で裏切られた快感に酔いながら、明るくなった館内に板谷さんや川嶋さんや赤塚の姿を見つけた時の嬉しさ。みんなディックが好きだったんだなぁと、まあ、そういったことが、この奇妙なタイトルを目にするたびに思い出されるのであります。全然関係ないけど。