最近のできごと(2001年3月下旬)


2001/03/31(土)

今日で3月も終わり、明日から4月。新しい年度の始まりです。

4月からの私は、1年7組担任(男子21人・女子19人の恵まれたクラスです)・ラグビー部とアーチェリー部の顧問・分掌は進路で役割分担は指定校担当、という人です。担任ですので去年のように指定校説明会にボンボン出張できるわけではありませんのでタイゾーがサブの人をつけてくれました。N成から転勤してくるN野という30歳の女性だそうです。ただし既婚で子持ちです。今回の人事異動で転入してくる人は私の知るかぎりではすべて女性です。家庭科S水の代わりにN成からN野(教諭・30歳・女性・既婚)・体育科常勤講師K保田の代わりにY尾北から女性(教諭・独身・専門は体操)・1年間研修に出る英語科Tの代わりに常勤講師N川(奥さんのH高時代の恩師の息子さんの奥さん)・音楽科H瀬女史は引き続き常勤講師。あとT尾氏の代わりに来る人は知りませんが、どうせあさって分かります。また教頭も転勤で、I尾へ校長として行くそうです。

この時期は別れがあったり、出会いがあったり。ちょっと不安定になってしまいます。

ともあれあさってから教員生活18年目に突入です。


2001/03/30(金)

久しぶりに6時起床。スーツ姿でいったんガッコに寄ってから9時に弥刀駅でU野主任と待ち合わせ。ちょっと早かったので、駅前でお茶してから金岡中学へ。校長室に通され、3年時担任(空手のO本センセ)と養護担当(春からH園中学に転勤するM元センセ)が対応してくれました。1時間半ほど話しして、私はいったん家に帰って着替えてガッコへ。聞いたことを忘れないうちに箇条書きにメモにまとめてから3時頃帰宅。(最近ポイントが低くなっているので帰れるときに早く帰ってポイントを稼がなくちゃ。)帰ってくると大輔くん調子悪そうです。来週からはずっとガッコに行きますので何とか今週中にマシになってほしいモンです。

明日はガッコに行かず、つぎガッコに行くのは来週月曜4月2日にするつもりです。月曜は1時から職会、その直前に行きましょうかね?


2001/03/29(木)

最後にもういっちょ数少ない創作を紹介して大学時代回顧シリーズを終わろうと思ったのですが、けっこう長いのでhtml化に尻込みしています。当時書いたモノはもちろん手書きで、ペーパーでしか残っていませんのでイチからキーを打たなければならないのです。そのうちひっそりと「書き殴ったモノ」のコーナーにアップしますのでお楽しみに。

大輔くんが調子悪くておとつい・昨日・今日とずっと家で相手していてガッコに行っていません。だもんでガッコの情勢の変化はわからないのですが、26日(月)のことを・・・。

9時半から人事委員会・10時半から運営委員会・11時半から職会という流れでした。職会では「クラブ顧問」「学年所属」「分掌配置」などが審議事項で出てきました。私はラグビー部とアーチェリー部の顧問・1年担任・進路でした。報告連絡事項が終わってから人事委員・予算委員・職会議長の選挙があり、人事委員にはめられるといううわさでしたがはまらず。

人事委員にはめられるというのはY山センセが「君とS川は人事委員に入るべきや。」「ワシは(選挙)運動するぞ。」と言っていたので「そうか、あの人が入れと言うなら入っとこか。」と覚悟していたのです。ところがフタを開けてみればこれです。あの人は前から思っていましたが「おいしいトコだけ取って、あとは知らんぷり。」がひどいです。転勤していく人にあまり言いたくありませんが、あの人は「あの人が非難している相手並みにひどい人」です。ああいう言いっぱなしの、ほったらかしのところを直せば みんながあの人を『大将!』と慕っていくのに。すごく残念です。

閑話休題。

職会が12時半頃終わり、その後いろいろ各学年の会議。それが終わったところで校長が手招きしますので行くと「非常勤のK藤さんが来ている。」とのこと。校長室であいさつして、準備室に行って持ち時間のことやらいろいろ説明して「どの時間帯をあけましょう?」と聞くと「火曜の午前中はゼミ・午後はY陽丘の授業、できたら金曜の午前中をY陽丘の授業に当てたい。」とのこと。Y陽丘でも4時間持つんだそうです。だもんで彼が帰ってからうちの教頭を通じてY陽丘の教務に電話して火曜の午後と金曜の午前で彼の時間割を組んでくれるよう頼んでおきました。

なんやかや雑用を片付けてから帰宅。それから今日までずっと浦島生活でした。明日は担任することになった足の不自由な子、Mサンの中学時代のことを聞きに金岡中学まで行ってきます。9時に弥刀駅でU野主任と待ち合わせて、9時半訪問予定。中学校訪問は久しぶりです。I島21期のときに手伝いで行った以来です。やっぱりネクタイしめていくのが無難かなあ?


2001/03/28(水)

こうなったら勢いです。もういっちょ大学時代に書いたモノを・・・。トビさんというのはSF研の1年先輩で、三省堂主催の「三省堂SFストーリィコンテスト」というモノに『猿の手』という短篇で入選。卒業後は島根県庁のお役人のかたわらいくつか短篇やら中篇やらをSFマガジンに書いておられました。しかしやはりパートタイムライターはしんどいのか、それとも才能が枯れてしまったのか(あ、ゴメン!)SFマガジンの1992年10月号に『デュオ』という150枚を発表して以来、なりを潜めています。

でもねえ、トビさんがいたから私は創作をあきらめて評論に走ったんですよ。もっとがんばってもらわないと。


2001/03/27(火)

昨日に続いて大学時代に書いたモノをひとつ。昨日の「手紙」もこの「カティ」も、考えてみたら18年前に書いたモノなんですねえ。

昨日で年度末のお仕事が終わり。あとは4月から1年担任と進路の指定校担当としてがんばるだけ、となりましたのでちょっと昔を思い出しちゃっています。

久しぶりにSF研の機関誌を取り出してみたら紙が劣化して字が読みにくくなっている部分があったので、まだ読めるうちにhtml化しておこうと思ったので。


2001/03/26(月)

大学時代に書き殴ったものをひとつ紹介します。「10年後の手紙」というのはSF研の1年上の先輩らが卒業するとき「卒業文集」(わ、はずかし!)に私が書いた文章です。気が向いたら読んでやってください。

当時は進学を考えていたのでそのつもりで書いていますが、結局親に院進学を反対され、「大学出てガッコのセンセになって親孝行してくれ。」と言われ今はしがない公立高校教員です。私はここら辺がトラウマになっていますので3年生には「親には泣けるうちに泣いてもらえ。おまえの人生や、親の人生ちゃうやろ?」とよく言います。


2001/03/25(日)

昨日の続きで、高3のとき地下鉄で痴漢にあった話をしましょう。

高1・高2とノホホンと高校生活を過ごしていた私ですが高3になるとさすがに「受験勉強!」と思うようになり天王寺YMCAのK3クラスというところに通い始めました。まだ駿台・代ゼミ・河合塾の大阪校はなく、駿台の京都校が二条城の横にあっただけの頃です。大阪の予備校といえば「大予備」「エール」「夕陽丘」「YMCA」が主なところでした。で天王寺のYMCAならガッコ帰りに寄れるので、という理由で天王寺YMCAを選びました。

その日はガッコがはやく終わり、いったん家に帰ってから天王寺へ行きました。地下鉄恵美須町から動物園前まで行き、御堂筋線に乗り換えて天王寺までは一駅です。吊革につかまって窓の外の暗闇を眺めていると電車が動物園前を出てすぐにお尻のあたりがもぞもぞします。振り返ると小太りなおじさんがすぐ後ろに立っています。「おやおや、ぼく男ですよ。」と思ったのですが「一駅で降りるのだから」と知らん顔していました。さて、天王寺について電車を降りるとおじさんもついてきます。ホームの階段を上がり、改札を出てから左側の天王寺駅ビルに向けて階段を上っていってもついてきます。国鉄のコンコースを突っ切り北口から外に出るのですがさすがに怖くなってきて、北口の横にあるトイレに入るふりをして、振り返って正面からにらみつけるとおじさんどこかへ行ってしまいました。

小さい頃家に風呂がなくて近所の風呂屋さんに行っていたのですが、新世界青柳通りのおかまさんとよく一緒になりました。何人かはいつも一緒になるので顔なじみでした。とはいえ挨拶を交わすことはありませんでしたが・・・。だからそういうことを生業にしている人がいることも、そういう性行を持った人がいることも知ってはいました。でもそれは自分の世界の外側の話で、そういう人が自分の世界に入り込んでくるとは思っていませんでした。ちょっとしたカルチャーショックを受けた出来事でした。


2001/03/24(土):第4土曜

たしか私が高1のときだったと思います。理由は忘れましたが、終電近くの地下鉄で梅田から家に帰ろうとしていたときのことです。向かいの席に20代後半のOLさんらしき人が座っていました。仕事に疲れていたのかうつむいてウトウトすることもあります。その人は中村雅俊のLPと彼のポスターを抱えていました。ときどきいとおしそうにそのLPとポスターを見つめています。ただそれだけのことなのです。その人の顔も忘れたし、どこで乗ってきてどこで降りたのかなんてことはもちろん忘れています。ただそのとき「みんな辛いねんなあ。」と感じ、そのOLさんだけではなく、周りのすべての人のことをいとしく思えたことだけはおぼえています。

25年も前の昔話です。そのOLさんも今では良いおばあちゃんでしょう。でもそう考えれば今の40代後半から50代前半というのは私が高校時代にあこがれていた世代なんですよねえ。高1のとき阿倍野のECCへタイプライタを習いに行っていたのですが、そのときの講師のセンセや一緒に習っていたOLさんたちが皆この世代です。(ちなみにこのとき家で使うために買ったオリベッティのレッテラ35という機種はまだ手元に置いてあります。)

そうですかあ・・・。今の40〜50代はあの世代ですかあ。なんかしみじみしてしまいます。で、ここであることに気づきました。音楽のH瀬女史はこの頃生まれているんです。そりゃそうですわなあ、あの神戸の地震のとき高3だったというのだから、I島でいえば19期です。そんな世代が常勤に来る時代なんです。そりゃ私も40歳になってしまうはずです。

地下鉄の中での思い出にはいろんなものがあります。高3のときは痴漢にあったし・・・。


2001/03/23(金)

10時からの教科主任会議では全体に38時間、数学に講師時数14時間が割り当てられました。おとついから2時間増えた理由は・・・。実は私のクラス(1−7)に足が不自由な子がいるのですが、その子のための2時間が上積みされたそうなのです。で、お達しでは「この2時間は担任が取るべきである。」ということなのです。ということは私です。担任の持ち時間の基準は15時間ですので、そこから2時間取ると13時間になります。すると「1年数I」(5時間)を2クラス持ち、あと3時間の授業を持てばいいのですが、3時間の授業というのは「2年数II」と「3年数C」しかありません。全く知らない3年生より、今年教えた2年生の方がまだやりやすいかな?と思ったので「1年数I」を5時間×2クラスと「2年数II」を3時間×1クラス持つことにしました。それに基づいて他の人の持ち時間も組み替えたのですが2年担任で2科目16時間、3年担任で13時間ではあるが4科目の人が出ました。それをそのまま3時からの教科会議で提案したところ「まあ、しゃあないやろう。」ということで了承。その後、教務に出す持ち時間表を作ったり、クラス分け作業の続き(志願書をクラスごとに分けたり、名列表用原稿を作ったり)していたら6時を回っていたのでガッコを出ました。

26日(月)は11時半から職会。人事委員会から分掌配置が出てきたり、人事委員・予算委員・職会議長の選挙があったりと盛りだくさんですがとうとう今年度最後の定例の職会です。やっと職会議長団長から解放されます。この日はまた3時に、講師に決まったK藤さんという人が来ますので、打ち合わせをしなくてはいけません。彼は「1年数I」2クラスと「2年数B」2クラスを持ってもらいます。29歳で阪大の院生だそうです、キョーレツに頭が良いんでしょうねえ。

それにしても13時間かあ。生指部長なみですね。


2001/03/22(木):とうとう40歳になりました

10時から合格発表、毎年のことながら悲喜こもごもの人生模様でした。それから時間があいて1時半から体育館で合格者説明会。男子で「おい、おい。」という髪の色をしたのが2人、大幅遅刻が1人いたくらいで平穏に開始。学年教務のK崎氏が芸術選択について説明し、選択カードを集めたところで新1年担任は会議室にこもってクラス分け作業開始。音・美・書の人数を調整してからクラスを作り、クラス内で同性の同姓をチェックし、同じ出身中学からの生徒が固まっているクラスをチェックして、一応クラスの形ができたのが7時半。それから進路でS川・K崎とクラスの持ち方などの作戦会議をしていたら10時になっていました。

3時からの予定だった教科主任会議が5時開始になり、結局「まだ講師時数は確定していない。」とのことで明日10時に再度集まることになりました。


2001/03/21(水)

まず9時からの『入学者選抜会議』は30分ほどで終わり職会へ。保健部長の補充選挙が行われ、英語のS田女史が選ばれました。E並との決選まで行ったのですが、残念ながらE並氏は選ばれませんでした。選挙が終わってからいったん中断し、Y山氏の後任の新1年担任を決めるため人事委員会→運営委員会。教頭の放送で職会が再開され、やはり予想通りE並が新1年担任でした。それから選抜委員は明日の合格発表準備・その他の教員で明日午後の合格者説明会用に体育館設営。選抜委員の作業が終わったのが12時半頃で新1年担任会は2時開始ということになりました。

進路のみんなと向かいの中華料理屋から出前を取って昼食をすませたら2時少し前だったので、そのまま会議に突入。明日の打ち合わせやら学年内の係を決めたり分掌を決めなおしたり。学年内の係は副主任:I宮/修学旅行主担:私・K崎/人権教育委員:I宮/教育相談係:U田/遠足・HR計画:U田・E並/集会指揮:S川と決まり、分掌への学年派遣は教務:K崎/生指:U田/進路:S川/生徒会:I宮と決まり私とE並が人事委員会任せ。これでおそらく4月からも私は進路でしょう。

修学旅行の行き先について話し合っているあたりで3時になり、3時から教科主任会議だったので中座して理科講義室へ。講師時数は36時間確保できているそうで、いっそうの上積みを目指して校長ががんばっているとの報告でした。主任会議が30分ほどで終わったので、担任会に戻ると修学旅行の行き先がJ○Bの久米島に決まっていました。あとクラス分けに関して係が方針を説明して今日の会議は終わり。その後数学科教員を集めて主任会議の報告。次の教科会議は23日(金)午後3時から、としておきました。

明日は10時から合格発表。ようやくこの日が来ました。長かったですなあ、入試から発表まで・・・。で午後は1時半から合格者説明会、その後クラス分け。さて何時に終わりますことやら。


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