尺八史

The history of the shakuhachi

津田陽彦



尺八の歴史にはさまざまなものがあり、確定したものは未だありません。
このホームページに書かれている内容も、今までの、諸説の要約の一つであると考えておいてください。

さて最初に、皆さんに質問です。
尺八と言う楽器を、どのようにイメージされていますか。
  きっと、竹で出来ていて、五つの指穴が開いた、根が太い、およそ55センチメートル程の楽器を想像されるのではないでしょうか。
  それも、正解です。
・・・・・・それだけでしょうか?

次の質問です。
尺八は、どんな時に使われますか。
  民謡の伴奏。
  映画で虚無僧が吹く。


そもそも、尺八は、虚無僧を擁する普化宗と言う宗教団体の法器として、長い間大切に扱われていました。
明治4年の太政官布告で普化宗が廃止されるまでは、厳密には、一般の人が手にとって吹けるようなものではありませんでした。
普化宗が廃止されて、暫くの間は、尺八を吹くことは、堅く禁じられていました。
(佐幕派として活動した嫌疑で、廃宗されたと言われています。)
しかし、先達諸氏の尽力により、”大衆楽器”として使うことで政府の許しを得て、再び尺八が広まりました。

明治以前、尺八は普化宗の関東総本山の一月寺、鈴法寺やその末寺、関西では総本山明暗寺、博多の一朝軒と言った、虚無僧寺の独特の組織の中で伝承されていました。
これらの寺に伝わっていた尺八曲(曲と言うのは適切ではないかもしれません。なぜなら、普化宗では、尺八を吹くことは、読経であり、声明の様なものであったからです)を、現在は「本曲」と言っています
        註)尺八の流派によっては、創始者などが創作した尺八だけの曲を本曲と呼んでいる場合もあります

さて、普化宗とはどういうものでしょうか。
普化宗は、むかし中国の、西定(鎮州)にいた、普化禅師を始祖とされています。
普化禅師は、臨済宗の祖、臨済義玄の同門、盤山宝積を師とするすこぶる奇人であったと伝えられています。
この奇人、街中をたえず鐸杖を振りながら

明頭来也 明頭打
暗頭来也 暗頭打
四方八面来也 旋風打
虚空来也 連架打

と唱えながら徘徊していた
こんな、普化禅師を慕う張伯なる人物がいて、禅師の響かせる鈴鐸音を尺八の音に模して吹奏したのが普化尺八の始めとされています。
(それでは、尺八の本当の始祖は張伯ではないか、と疑念を抱く方もおられるはずなのですが・・・・・・どうしてか、普化禅師になっています)
張伯の十六代孫である張参に学ぶ四居士を、建長元年(1249)入宋した僧、覚心(法燈国師)が帰朝の際に連れて来て、紀州西方寺(由良、興国寺)に住まわせたと言う。
        註)普化禅師が尺八を吹いていたと言う記録は、どこにもないではないか!!
        註)普化禅師は、遷化した時、誰も教えを継いだ人物がいないはずなのに、どうして、普化宗ができたの?
        註)覚心が尺八を吹く四居士を連れて帰国したと、どこに記されているの?
いずれにしても、尺八と普化禅師徒の関わりがいつ頃からできたのか、不明な点が多くあります。
この、達磨大師の系列に属する、普化禅師のことを慕う張泊なる人物がいて、禅師の響かせる鈴鐸音を尺八の音に模して吹奏したのが普化尺八の始めとされています。普化宗の名はこの普化禅師からきています。
(実際のところ、普化禅師と、張泊が緊密な関係にあったのか、それも、単に張泊だけの片思で、普化禅師からすればまるっきりの赤の他人であった、かどうかは定かではありません。解釈によっては、本当は尺八の始祖は張泊である、と言う風にも読めるのですが・・・?)
この張泊の16代孫のに尺八を学んだという四居士を連れだって覚心(後の法燈国師=和歌山県由良・興国寺)が、帰国したのですが、その中のひとり、宝伏と言う人物が宇治の里に庵を構え手いたときに悟るこのときのことを「一天清光満地金龍躍波」と記す。弟子にきん先、活聡、法義がいて、きん先が一月寺、活聡が鈴法寺、法義が根笹派の流れになります。
明暗寺系では始祖(開祖)について諸説があってはっきりしません。

学心(覚心)が寄竹に尺八を教える。寄竹が勢州(伊勢)朝熊嶽で夢の中で聴いた妙音を「霧海じ」「虚空」とした。この寄竹は後に宇治の「廬庵」だとか「虚竹」と言う尺八吹きでのことである、と言った説があり、更にこの寄竹が楠正勝に尺八を教えたと言うものもある。
(古来、社会の混乱期には結構自分にとって都合の良い、眉唾の家系などが作られていたようで、当事者が、後世に編纂したものほどそういう確率が高いように思います。このホームページをご覧の諸氏は、思いこみのない研究をされて真実に少しでも近づける新たなる研究成果の発表を期待しております。)
何れにしろ、普化禅師が尺八の祖であるとか、覚心(法燈国師)が尺八の祖であるという説は尺八愛好家の中では根強く信じられている尺八史ではあるが、信じるにしては大きな疑問が残されています。
ただ、なぜこのような伝承話が必要であったかが重要な点です。
江戸時代も時代と共に安定してくると、居場所を失った浪人たちの安住の場として、その体裁を整える為に考え出されたものではないかとも思えるのです。
また、この普化宗と普化尺八と言われる尺八の結びつきも、あまりはっきりしません。
さて、普化宗は明治4年に廃宗となり以降、宗教から解放された尺八は先輩諸師の工夫改良の結果、各方面に活躍するようになりました。

尺八の起源については、まだ、ほかにもたくさんの説があります。
一節切(ひとよぎり)尺八が、普化尺八の元であると言う説。
古く飛鳥頃、聖徳太子が、愛用の笛(中国古代尺八)を吹かれたとき、老猿が舞った。その姿を楽人に命じて作らせたのが四天王寺に伝承する”蘇莫者”と言われている。このように、日本に一番最初に尺八をもたらしたのが太子であることから、聖徳太子を尺八の祖とするものです。
また、正倉院に多孔尺八などの笛が多く残されています。このことから雅楽に尺八が使われていたと言う雅楽説。
 つぎに、楠木正勝が朗庵(前述)であったという説もあります。 これも、結構根強い説なのですが、源義経がジンギ・スハーンであると言った話と、ほぼ同列のものなのでしょうかね・・
あるいは、「徒然草」の中に出てくる”ぼろんじ”、が転じ、”おこもさん”−−−>虚無僧(こむそう)となったという、この過程で笛を吹くようになると言ったいろいろな説があります。
ただ言えることは、歴史上存在していたものは、結構古いものでたっても、必ずどこかに残っているのですが、現在、私たちが使っているような形の尺八は、正倉院の多孔尺八を除けば江戸時代以前のものが、一節切以外に現在の尺八のようなものが、どこにも残っていないようです。

諸説のうち、先ほど述べた一節切尺八についてもう少し詳しく触れてみたいと思います。
一節切尺八についてですが、この楽器は、京都の大森宗勳が演奏し、あるいは堺の”隆達坊”が小唄伴奏に使っていました。
年代で言えば室町から江戸初期で、西暦1500年代でしょうか。日本に三味線の伝わったとされるのが西暦1560年頃ですから、それより少し前の時代の、大衆に近い存在の楽器だったのでしょう。
この、一節切尺八と普化尺八という二つの違った楽器を結び付ける人物がいまして、この人物は 一休宗純であります。
一休宗純は、前述した、宗勳や隆達より、やく半世紀程前に活躍された方です。 この、一休師の叙述になる諸本には、普化禅師や、一節切尺八のことが多く述べられています。(興味のある方は、「一休狂雲集」柳田聖山・講談社)などを読んで見てください。)
 とても、芸に精通されていた方で、自身も尺八を吹かれていたわけであります。
また、芸術ではあらゆる方面に多くの影響を与えた一休の、この笛の伝承がどのようになっていったのか、非常に興味のあるところですが、今のところあまり分かっていませんが、この一休の尺八と普化禅師、そして、普化禅師と普化尺八の結びつきが単なる偶然であるとは思えないところです。
羅山文集に

吾国近代有宇治庵主狂雲子一路叟者
並避世之徒也。倶吹尺八

とありますが、宇治とは、一休さんの住まわれていた、酬恩庵(通称”一休寺”)のあった薪村(薪能の発祥地とも言われています)の隣接地です。

話は飛びますが、比較的資料が整っている江戸時代における普化宗はどういう立場にあったのでしょうか。
江戸時代は、関ヶ原以降の治安維持をはかるために諸制度が敷かれました。
その中の一つに戸籍があります。これは寺院を核に戸籍を整備し、戸籍にもれた不穏な浪人刈を行っています。
この役目には、家康に認められた臨済宗の以心崇伝が就いています。
この宗教界に精通した崇伝の下で、正体不明の普化宗が存在できたことは、寺院に籍を置けなかった浪人たちの救済の場として、普化宗と言うものが、何らかの役割を果たしたのでは無かろうかと考えられるのであります。
要するに、身を置く場所として、普化宗という得体の知れない宗教団体を作り、そして、形式を整えたのではなかろうかと推測されるわけです。
いずれにしましても、普化宗は、明治新政府によって廃止され、使用を禁じられた尺八を、 吉田一調荒木古童らが尽力し、明治中期ごろ宗教の法器としてでなく、大衆楽器として復興されたのであります。
今日”流”を名乗る尺八はずっと以後、大正、昭和初期にかけて形成されたものです。

   琴古流
   都山流
   上田流
   竹保流
   各流派

   このほか、有名無名の流派や、流を名乗らないものも数多くあります。
   本来、流などはあまり関係がなかったのですが・・・

虚無僧尺八も同様で、愛好者などの尽力により、再構築されたものです。



索引

琴古流/Kinko 黒沢琴古の芸を伝承する流派。本名黒沢孝八[1710-1771]が虚無僧で全国を巡り集めた本曲(表18曲、裏17曲)を整理して、江戸一月寺、鈴法寺両寺の吹合せ所で指南番を務め、教えた。
十九歳の時に長崎の一朝軒で一計子に「古伝三曲」の教えを受けたと言う。
福岡、黒田藩士。この後、二代目(実子、孝右エ門=孝八に改名)、三代目(琴甫)、と名手が続くが、四代目(琴甫の弟)は、技量拙く、自ら出奔する。
その後、4代目の後見人だった久本風陽らが伝えた。琴古流の本曲として、「鹿の遠音」が有名。
本来、”流”を名乗っていたわけだはなく、明治以降、琴古の流れを汲む一派を、他の尺八集団と区別するために言われるようになったらしい。
竹友社、童門会、美風会、玉川社、日本竹道学館、銀友会、鈴慕会、竹明社、竹心会ほかがある。戻る
都山流/Tozan 明治29年中尾都山(本名:琳三)が大阪・高麗橋創立。現在は、(財)都山流尺八楽会、新都山流、(社)日本尺八連盟などに分れている。
”チャルメラ宗悦”とも言われ、長崎のち京都明暗系の尺八名手、近藤宗悦の影響を受けたとされる。
初代中尾邸は、京阪枚方駅から5分ほどのところにひっそりと保存されている。戻る
上田流/Ueda 大正6年上田芳憧が中尾都山と袂を分かち独立したもの。本拠地は関西以西。宗家は、阪急服部駅から吹田市の方に徒歩15分ほど歩いたところ。現在の宗家は三代目。この上田流から分かれた流派に村冶流がある。戻る
竹保流/Tikuho 大正6年、酒井竹保が、近藤宗悦門下の藤田松調(松調流)から独立し創設した。戻る
一閑 初代黒沢琴古の門人。宮地右衛門戻る。
以心崇伝/Suden Isinn 臨済宗、南禅寺の住持。金地院崇伝。慶長17年入閣。寺院担当戻る。
久本風陽/Huyou Hisamoto 本名雅五郎。幕末の人。三代目琴古の門人で、四代目の後見人となり、四代目出奔後、門人を養成した。戻る。
吉田一調/Ichyou Yosida 本名耕三[文化9年−明治14年]幕臣、26歳で普化宗に入る。久本風陽の門人。戻る。
荒木古童/Kodou Araki 本名半三郎[文政6−?]。父は近江水口藩士。池田一枝(初代琴古の孫弟子)の門人五柳に学ぶ。後、虚無僧となり、豊田古童に学ぶ。戻る
各流派/Various party 琴古流は、琴古の直系は、特に”流”を名乗ら無かったので、その流れを汲む名手達がおのおの明治以降になり”琴古流**”と言う看板を揚げて、独自の組織を創っているが、通称は、琴古流として纏められている。ここで言う、各流派はそれ以外のもの。
村治流、菊水流(横笛なども含んでいるようである)ほかに、竹保流の分裂によってできたもの、古典曲(虚無僧曲)だけを吹いているもの、民謡、詩吟を専門にしているもの、七孔尺八(宮田耕八朗)ほか、たくさんありますが、本来、明治以前は、虚無僧の門付けに吹いてまわっていたもので、師弟関係とか言うものは、一部を除いてはなかったのではないでしょうか。だから、”流”に所属する形態は、近代的な経営法式の一つなのでしょう。
いままた、某放送局系列に入るとか、大学組織に所属すると言う新しい組織が生まれつつありまが、これも、時代の要請なのでしょう。戻る
一節切尺八/Hitoyogiri 室町時代に流行した一節の20センチほどの小さい立て笛。一休宗純(通称一休さん)がこよなく愛用した。隆達小唄の伴奏にも使われた。
一節切尺八について、写真を掲載しています。戻る
楠木正勝/Masakatu Kusunoki 楠木正成の孫。応永の乱で敗れ、後、虚無僧になって全国を行脚したと言う。戻る
隆達/Ryuutatu Takasabu 高三隆達(1527-1611)が堺ではじめた小唄。三味線は使わず一節切、扇子拍子で唄われた。戻る。
大森宗勳/Soukun Oomori 京都で一節切尺八を教えていた。(1570-16259)戻る。
羅山文庫/Razan Hayasi 林羅山(1583-16579)漢文学者。戻る。
一休宗純/Soujyun Ikyuu (~1481)室町時代中期の臨済宗の僧。京都田辺町薪村の酬恩庵、堺の集雲庵住職。晩年、京都大徳寺住持となる。号は狂雲。奇行が多く、後小松天皇の胤と言われ、6才で出家させられる。諸芸に優れていた。一般には、とんち噺の”一休さん”で有名。
世阿弥の婿養子金春禅竹が、一休に参禅、謡曲「山姥」「江口」が、尺八曲では「紫野鈴慕」が、一休の作といわれている。戻る。

[おもな参考文献]

日本音楽の歴史と鑑賞 星 旭 音楽の友社
邦楽鑑賞入門 吉川英史 創元社
筝曲と地歌 吉川英史、林兼三、岸辺成雄、平野健次、星旭、伊藤隆太 東洋音楽学会
現代三曲名鑑 藤田俊一 日本音楽社
琴古流尺八史観 中塚竹禅 日本音楽社
普化宗史 高橋空山 普化宗史刊行会
尺八通解 藤田鈴朗 日本音楽社
虚無僧尺八指南 戸谷泥古 −−
虚無僧寺一朝軒資料 三宅酒壷洞編 文献出版
尺八史考 栗原広太 竹友社
一音成仏 虚無僧機関誌 虚無僧研究会
尺八史譚 吉田輪童 日本音楽社
明暗尺八往来今略記 富森虚山 明暗吹籥和楽禅会
明暗三十七世谷北無竹師本曲の話 谷北先生を囲んで稲垣衣白師、岡崎無外師の会話録音・伊藤笛斎の会話 谷北師の演奏録音テープ別に有り
錦風流尺八本曲伝 内山嶺月 −−
一閑先生「尺八筆記」 右上の「ぼろんじ」のカットはこの本のものです。 国会図書館蔵
糸竹古今集 天理図書館蔵
正倉院楽器の研究 林兼三 風間書房
尺八通俗集 一月寺会下、岡秀益 国会図書館蔵
古典尺八及び三曲に関する小論文 塚本虚堂 虚無僧研究会
箏三味線音楽 中島警子、久保田敏子 白水社
伝統古典尺八覚え書 植賀笋童 出版芸術社
さらに詳しくはこちらのサイト