英語上達のコツ 第3回

We must sow before we can reap.(蒔かぬ種は生えぬ)

 「この塾も今年でとうとう銀婚式を迎えることになった」と、深い感慨を抱きながら、塾の玄関の前に立って、今年も小学6年生を迎えました。子供たちは、表紙に思い思いの絵を描いた発音記号表を大切に抱えながら、元気よく走り込んで来ます。今直ぐにでも英語が口をついて出て来るような錯覚と期待とで、彼らの顔は何と喜々としていることでしょう。裏切ってはならない!見上げるように背が伸びて、彼らが大学生になって私の塾を去る7年後を思い描いて、ズシンと鉛のように重いものが胸にしみて来ます。

 子供たちの7年間の塾生活というものは、実に様々な起伏、様々なリスクを含む長い長いひとつの道程です。この起伏やリスクは、私の経験では、同じ生徒を6年生から高3まで教え通してみて、初めてわかるもののように思います。「あの時にこのような教え方をしておけば---」といった試行錯誤の連続で、幾度か後悔のほぞを噛み、生徒たちに心ひそかに頭を下げて来ました。これが絶対だと思える方法も、生徒たちは十人十色、生徒次第で、もろくも崩れ去ってしまいます。6年生の時にはあんなに英語を好きだった子が、中1、中2、中3と、難しくなるに従って迷路に入り込み、高校では英語アレルギーになるのを見ていますと、責任の重さに押しつぶされそうになるのです。長い間英語と苦闘して来ているのに、日常会話はおろか、簡単な手紙一本も英語で書けない子がいるなんて、「どこでどう間違ってしまったのか」と、途方に暮れることもあります。

 「語学なんて先天的なものさ」と、放り出してしまえば、今までの苦労は水の泡です。「どのように教えれば、あの子の失われた自信が甦り6年生の時の新鮮な喜びが戻ってくるのだろうか」と、暗闇に坐して、過去の糸をたぐり寄せながら、眠れず悩んだこともありました。そんな時、一人の子の、教室での表情や、一挙手一投足まで浮かんで来て、「英語」という以前に、「そもそも教育とは何か」と考え込んでしまって、自分自身が、もがいている一匹の虫のような無力なものに感じられたものです。しかし、それでも生徒たちと悩み苦しみを共にしている間に、不思議とファイトが湧いてきて、今年も卒業生を送り出しているという25年間でした。

 さて、このように試行錯誤を繰り返しての25年間ではありましたが、この間の教育経験を通して、7年間の塾における教育が、どのようなものであるべきか、その全体像が自分なりに掴めて来たように思います。

 一口に7年間と言っても、子供たちにとっては、それぞれの学年が、独自の意味を持っており、しかも7年間のまとまった教育全体の中でのあくまでも1つのステップにすぎないのです。教える側は、常に1年後、2年後、最終的には卒業時の子供たちの姿を考えて、その場限りの教育ではなく、常に「発展性」のある教育を心がけるべきだと痛感しております。

 蒔かぬ種は生えぬ---どんなことにも原因があって結果があるのですから、6年生の時に種を蒔き、その後何年もかけて、水をやり、慈しみ育ててこそ、美しい花が咲くのであって、今日蒔いた種が、明日直ぐに芽を出し花になるようなことは、期待すべきではありません。それと反対に、「蒔いた種は必ず生える」といった強い信念を持って、正しい地味な努力を積み重ねていくべきだと思いす。直ぐ結果が出ないからといって、才能がないと嘆くばかりで、努力や創意工夫を忘れてしまえば、引き出しの中に忘れられた種となって、永遠に花開くことはないでしょう。

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