英語上達のコツ 第15回

Language is a dress.(言葉は衣服なり)

 10年程前、香港からインドネシアに向かう飛行機の中、私は三人掛けの座席の窓際に坐り、隣は魅力的な中国人の若い女性で、通路側にはオーストラリアの青年が坐っていました。中国の女性は隣の青年と、流暢な英語で話し続けています。時には冗談まで飛ばして笑い合っているのです。私も時々話に加わっていましたが、12時間の飛行中、英語で話し続けるのは、大変疲れました。くだんの女性が、まるで母国語でも話すかのように、苦もなく楽しそうに青年と話し合っているのを少々羨ましく思ったものです。ところがジャカルタ空港に着くという時になって、その女性は入国カードに何を書き込んだらいいのか、と私に尋ねました。私が驚いていると、「英語が読めないのです。英語を習っていないものですから」と言うのです。私はその中国の女性を軽蔑するというよりも、ある種の感動を覚えて見つめました。

 「日本人は、読めても書けても話せない」と、よく言われています。国民性にもよるのでしょうが、他人を気にする虚栄心や妙なプライドが邪魔しているのではないでしょうか。また長い歴史の中で、外国語を話さなければ生きていけないような状況に追い込まれたことがない、幸せな民族の故かもしれません。必要は発明の母といいますから、「外国語を話す」というだけならば、その国で幾年か暮らせば、必要に迫られて話せるようになるでしょう。

 生徒達から「先生は何故英語を勉強したのですか」と、よく聞かれます。第1回で述べたように、漠然と勉強を続けたいと言うだけの理由でしたから、返答に困ってしまいます。英語を勉強しておけば「得」だと思って、その実利性を評価していたわけではありません。当時の男子と女子の教育上の大変なハンディを思えば、英語の勉強をするのは、むしろ「損」に思えたくらいでした。しかし、「言葉は人間にしかないものだから、言葉を勉強するのは、人間の知性を解く鍵ではないか?人間を知る手がかりとなるのではないか?」と思っていたことは確かです。英語でなくても何語でもよかったわけで、父の忠告で英語を選んだに過ぎません。言葉が好き、子供が好き、教える事が好きで、続けているうちに興味が深まっていったという方が正しいでしょう。大学時代の友人で、本人の努力はもちろんのこと、語学の才能にも恵まれて、学者として立派に研究を続けている人達がいます。そういう友人に会うと、自分の浅学を恥じて劣等感に苛まれます。そんな時、生徒達と共に歩んできた歳月を振り返り、「教育は理論ではなく、実践なのだ。」と、自分に言い聞かせる事にしています。自分のプライベートな時間を、生徒達に出来るだけ多く捧げるのがよい教師としての条件だと、今でも信じていますが、だからといって自分に教養のない事の弁解にはならないのです。哲学、心理学、科学等と広範囲にわたる論文(もちろん抜粋)を扱う高三の最終段階に入って来ると、自分の教養のなさを、生徒達に申し訳ないと思わざるを得ません。そんな時、「言葉は衣服なり」と痛感致します。いくら言葉巧みに話しても、内容がなければ説得力がありません。豊富な知識を持って生徒達に説明してやれたらと、残念に思う事がしばしばです。言葉は、自分の思想や感情を装うものですが、そこに話すべき本体がなければ、「仏」作って「魂」入れずになってしまいます。「外国へ旅行して英語が通じて楽しかった」…これも確かに語学教育のメリットですが、他国の文化を吸収して、自国の文化を紹介できる程の広い意味での教養のある人を育てることこそ、真の語学教育だと、自分自身の浅学さを省みて、しみじみと思う昨今です。だからこそ、 「若いうちに、受験英語にとどまらないで、広い意味の教養を身につけて欲しい」 と、生徒達に呼びかけています。

 One good mother is worth a hundred school masters.
 (一人のよい母親は百人の教師に匹敵する)

 と言われるように、お母様方が目先の事に余りとらわれず、遠くに視点を置いて現在の一歩を固めるように、指導してもらいたいと思います。

item2a

HOME / 第1回 / 第2回 / 第3回 / 第4回 / 第5回 / 第6回 / 第7回 / 第8回

第9回 / 第10回 / 第11回 / 第12回 / 第13回 / 第14回 / 第15回