英語上達のコツ 第12回

Each country has its own custom.(所変われば品変わる)

 一昨年ロンドンで経験した事です。英国人の中年の女性ドロシーさんと、英語教育について話し合う機会を持ちました。彼女はロンドン大学で美術を専攻した、教養のある人です。英語と日本語の根本的な違いを説明する段になって、私の頭の中には色々な構想がひしめきあっていましたが、結局、疑問文と否定文に関する相違を次のように説明しました。「日本語は大変不便な言葉です。相手が自分に物を尋ねているのかどうかは、“so and so ですか?” の最後の『か』一言で決まってしまうのです。また、相手が自分の意見に同意しているか否かも“so and so ではありません。” と言った具合に、『・・・あります』、『・・・ありません』は、最後で容易にひっくり返るのです」。

 彼女は非常な興味を示して、一つの大きな発見をしたようにこう言ったのです。「ああ、それで私の謎が解けました。日本人は何故あんなに礼儀正しいのか。相手の話を最後までじっと聞くように、あなた方の言語構造があなた方を躾けたのですね」彼女の見解が正しいかどうかは別として、言語も広い意味で、その国の持つcustom(風俗)なのです。国民性が言語を作っているのか、言語が国民性を作っているのかは、肉体と魂の関係のように不分離なものでしょう。

 言語の中には、その国の国民性が、長い歴史を経て融合一体化しているのです。世代毎に物の考え方が違うという事は、世代が違えば、もはや同じ言葉を話していないという事、どの言葉も、国民性―ひいてはその言葉を選択する個人の個性―が投影されているという事に思い至った時、英語という外国語を使って、「自分の言葉」で子供達を教育するのがどれ程深い意味を持つかを、改めて確認して愕然としました。日本語と英語の発想と表現の相違を認識したうえで、生徒達にはその両者を比較検討して教えてゆかねばなりません。英語を学ぶというのは、日本語を学ぶという事です。

 日本語と英語の発想と表現の相違を研究すれば、まことに興味深いものですが、根本的なものだけをあげ、それに対して具体的にどのように指導すればよいかを述べておきます。

(1) do, don’t の効用:

 Do you love me?  I don’t love you.

 ‘do’ の助動詞は何の意味も持たないのに、数学の記号のように疑問、否定の心的態度を明示している便利なものであることを実感させます。

(2) 命令文の効用:

 Love me.   Don’t love me.

 すぐに相手の命令に従う事が出来ます。特に禁止命令は、ある事をしてはイケナイのだと直感して、心の準備が出来ます。日本語の様に色々な事を長々と述べたあげくの果てに、「だから私を愛してはいけない」と、言われても、もう愛し始めている人には残酷な話です。

(3) I don’t think you are foolish.
  I am afraid I am foolish.
 I hope he will be wise.
 I wish I were wiser.

 上文のように、話者の心的態度が最初に明示される事は、西欧人の計画性を如実に表しています。日本語の場合は、話をしてゆく過程で自分の意見をまとめてゆき、最後に動詞で締めくくっているのです。途中で考えが間違っていると思ったら、訂正する事さえ可能です。これは、日本人の柔軟性を示していると同時に、無計画性を表していると思います。英語は計画性を持っているだけに、次に何が来るか予想する事が出来ます。この利点を利用して、生徒達に、必ず次にはどういう種類の内容の文が来るか予想させながら、授業をすすめなければなりません。

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