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紙芝居のはじまり、はじまり

内容:「紙芝居のはじまり、はじまり」は、高校生の中村静香たちと街頭紙芝居師の芝原源治との交流を描いた物語です。

人形劇トムテ_ad 声をなくした紙しばい屋さん
関 朝之 (著), 吉川 聡子 (イラスト)
昭和初期から30年代頃まで、多くの子どもたちを魅了した街頭紙しばい。時代の流れによって、街頭紙しばいも紙しばい屋さんも姿を消してしまった。しかし、そんな中で、紙しばいの良さを伝えていこうと、今でも紙しばい屋さんとして活動している森下正雄さん。子どもたちの笑顔と、紙しばいの面白さに惹かれ、紙しばいにすべてを捧げた森下さんに、ある日思いもよらない悲劇が襲いかかった。

 高校生になっての最初の夏休み、うれしい便りが届きました。施設の愛称公募で、私の応募した名前が採用されたのです。
 中学のときから、ネーミングやキャッチフレーズの公募にハガキを何度となく出しましたが、一度も採用されたことはありませんでした。高校生活も少し落ち着き、久しぶりに投稿したら、思いもかけず採用されたというわけです。
 「中村静香様。この度は梶山老人保健施設のネーミングにご応募くださり、誠にありがとうございました。六一〇通の中から選考委員満場一致で、愛称ジュテームを採用させていただくことになりました。つきましては、今週日曜日に授賞式をとりおこないたく存じます。」
 何度手紙を読み返しても、私の名前です。気持ちのいいものです。まさか同姓同名ではと手紙の宛先を見ましたが、住所も間違いありません。おかげで、賞金五万円をいただくことになりました。
 母に手紙を見せたら、「小さな目が、ますます小さくなったね」だって。
 私のいちばん気にしているところを、いつも何かにつけて言うのです。
 「お母さんに、アクアマリンの指輪買ってね」
 「やーだ!」
 母は、自分の誕生石でもない指輪がほしいようです。でも、本当に買ってあげようかと思っています。二年前に別れた父に、買ってもらうわけにはいきません。もし買ってあげられるとしたら、一人娘の私だけです。アクアマリンの澄んだ色に、母はふるさとの空を見るようです。
 「ところで、静香。ジュテームって、何?」
 ジュテームは、フランス語で愛情という意味です。老人介護には、いくら施設が充実していても、職員がたくさんいても、ひとりひとりの老人への愛情が必要です。でなければ、老人は地域社会のお荷物にしかならないのです。そのお荷物を預ける場所が、中野老人保健施設にならないようにと願ってのことです。だから、この愛称をつけたのです。
 私の住む梶山市に梶山老人保健施設が誕生したのは、半年前です。施設の入所定員は、一〇〇名。現在、二〇余名の老人が入所しています。本年度中に、七〇名の入所を見込んでいるようですが、今ひとつ施設の役割と他施設との違いが市民に理解されていなために、その存在が薄くなっているようです。私自身も、市の広報に今回の公募が載っていなければ、施設のことをいつ知ったかどうかわかりません。
 市内には、梶山養護老人ホーム、梶山ケアハウス、梶山福祉会館、梶山文化センターと、他にも梶山を冠する施設が多数あり、それらとの差別化をはかるために施設の企画広報課では、施設名を変更する案が生まれたようです。施設を建設するにあたって、「梶山老人保健施設」の名で届け出た書類が山のようにあって、それらすべてを変更するには、多大の労力と予算が必要になります。そこで、愛称を広く募集することになったようです。

 日曜日。
 母は、保険の外交員をしていますが、成績がそれ程よくないので、スーパーの精肉店でもパートをしています。余程のことがない限り、日祭日の時給が高いパートは休みません。そこで、私は友人の鈴木さんを誘って、梶山老人保健施設に行くことにしました。
 鈴木さんとは、クラスが同じで、高校に入ってできた友人です。下の名前を「静可」と言い、一字違いで同じ名前だったので、何となくお互い気にしていたら仲良くなってしまって。それに、いつも一緒にいるので、クラスでは「ダブル静か」というコンビ名でまとめて呼ばれます。コンビ名の通り一人一人は、本当に静かでしたが、二人の間では話しが尽きることなくぺちゃくちゃと、静かとは程遠いものでした。電話で一時間、二時間話すのも極普通です。そのため、うちも鈴木さんの家でも、キャッチホンをつけなければならなくなりました。
 私たちが、梶山老人保健施設に着いたのは、九時一〇分でした。授賞式には、まだ一時間近くあります。案内地図では、随分遠くにあるように思えましたが、自転車で家から一〇分で着きました。
 施設の玄関を入ると、介護用品がいろいろ展示してありました。ポータブルトイレに、各種各サイズのパンツがありました。値札がついているところをみると、販売もしているようです。杖も、三〇本ぐらい並べていました。電動車椅子から寝そべるようなもの、試乗車用の車椅子も置いていました。このブースを担当している職員の方でしょうか、奥で忙しそうにパソコンに向って何やら打ち込んでいて、こちらには全く気がつかない様子です。展示品を一通り見ても、授賞式までにはまだ時間があったので、私たちはエレベーターで屋上に出ました。
 建物は、四階建てでした。裏に畑があり、その向こう側に墓地がありました。その向こうには、また畑があり、白い大きな建物がありました。
 「あの建物、何かしら?」
 「学校じゃない?」
 鈴木さんがそう言うと、私たちの肩越しから、
 「あれは、市立病院じゃ」
 振向くと、七十歳は過ぎているでしょう。八十歳近いのおじいさんが、立っていまいました。頭ははげて、光っていました。
 あめ玉でもなめているのでしょうか、口をもぐもぐさせながら、
 「わしは、・・。芝原源治、と言うもんじゃ」
 話しをよく聞くと、芝原さんは半年前まで市立病院にいて、こちらに移ってきたのだそうです。病院から一緒にこちらに来た人は、他にもいたようですが、ひょっとするといなかったかもと、何だか記憶が定かでないようです
 「一緒に来た他の人は、どうしたんですか?」
 「連中は、みんな、帰ったよ。迎えが来てな。・・・、たぶん」
 「芝原さんは、帰らないんですか?」
 「・・・」
 私は、聞いてはいけないことを聞いてしまったのかもしれません。迎えというのは、亡くなったということかもしれません。変なことを言ってしまわないかと、私たちは言葉を選ばなくてはならず、急に無口になりました。
 「ここに来る前に、あの墓の下に入った者がおる。ここに来てから、あの墓石に、・・・。ときどき、線香の匂いがすると、わしにも迎えが来たような」
 そのとき、職員の方が、芝原さんを探しに来ました。
 「芝原さん、もうすぐ、授賞式がはじまるわよ」
 そうそう私たちも、その授賞式に出席するためにここに来ていたのでした。時間をすっかり忘れていました。
 「生意気な高校生が来るらしい。あんたらも、来んか?」
 「え? あっ、はい」
 「じゅげむ、じゅげむって、・・・。落語じゃあるまいに、そんな名前つけおって」
と言いながら、芝原さんはさっさと職員の方と降りて行きました。それは、ジュテームだと胸を張って言いたかったのですが、・・。
 私たちもあわてて、降りて行きました。とにかく、私がいないことには、授賞式は始まらないのですから。

 授賞式の会場は、訓練室のようです。隅に段差の違う階段があったり、平行棒が置いてあったりしました。紅白の幕の間から、それらが少し見えていました。
 「では、この度、当施設の愛称ジュテームの名づけ親であります中村静香様をご紹介いたします」
 司会者の合図で、私は前に出て、一礼しました。
 「中村様は、梶山市立北高校の一年生です。介護は愛情をもってということで、フランス語のジュテームを愛称として考えられました。選考委員会において、厳選なる審議の末、大賞を受賞されました。ここに、賞状と賞金をお送りします。賞状は、施設長から手渡されます。賞金は、入所者を代表いたしまして、芝原源治さんにお願いいたします」
 賞状を施設長から手渡され、握手をしました。次は、賞金です。
 「源じい! 持って逃げるなよ!」
 誰かの野次が飛びました。
 芝原さんは、賞金を懐にしまうしぐさをして、会場の笑いを誘いました。そして、私に手渡してくれました。私は一礼して、芝原さんと握手をしました。
 そのとき、何だか変な気がしました。というのは、さっき屋上で会った芝原さんは、間違いなく今ここにいる芝原さんなのに、まるで初めて私と会うような目をしているのです。後で聞いた話しですが、芝原さんは、昔のことはよくおぼえているのに、ついさっき起ったことを忘れることが、最近多多あるということでした。脳の記憶を司るどこかに不都合がって、そうなるのだということです。芝原さんには昔の思い出はあるが、新しい思い出が作れないのでした。そして、そのことが、娘夫婦のいる家に戻りにくくさせているとのことでした。
 私と鈴木さんは、小太りであごひげを生やした施設長に、ジュテーム内を案内していただきました。施設長は行く先ざきで、入所者や職員に笑顔を振りまいていました。笑顔が何よりもの薬なのだそうです。
 ジュテームは、医療と福祉をベースに、お年寄りの自立を支援することが目的だということです。病院から家庭に戻るまでの宿泊施設のような、特別養護老人ホームから家族の迎え入れができるまでの寄り道にしたいということです。
 「これも縁というもの。いつでも遊びにいらっしゃい」
 施設長の口元から、真っ白い歯がこぼれました。私たちは、お礼を言って帰りました。

 毎年、十月の第一土曜日と日曜日は、市立北高校の文化祭です。
 同好会、有志による参加は任意ですが、クラブ、クラス単位での参加は義務づけられています。クラブ参加をするものは、そちらに手が取られるので、クラスの企画への参加は少し大目に見てくれます。自然、実行委員から外されることになっています。私と鈴木さんは、クラブにも同好会にも入っていないので、クラスの企画と運営、実行で多く関わることになります。全校生徒が、何らかの形で文化祭に参加することが、北高校文化祭のあり方です。
 第一回のクラスの文化祭企画会議がありました。他のクラスの企画との兼ね合いもあるので、情報収集からはじまります。人形劇、パソコン占いコーナー、地震体験ボックス、ミステリーハウスには、夏休み前から既に手上げがあり、これから企画をする二番煎じのクラスには、参加テーマの許可がおりそうにありません。そこで、会議では、摸擬店をやろうとか、テレビのクイズ番組を真似ようとか、チャレンジコーナーはどうかとか、いろんな案が出ました。しかし、九月になってから立案していては、実現可能な企画は限られてきます。
 「なつかしい遊びを、テーマにしてみてはどうかしら?」
 今まで、一言も意見を言わなかった私の方を、みんなきょとんとした目で見ました。
 「今の遊びって、テレビゲームが多いでしょう。昔の遊びにもたくさん楽しいものがあったのに、最近見かけなくなった。と言うより、忘れてしまったのかもしれない。子どもの遊び文化を支えてきたものを見直す、なつかしい遊びを企画してみてはどうかしら?」
 思いのほか私の意見が気に入ってくれたみたいで、実行委員のみんなが賛成してくれました。何とか第一回目の会議は終了し、次回の会議までに、各自資料集めをすることになりました。もちろん、私と鈴木さんは、ジュテームのお年寄りたちから遊びの伝授をしていただこうという魂胆です。他のメンバーは、両親、祖父母、近所の老人会などから、資料を集めてくる手はずです。
 放課後、鈴木さんと一緒に、ジュテームに行きました。
 私たちには、目的のものがひとつありました。それは、今ではほとんど見かけることがなくなった街頭紙芝居の実演です。ジュテームに入所の方に、街頭紙芝居を実演したり、それを観て育った人がいるなら、それを今度の文化祭で再現してみたいという思いがありました。しかし、その思いは無惨にも打ち砕かれてしまいました。受付の職員の話しでは、街頭紙芝居などした人はいないし、それを観て育った人がいたとしても、ちゃんと伝えるのは難しいということでした。本当かなあと思いましたが、受付の仕事のじゃまをしているようで、これ以上時間をさいてもらえないという雰囲気でした。
 諦めて帰ろうとしたとき、
 「誰かに、面会かい?」
と、芝原さん。
 「お久しぶりです。お元気でしたか?」
 「お元気でしたよ。で、・・・。あんたらは、だれかいのう?」
 「じゅげむじゅげむの生意気な高校生です」
 「・・・。落研クラブの学生さんかい?」
 すっかり私たちの記憶は、消えてしまっているようです。
 文化祭のこと、クラスの企画のことを芝原さんに話したら、それはおもしろそうな企画だと興味を持ってくれました。街頭紙芝居のことを話したとき、急に芝原さんの目の色が変りました。 街頭紙芝居の風景
 「紙芝居のことなら、手伝えるぞ!」
 聞けば芝原さんは、昔自転車の荷台に紙芝居の舞台を積んで、街頭紙芝居を実演していたと言うのです。デイサービスの人に大工がいるので、舞台の制作が出来るし、演じ方は自分が教えるというのです。一転して、街頭紙芝居の実現に拍車がかかりました。
 それにしても、受付の職員の対応はどういうことでしょう。私たちへの対応ではなくて、入所している方への話し方です。まるで子どもに話すかのように、あたかも自分の方が年配かのような話し方をしています。芝原さんたちは人生を積んできたからこそ今の姿があり、それを尊重しなければならないのに、ちょっと変です。ジュテームの名付け親が、泣くよ。ホントに。施設長が、いくらすばらしい理念を掲げても、末端の職員には届かないということなのでしょうか。
 紙芝居の演題を何にするかということになったとき、芝原さんは、「のらくろ」はどうかと言われましたが、それがどんな物語か想像がつきませんでした。
 「じゃあ、鈴木一郎の作ったのはどうだ? 最高だぞ」
 「え?!」
 「黄金バットだよ」
 私たちは、海の向こうで活躍しているイチロー選手のことを思い浮かべました。バットをペンに換えて、紙芝居の物語作ったのかなあと一瞬思いました。でも、バットつながりだったようです。結局、私たちが知っていて、芝原さんも知っていた芥川龍之介原作「くもの糸」で落ち着きました。
 次の日、私たちは、早速クラスの絵のうまい田中くんに頼んで、下絵を描きはじめてもらいました。紙芝居の脚本は、私が担当しました。舞台を積む自転車は、大型ゴミの日が来週あるので、捨てられた自転車を改造しようということになりました。他の実行委員からも朗報がありました。めんこのトーナメントをする企画が出たり、ホースを利用してフラフープを作るという案も出ました。また、クラスにけん玉名人とヨーヨー名人がいたのも、偶然とはいえうれしい知らせです。ベーゴマを作ってくれるという鉄工所も見つかりました。ゴム飛び、ケンパ、おじゃみ、おはじき、あやとりを教えようという父兄も現れました。押入れのどこかに、アメリカンクラッカーがあると言う情報もありました。
 三日もたたないうちに、うれしいことに「なつかしい遊び」の形が見えてきました。もし、気がかりがあるとしたら、ジュテームに今度行ったときに、芝原さんが先日のことをすっかり忘れてしまっているのではないかということでした。
つづきは参考動画で・・・

参考:物語「紙芝居のはじまり、はじまり」(最後まで掲載されています)

紙芝居「おだんごころころ」 紙芝居「おだんごころころ」
おじいさんのおだんごがころがって、地蔵さまのもとへ。地蔵さまにおだんごをあげると、地蔵さまは頭のうえにのぼれといいます…。

紙芝居「くもの糸」 紙芝居「くもの糸」
芥川 龍之介 (著)、諸橋 精光(著)
大型本: 18ページ
出版社: 鈴木出版 (2007/07)
参考:パネルシアター「くもの糸

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