パネルシアターの出会いとはじまりパネルシアター(ぱねるしあたー、パネル劇場)は、1973年東京都墨田区・西光寺住職の古宇田亮順師によって、創案されました。くしくも、私たちが最初にパネルシアターに出会ったのも、大阪市南区・大念寺というお寺でありました。その頃、毎月第三日曜日に「口演童話の集い」という会が開かれ、パネルシアター・素話・手品・紙芝居・人形劇などが演じられていました。切り紙や落語までありました。そして、新聞の案内を見て、参加したのがきっかけでした。 すぐに、これは楽しいものだということがわかりました。それから、パネルシアターの勉強をはじめました。奈良佐保短期大学の学生たちも、毎回多くの参加があり勉強されていました。私たちも、そこに寄せていただいたというわけです。公演を観に来るこども達より、勉強しに来る大人たちのほうが多いときがあったくらいです。いずれにしろ、仏教保育に大変理解のある方々の手から、日本中に世界中に広がっていったのが、パネルシアターです。 パネルシアターをさかのぼること、フランネルグラフがありました。教会では、パネルシアターよりも、こちらの方がなじみが深いかもしれません。フランネルをボードに貼り、そこに絵が描かれていて、それが背景になります。そこに、絵人形(フィギュア)を貼ったり外したりしながら、お話を進めていきます。視聴覚教材として利用すると効果的です。クリスマスに礼拝堂で、 「クリスマス・キャロル」や 「マッチうりの少女」が演じられれば、印象深いフランネルグラフを観たこども達は、また教会に来たくなります。 いろんな垣根を取っ払って、成長してきたパネルシアターです。技法の利用の多様さ、作りの簡便さなどが手伝って、フランネルグラフよりパネルシアターの方が、今後ますます利用されていくのではないかと思います。それでも、フランネルグラフが消えることはないでしょう。 パネルシアターとの付き合い方 出会いがあると、それが縁で付き合いがはじまるものです。どんな付き合い方をしたいかが、重要なポイントになります。まずは、二つの選択肢があります。パネルシアターを観る側に立つのか、やる側に立つのかです。観る側がアマチュアというわけではありません。観れば観るほど、観るプロになります。やる側に立つと、どこまでやるのか問題になります。パネルシアターを作るのか、脚本を書くのか、舞台に立って演じるのか。どれを取っても、長く深く付き合えば、その道のプロになります。
パネルシアターの未来
東京の赤い雪 (子どもに語りつぐ口演童話)
漆原 智良 (著), 山中 桃子 (イラスト)
すずむし (くるしま童話名作選)
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